祭の後・後の祭
十四話 祭の後・後の祭
アコースティックギターにのせて、二人の男の人が過ぎ去った青春に想いを馳せる歌をうたっている。
「♪~戻れない。過去には戻れないから~」
「♪~過去を悔やむのは今を無駄にすること~今を生きよ~」
『♪~今を生きよ~』
ギターの音が薄暗くなってきた初夏の夕暮れに霧散してしまうと、客席からは大きな拍手が沸き起こった。ステージの横で販売されている、彼らの新譜の売れ行きも好調のようだった。
「過去を悔やむより今を生きよう」……か。ありきたりだなあ。
世の中に出回ってる曲に、百万回くらい使われてそうなフレーズだ。こんなんなら郷戸の書いた詞の方が独創的でかっこいいじゃん……なんて…。
「あ~っ!つっかれたああ。ねえ、ビールとか出ないのぉ?お祭りなのにしけてるわね!」
「お、お酒はだめですよっ。このあとみんなで反省会するって健吾さんが…」
「反省~~?反省することなんかないわよ!春花、あんたはしなきゃだめでしょうけどね」
「そ…そんな…!たしかにあれは自分でも悪かったと思ってます!でも富士子さんだってほとんど口パクして歌ってなかったじゃないですかっ!!」
「大転倒したあんたよりマシよ。私の口パクには、だれも気付いてなかったみたいだし?」
「でも…――!」
僕は黙って立ち上がると、舞台裏を出た。六月の風は少し肌寒くて、上着を持ってくれば良かったなと後悔した。
ふたりぼっちの物販が一段落して、人気がまばらになった会場に郷戸とハヤちゃんが立っていた。
「…郷戸…ハヤちゃん…」
二人は僕に気が付くと駆け寄ってきた。二人の手には、フルキンオリジナルグッズが入った袋が下げられていた。
「おお!もっちー!ご苦労であった!」
「おつかれ、もっちー!もっちーの分も屋台でいろいろ買っといたから食べようぜ?バクダン焼きあるんだ。好きだろ?」
「二人とも…それ…」
僕が指を差すと、郷戸は手にしていたもなっぷるグッズを振り上げて、ドゥハハと笑った。
「これか!全種類買ってやったぞ!なんせ我々が作詞作曲を手掛けたアイドルのグッズだからな!買わぬわけにもいかんだろう」
「タオル二千円にはびっくりしたけどなっ。けどけっこうかわいいじゃん、このキャラ。メンバーの子が作ったのか?」
「生写真はまあまあの出来だな。フォトショを駆使すればもっとサギれたのではないか!?ドゥハハ!」
僕は二人の言葉を聞くともなしに聞いていた。
舞台裏にいたときに感じていた激情は、とろりとした夜のなかに溶けだして消えてしまった。二人の言葉がカラカラと乾いた音をたてて落ちていく。
「――最悪だったよな…ライブ」
「もっちー?」
思わず漏れた呟きをハヤちゃんが拾ってくれた。
「もっちー、そんな顔すんなって。ま…最初はこんなもんだろ」
「小生の力が及ばなかったのかもしれんな…。大衆に認められる傑作を作り上げるというのは、なんと難しいことよ…!」
ちがう…。二人は頑張ってくれた。
そして、スタッフのみんなも全力で走り回っていた。
美空さんはフルキンが出てくる直前まで、商店街を走り回ってお客さんを集めてくれていたらしい。
岩島さんと榎本さんはいまも機材の片づけをやってくれている。
笠谷さんは、ライブの様子をサイト上で生中継してくれていた。
僕はライブが終わるとすぐに物販にかけつけて、売り子を手伝った。途中から役員席を抜け出してきた剛造さんも物販に加わってくれた。
バラバラだったスタッフのみんなが一丸となって走り回った一日だった。
それなのに…――。
「橋本くん!そこにいたんだぁ!探しちゃったよっ」
私服に戻った春花さんが、舞台裏から出てきた。郷戸とハヤちゃんは顔を見合わせてから、そろって僕の方を見た。
「さっきはごめんなさい!サビのところで転んじゃったりして……。つぎ!つぎは絶対がんばるからっ!だからまた一緒に――」
「いい加減にしてくださいよ…!」
「はし…もとくん?」
笑顔のまま固まっている春花さんを前にして、消えたはずの激情が再び溢れ出すのを止めることができなかった。
「練習…全然してなかったんじゃないですか…!!あのライブ観てれば誰だってわかりますよ!振りもめちゃくちゃだし、歌詞も飛びまくってるし!!なんなんですか、あれは!!ふざけないでくださいよ!!あの曲は…そこにいる二人が一生懸命考えてくれたんですよ!」
「あ…わ、たし…」
「一生懸命やって失敗したなら誰もがっかりしたりしませんよ!けど!!終わって舞台裏来て、みんなの顔見て気づきませんか!?めちゃくちゃがっかりしてましたよ!全員ね!!」
ハヤちゃんが「落ち着けよ」と肩をおさえたが、僕は乱暴にそれを振り払った。
どろどろと流れ出す溶岩流のような言葉で、目の前の春花さんを焼き尽くしてしまいたかった。たいした仕事もしていない僕に、彼女を責める権利なんてないはずなのに…。
「スタッフ全員、必死に走り回ったんですよ!なのに…あなたたちがそんなんでどうするんですか…お客さんだって……」
フルーツ王国が舞台そでに引っ込んだ後、すぐに外に出て物販に回った僕は聞いてしまったんだ。ライブを見ていたお客さんたちのリアルな感想を…。
『――さっきのやばくねえ?ぐだぐだじゃん!何がしたかったんだよ、ってかんじ…』
『わかるわかる!見てるこっちが恥ずかしくなったわ』
『アイドルっていうからABC58っぽいの想像してたんだよなあ。ちょっと期待しちゃったじゃんかー!』
『ご当地アイドルだろ?こんなもんじゃね?でもアレはないわ~。歌もダンスも下手すぎっしょ。やる気ないのバレバレ』
『ABC58よべよー!絶対無理だろうけど!!』
『無理すぎるだろっ。篠井商店街の祭りだぜ?そんな予算ねえって~。あのアイドルのグッズ見ただろ?いくらなんでもラミカ三百円はないよなあ』
『だれが買うんだよ、あんなグッズ!オバサンのサイン入り生写真とか需要なさすぎ!左にいた中学生はちょっとかわいかったけどな!』
『お前ロリコンかよ!アブねえなあ。まあ、あの子はダンスも歌もけっこううまかったよな。ずっと無表情で怖かったけど…』
『真ん中の女がコケた時もシカトしてたしなあ。じゃあ、やっぱナシで』
『篠井どんぴしゃもいつまでつづくんだか…。国道沿いにデパート誘致するハナシ出てるらしいし、そうなったら篠井商店街も終わりじゃねえの?』
『マジかあ。篠井商店街はどうでもいいけど、パンの松井は残ってほしいなあ。あそこのおやき好きなんだわ。あとバケツプリンも』
『だよなあ。どんぴしゃ祭りもなんだかんだで毎年来てるし。でも時代には勝てないってやつなのかねえ』
お客さんたちの言葉が離れない。それは澱となって、ゆっくり沈殿していく…。
「みんなに幸せな気持ちになってもらうのが、フルーツ王国の使命じゃなかったんですか!?それなのに、お客さんにあんなこと言わせて……」
お客さんたちの言葉は他のスタッフにも届いていたはずだ。
一緒に物販を行っていた美空さんと健吾さんは最後まで笑顔を崩さなかったけれど、舞台裏に引き上げてきたときには疲れたような表情を見せていた。
榎本さんは戻ってきたメンバーに「初ライブとは思えなかったですよ」などとフォローを入れたりしていたが、明らかに顔が引きつっていた。
監視から帰ってきた岩島さんは、ずっと無表情のままだった。そして『ふたりぼっち』の出番が終わると、なにも言わずに機材の撤収を始めた。
ライブの生中継を終えた笠谷さんはPCを閉じたまま、珍しく黙り込んでいた。僕がPCを覗き込むと、ライブの閲覧人数を示す数字が見えた。二けたに届くか届かないかの閲覧数だった。
そしてリーダーの剛造さんはライブ終了後に一回姿を見せたきりだ。
祭りが終わるまで役員席に出ずっぱりなのかもしれない剛造さんは、フルキンの醜態を見てさぞや怒り狂っていて怒鳴り散らすだろうと僕らは身構えていた。
しかし彼は、くたびれた顔で深い溜息を一つついた。そして、「みんな……ごくろう、だったな」と言ったきりあとは黙り込んでしまった。
この二か月間、あんな剛造さんの姿は見たことがなかった。いっそ怒鳴りまくってくれたほうが救われたかもしれない。
舞台裏に集まって、お通夜みたいに黙り込むことしかできなかったフルキン関係者の僕たち。それは、中身が飲みかけのまま投げ捨てられたペットボトルみたいに惨めな光景だった。
「こんなのって…情けなさすぎますよ」
僕は呻くように言った。
「もっちー、今この女性に当たったところで、終わってしまったものはどうしようもないではないか?もうよしたまえ」
郷戸が静かに、しかし有無を言わさない声色で僕を止めに入った。けれど僕はどうしても言わなければ気が済まなかった。
春花さんが弱々しく微笑む。バンビのような腕が小刻みに震えていたのは、外気の肌寒さのせいだけではきっとない。
「フルーツ王国が失敗したり、馬鹿にされてるとこ見るの耐えられないんですよ…!僕はあなたたちのプロデューサーなんかじゃないのに!!」
春花さんがおびえたように喉をならしたのが分かった。だけど僕は自分の無茶苦茶な言葉を止めることができない…。息を深く吸い込んで、冷たい言葉の弾丸を装填する。
「そんなんだったら…そんなステージしかできないんなら…もうアイドルなんかやめろ!!」
煮えたぎるマグマをさらに吐き出そうとすると、ふいに胸元に衝撃を感じた。
息が詰まって、「ぐうっ」といううめき声をもらしながら、僕は後ろ向きに倒れた。
「橋本くんっ!!」
春花さんが僕を助け起こそうとするのを制したのは郷戸だった。
「同胞が迷惑をかけました。もっちー…橋本は、我々が責任を持って連れて帰ります故、責任者の方に話をつけておいてもらえませんか?」
僕の胸に正拳突きをくらわせた郷戸は、春花さんに向かってそう言った。
春花さんは涙が混じったようなかすれ声で「わかりました…」と頷いた。
「ちょっ…ゲホッ、郷戸…!おま、え何勝手に…!」
「帰還するぞ。貴様は熱くなり過ぎだ。頭を冷やせ」
「よっしゃ、肩貸すぜ、もっちー」
ハヤちゃんに担がれて、僕はずるずると引きずられるように篠井商店街を後にした。一回だけ振り返ると、春花さんが手で顔を覆ってうずくまっているのが見えた。
後悔と惨めさと苛立ちが混ざり合った思いは、薄暗い電灯に浮かび上がる夜のなかでいつまでも音をたてて沸きだっていた…。




