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地獄

天界の巨大な黄金の門が、重々しい音を立てて閉ざされた。

背後に残された白光を振り切るように、白装束に身を包んだ五人は次元の狭間に架かる灰色の道を歩んでいた。


先頭を行くのは、交渉の全責任を背負った男、ジュドー。その背後を、部下であるエルマー、オルゴイ、デューン、メルクリウスが静かに続く。彼らの足音だけが、音のない回廊に空虚に響いていた。


「…クソッ…反吐が出るっスよ。あの輝きも、天使どもの余裕綽々としたツラも!」


沈黙を破ったのは、血気盛んなデューンだった。彼は拳を固め、毒を吐くように言葉を絞り出した。


「かつては我らも対等だったはずだ。それがどうだ。いつから我々は、あんな光り物の『お溢れ』を乞うような、薄汚れた乞食に成り下がったんだ」


「またその話か…?好きだねぇ…」


ジュドーはやれやれという顔をした。


「ある日を境に、すべては狂ったのさ」


メルクリウスが、冷めた声で応じる。彼は回廊に漂う淀んだ霧を見つめながら、かつての世界の均衡に思いを馳せた。

かつて天界と地獄は、光と影として完全に均衡していた。しかし、ある時期から現世での死者が爆発的に増え、地獄に魂が溢れかえった。地獄は本来、魂に過酷な労働を課し、そこから生じる苦悶を純粋なエネルギーへと変換して運営される。だが、流れ込む魂の数が管理能力を超えた。


「魂が溢れれば、エネルギーも増える……。当初は皆、そう楽観視していた。だが実際はどうだ。魂が増えれば増えるほど、それを抑え込む看守の生活コスト、維持コストが膨れ上がった。働かない魂、反乱を起こす魂、ただ消費するだけのゴミ……。結果として、地獄の生産性は死に体となり、逆に天界は、何ら努力することなく溢れ出す無限のエネルギーを謳歌するようになった。不条理なものだ」


「そもそも、天界のあのエネルギーの源は何なんだ?」


巨漢のオルゴイが、唸るように問いかける。


「我々が泥水を啜る一方で、あいつらはその源泉を隠し持っている。地獄の土地を切り売りしてエネルギーを借りるなんて、延命措置にすらなっていない。地獄も自前の『無限のエネルギー』を見つけない限り、奴らの奴隷のままだ」


「やはり平等であるべきです!力関係なんて失くすべきなんです!」


エルマーが悲痛な声を上げた。


「上流階級の奴ら…私達が天界から借りてきたエネルギーを自分たちの贅沢と現状維持に使い果たしているんですよ!?命懸けで交渉してきた成果を、あいつらはワインのように飲み干すんだ。……こんなの、間違っています!」


(私達がって…基本交渉しているの私だけなんだけど…)

そう思いながらジュドーは部下たちの議論を黙って聞いていた。

その瞳には、深い、黒い執念の様なモノが宿っていた。


やがて、回廊の終わりに巨大な鉄柵が見えてきた。地獄の正門である。

門を潜った瞬間、凄まじい熱気と、何万もの魂が発する腐敗臭、そして絶え間ない呻き声が五人を襲った。


「……毎度のことながらひどいですね」


エルマーが顔を顰めた。

そこにあったのは、もはや統治された国ではなく、極限まで詰め込まれた満員電車のようなカオスだった。行き場を失った魂たちが、赤黒い地面を埋め尽くし、互いの四肢を絡ませながら呻いている。看守たちが鞭を振るう隙間さえないほどに、魂が密集し、停滞しているのだ。


五人は、群がる魂を物理的に押し除け、踏みつけながら、中央にそびえ立つ建物へと向かった。

建物の最上階、地獄の君主と、肥え太った上流階級の貴族たちが待つ会議室へと、重い足取りで入っていく。


会議室の中は、外の地獄絵図とは一変して、豪華絢爛な装飾が施されていた。

しかし、その空気は死よりも冷たい。

正面の玉座に座る君主の傍らで、派手な衣装に身を包んだ貴族たちが、汚いものを見るような目でジュドーを見下ろした。


「報告せよ、ジュドー」


君主の重苦しい声が響く。ジュドーは跪き、額を床に擦り付けた。


「……ハッ。天界の上級天使らと交渉し、追加のエネルギー供給を取り付けて参りました。……代価として地獄の辺境領土を差し出すことで合意しましたが、当初の要求よりは大幅に面積を縮小させております」


その報告が終わるや否や、会議室は罵声に包まれた。


「無能が! 土地を差し出すだと!? 我々の領地を削ってまで、あのような連中にへつらうのか!」

「許可もなく土地を渡す約束をするなど、越権行為も甚だしい! ジュドー、お前は地獄の尊厳を売ったのだ!」


扇子を弄びながら嘲笑う貴族たち。彼らは、その土地で苦しむ魂のことなど微塵も考えていない。ただ、自分たちの支配領域がわずかに減ることを「自尊心の欠損」として憤っているに過ぎない。


「静まれ」


君主の一言で、部屋が静まり返る。君主は細められた目でジュドーを見下ろした。


「ジュドーよ、我は資源を得て来いと言ったのだ。土地を受け渡して来いなどとは一言も言って無かったはずだが…?」


「…っですが!!!」


それまで黙っていたエルマーが急に叫んだ。

ジュドーはエルマーにアイコンタクトを取り、それ以外発言しない様にと合図を送った。そして、一瞬だけ諦めた様な表情を浮かべ、再度額を床に擦り付けた。

その床には天界でも出会ったことのある萎びた顔が写っていた。


「申し訳ありません…」


ジュドーの謝罪を聞いた君主は続けた。

「…貴様の独断での契約は本来であれば罪に問われねばならんのだが……聞こう。天界の連中は、その土地を何に使うと言っていた?」


ジュドーは顔を上げて話した。

「……『新しい施設』を建設すると聞いております」


「施設だと? 奴らが、我々の不浄な土地に何を建てるというのだ」


君主は僅かに興味を抱いたように身を乗り出した。


「…ふむ…良いか、ジュドー。罪の裁きは保留にしてやろう。貴様は現地へ向かえ。そこで建設される施設の『正体』を暴き出せ。そして、再度交渉するのだ。……もし、天界の弱みを握ることができれば、地獄を売った罪は帳消しにしてやろう」


「……ハッ!ありがとうございます。」


ジュドーは再度深く頭を下げた。

床を見つめる彼の顔は、影に沈んで見えなくなっていた。


自分たちを使い捨ての道具としてしか見ない上流階級達。自分たちを軽蔑し、虐げる天界の上級天使達。その間で泥を啜り続ける自分たち。


(……救世主、か)


この狂った世界をひっくり返さない限り自分達は未来永劫報われない。そう分かっているのに自身の力では、もはやどうすることもできずにいた。

地獄の使いという立場でありながら神に救いを求めるという歪な状況になっていた。


ジュドーは拳を血が滲むほどに握りしめ、冷たい大理石の床を睨みつけた。

その背中には、地獄という巨大な墓場の、すべての絶望が張り付いているようだった。

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