1996梅雨-6
酔いつぶれたタクロウさんを抱えてタクシーを拾うマリンさんと別れ、俺はまたスナックのある路地へ引き返した。
店の外まで常連客を送り出してきたママとらんちゃんが見えた。二人に近寄って声をかけている若い男――黒いシャツの上に、光沢のある上着を肩に引っ掛けた痩せた男の横顔が見えた時に、俺は手近にあったカラオケ屋の看板の影に身体を滑り込ませた。
九年前に別れてからまともに顔を合わせたことも無かったが、カイを見間違うことはあり得なかった。それでも、自分が15の中学生に戻って、いきなり大人の男と出くわしたような衝撃に打ちのめされそうだった。
当たり前のことだ、カイはもう俺と同じ25歳になるのだから。
カイが何か話し、美佐ちゃんは笑いながら頷いている。らんちゃんはカイの腕にぶら下がるように身体を寄せて、大きな笑い声をあげていた。
カイが煙草を咥えると、らんちゃんが素早くライターの火を着けて差し出した。
「――さんきゅ」
らんちゃんの肩を抱くようにして火をつけたあと、三人はそのまま店の中に姿を消した。
俺はその後を追うことができなかった。
「久しぶりだな、カイ。元気でやってたか」
タクロウさんやマリンさんと会った時と同じように、気軽に声をかければいいとわかっているのにそれができなかった。
カイの隣にはらんちゃんがいた。
カイは笑っていた――俺がいなくても。
※ ※ ※
かなえさんから鍵を借りて入ったマンションの母さんの部屋で、昔と変わらないドレッサーの引き出しの同じ場所に俺の探しものはあった。
母さんの宝物箱は、厚紙でできた箱に千代紙を貼った昔っぽい小さなものだった。子供の頃見せてもらった時と同じように、中身はたいしたことのないゴミ同然のものばかりが入っていた。
俺が幼稚園の頃作った母の日の造花のカーネーションとか、小学校の頃夜店で買った安物の指輪とか・・・・紫色のアメジストまがいのガラス玉のついたブレスレットは一度も腕に嵌められたことのないまま、母さんの宝物になっていた。
中学の修学旅行で、カイが買った美佐ちゃんへの土産の真似をして、母さんとかなえさんに買って帰った同じブレスレットはガラス製の宝石の色だけが違った。
緑色のエメラルドのブレスレットはしばらくかなえさんが嵌めていたが、そのうちガラス玉が落ちたと言っていたから捨ててしまっただろう。美佐ちゃんは赤いルビーが落ちるたびに、接着剤で付け直したのだろうか。
ブレスレットを箱に戻しながら、胸の詰まるような息苦しさを思い出した。
母さんは小さな俺をこの箱の中に閉じ込めてしまいたいと願ったのかもしれない。可愛い大事な子供――親父が与えてくれたたった一つの宝物として。
東京に戻る日、もう一度母さんを見舞った。
母さんは俺を抱きしめ、「元気でね。身体に気を付けて。ちゃんと食べるのよ」それだけ言ってそのままふっと笑って手を離した。
今度はいつ来るのかとは聞いてこなかった。
俺はもう母さんの小さな宝物ではなくなっていることに気づいたのかもしれない。