2000冬-2001春1
2000年12月
柘植靖彦の出所を週刊誌の記事で知った。
株を手放した上に、一族へ20億円以上の弁済し終えたのに、靖彦の家は相変わらず資産家に変わりないようだった。
年が明けて、俺はその冬のボーナスと、それまで貯めていた金の全額を足し、さらにローンを組んでベンツを買った。
ちょうど販売価格の改定があり、値下げしたとはいえフラッグシップモデルのS600Lは、1500万した。
靖彦と別れて四年半で、俺が自力でやってきた全てをつぎ込んだ象徴のような純白のメルセデスベンツ。
週末の夜に、群れる仲間もなくただ一人で行けるところまで遠くへ走った。
空が白む頃になると毛布をひっかぶって運転席で仮眠して、また東京へ戻る。
いつかはベンツ――少年の日の憧れの車を、俺はついに手に入れた。
このベンツに靖彦を乗せることは無いだろう――カイを隣に乗せることはもっとできない夢だった。
※ ※ ※
2001年 3月
母さんが死んだ――俺は29歳になっていた。
母さんの死はあっけなかった。
朝、香苗さんが起こしに行った時にはもう息をしていなくて、ひっそりと静かに亡くなった。
俺は自分でベンツを運転して、五年ぶりに帰郷した。
葬儀は親父と俺と、香苗さんと照也の四人の密葬で済ませた。
墓は母さんの故郷の小さな町にあった。
昔、小三の俺が香苗さんに連れられて、死にかけの爺さんに会いに行った町――親父や香苗さんや母さんの故郷。
納骨は首藤の本家の墓に入(はい)れるわけもなく、山の上にできた公園墓地の一画に親父が建てていた。
墓の表には【悠】とだけ彫ってあり、裏に母さんの名前の首藤志穂が刻まれ、横に建立者の親父の名前があった。
朴一之――それが、親父の本当の名前だった。
「ここなら私たちが通ってた中学校も見えるね~」
香苗さんが山裾に広がる町を眺めながら、ほっと息を吐いた。
「最初あっちへ行った頃、志穂さんは海の匂いがするのがなんだか生々しくて気になるって言ってたものね。ここなら、山の澄んだ空気がいっぱいだから、思いっきり呼吸できるだろ」
母さんはあまりにも長い間苦しんだから、それから解き放ってくれた死にみんなどこかほっとしていたのかもしれない。
隣の区画には照也の父親が眠る墓があった。
そちらへも花と線香を供えた。
亡くなった日をそっと盗み見ると、20年前の享年は33歳だった。今の照也とほとんど変わらない年齢だということに胸が詰まるような気がした。
照也は12歳で父親を亡くし、香苗さんは33歳で未亡人になった。
そして、同じ33歳だった親父は、無二の親友でかけ替えのない片腕だった男を失ったのだ。
「今度ここへ来るのは、私の納骨かなぁ。あ、そうなると、自分で来るわけじゃないか」
香苗さんは二つの墓を振り返って、軽口を言いながら目蓋を抑えていた。
照也は用事があるからと香苗さんを連れて日帰りで帰って行ったが、俺と親父は近くの温泉旅館に一泊する予定になっていた。
親父と二人で泊りがけで出かけることなど初めてだったが、照也が手配して有無を言わせてもらえなかった。
俺は自分のベンツで来ていたから、親父を助手席に乗せた。
いつも後部シートでふんぞり返っているはずだから、たまにはいいだろう。
「また目立つ車にしたもんだな」 俺の白いベンツを見た親父の最初の感想だった。
「俺が自分で稼いだ金で買った車だ。文句言うな」
「そうか・・・」
親父はそれだけ言って、ふっと笑った。