1996梅雨-3
駅前のコンビニで当座の食糧を買い、タクシーを拾って以前に住んでいた家に戻った。
閉め切られていた家は、六月の湿った空気の中でひんやりとかび臭かった。
とりあえず、雨戸をあけて風を入れ、元の俺の部屋に荷物を広げた。
部屋は俺が出て行ったままになっていて、クローゼットには防虫用のビニールカバーがかかった変形の学ランだけが掛けられていた。
【ベンクー】でダブルが見立ててくれた短ランとボンスリ。何度か喧嘩で破れて、その度にダブルが繕ってくれた跡が残っている。
他の学ランは次の代のハガやトラに譲ってやったのに、これだけは手元に残していた。
玄関で音がしたので様子を見に行ってみると、ショーヤが立っていた。
28になっているはずのショーヤは、いつも俺よりはるかに大人に見えて、自分が情けないほど成長していないように思わされる。
「久しぶりだな、ヒロ」
誰よりも憧れて、誰よりも憎んだショーヤ。
親父が俺よりもショーヤを選んだことを、俺は今でも許せないでいる。
「こっちにいる間、足代わりに仕え」
ショーヤが投げてくれたのは懐かしいフェックスのキーだった。
紅蓮初代のトップだったショーヤが乗って、二代目の俺に譲ってくれた単車。カワサキZ400FX。
「ここのガレージに置いてある。整備済みだから、ちゃんと走るぞ」
キーを握りしめていると、口惜しいことにじわじわと嬉しさがこみ上げてくる。
あんなに大事にしていたフェックスを、俺は紅蓮と一緒に放り出してしまった。
カイと一緒に走れなくなったことが、フェックスで走る楽しさも無意味に感じられてしまったからだ。
「今すぐ走ってきてもいいか」
「それなら、飯でも一緒に食うか。ジャスコの隣にステーキハウスができたんだが、なかなか美味いぞ。先に行ってるから一回りして来い」
ショーヤの笑った顔を見るのは何年ぶりだったろう。昔の兄貴の顔だった。
喧嘩で負けて何度もやり返しに行き、やっと勝って帰ってくると、「よくやったな」と褒めてくれた顔だった。
広い車庫に、カバーをかけられたフェックスがぽつんと一台置かれていた。
真紅の紅蓮の色にペイントされた、今も鮮やかな車体。
「ヘルメット被って行けよ。もう族は引退してるんだから大人しく走れよ」
門扉の外に停めてあったセルシオに乗り込みながらショーヤが笑って叫んでいた。
夕暮れの港と工業団地を一周してからバイパスに戻った。
懐かしいジャスコはまだ客を集めて賑やかだった。他にもバイパス沿いに大型電気店や安売り家具、回転ずしなどの店が増えて、どこの駐車場も車が満杯だった。
確かにこれでは駅前の商店街が寂れるわけだ。
新しいステーキハウスも客が並んでいたが、先に着いていたショーヤがテーブルから手招きして俺を呼んだ。
もう蒸し暑い季節なのに、長袖のシャツを着ている。
「フェックスはどうだ」
「昔と変わらない。いい走りをするよ」
昔馴染みの女を互いに褒めるような言い方に笑いが込み上げる。
ステーキを注文し、サラダバーで野菜をてんこ盛りしていると、
「おう、ショーヤ」
後から入ってきた客が、俺たちに気づいて大声で手を振りながら近寄ってきた。
「明後日にまた鳥由(とりよし)で飲むぞ。出て来い」
ツナギの作業着にエンジニアブーツのままの格好でステーキを食べに来た男はタクロウさんだった。もうどこから見ても貫録のあるおっさんにしか見えない。
ショーヤが笑って、俺を指さした。
怪訝な表情になったが、すぐに俺と気づきバンバン力任せに肩を叩かれて悲鳴を上げたいほど痛い。
「帰ってきたのか、ヒロ!じゃあ、お前も来い。マリンやアツシ達も来るぞ」
俺たちのステーキが運ばれてきたので、タクロウさんも自分の仲間の席に戻っていった。
「先輩たちはまだよく集まってるのか」
「地元に残ってる連中はな」
肉を切る手を止めて、ショーヤはタクロウさんのテーブルの方角をじっと見つめた。
「ヤクザと付き合うのは色々あるから敬遠する奴は多い。俺が今でも仲間でいられるのはタクロウのおかげだ。忠告する人間もいたらしいが、タクロウは『ショーヤはヤクザになる前からの友達だ。他人のてめぇが何を口を挟む必要があるか』って、言いきってくれたそうだ」
「タクロウさんは昔から変わらないね・・・ああ云う人が上に立っているから、仲間はバラバラにならないで済むんだろうな」