13ダース・私情を操る駆け引き
_____半年前。
「養子縁組か、結婚か、どちらかを選んで下さい」
唐突に、涼宮響介からそう告げられた。
出所の日。
弁護士である涼宮響介が待ち構えていた。
身寄りがない香菜を急に引き取ると言い出した張本人。
これからは、涼宮響介の協力の許で生きなければならない。
差し出されたのは、養子縁組の申請書と、婚姻届。
(この人、何を考えているのだろう)
香菜は、自然と視線を遣る。
青年の表情は真顔だ。
冤罪と決まった訳ではない。罪を背負っている身だ。
緒方香菜は冤罪である、と宣戦布告し10年の付き合いになる。
長い月日が故に涼宮弁護士の性格は知っている。
傍若無人、神出鬼没、怖い物知らず。
何処までも心が読めなくて、ミステリアスだ。
唐突に、それを告げる真意が分からない。
けれども疑惑がある人間に対して
誠意を持って、相対して尽くしてくれた借りがある。
「(………何故、そんな事を言うのです?)」
携帯端末を借りて、メモ機能にそう打って告げた。
「曖昧な関係、僕はそれ自体が嫌です。
女性を連れていて疑わしい目で見られるのも御免です。
私はメリット・デメリットしか考えない人間だ。
貴女が生きていく上でこれからも関わっていく中で、
その辺りははっきりとしたい。
………それに、貴女にデメリットはないと思うのですが」
図星を突かれて目を伏せた。それはそうだ。
関係を怪しまれる。そして青年が言いたいのは
香菜にも肩書きが出来る、ということ。
涼宮響介は論理的で合理的な冷静沈着な人物だった。
最初から考えていたのだろう。
青年は、自身の人生計画を一ミリも狂わす事もない。
けれども突然の事に恐縮する。
恐る恐る文字を打つ手が震えていた。
『(………ですが、涼宮さんにとっては、
私の存在はデメリットになりませんか?)」
伺う様に尋ねると、
響介はその飄々とした面持ちを変えない。
「………先程も言いましたが、私は曖昧が嫌いです。
寧ろ、曖昧で居られる私の方がデメリットですよ」
「…………」
はっきりとした面持ちで、彼は告げた。
香菜は拍子抜けして俯いた。選択肢は2つしかない。
涼宮響介の養女になるか、妻になるか。
選ばねばならない。
迫られる選択の中で、刹那的に生まれた答え。
兄と思い込んでいた人が、叔父だった。
けれども、あの頃の自身は准の“妹であると同時に娘”だった。
(____私は、娘でありたい、あり続けたい)
緒方准、美琴夫妻の娘として、緒方香菜を仕舞い込みたい。
固執と執着。
心の何処かで緒方准の娘のままで居たい気持ちが勝り踊る。
2人が養父母である事、兄が香菜の誇りであり、
生きる糧だった事に今更、気付いてしまった。
まだ、娘でいたい。
なら、選択肢はひとつ。
指先を動かすと、婚姻届を取る。
残された選択肢である『妻』という立場を選んだ。
(全てを知った今、私は、私でいたい、ありたい)
守山の血を抱えただけの、空白ではいたくない。
和室の個室には、気まずい雰囲気と、沈黙が佇む。
傑からして見れば、守山家を裏切った息子が
綾からは自身の身代わりにした少女が、
それぞれ向こう側にいる。
涼宮響介は飄々とした態度を変えない。
麻緒も、合わせている。
「_____ところで、
守山様が、お電話で仰っていた大事な話を、
お伺いしてもよろしいでしょうか?」
響介が本題に身を乗り出す。
綾は今、目を覚ましたかの様にはっと我に返る。
弟と瓜二つの容貌と声音に心が揺らいで、
本題など脳裏から零れ落ちていた事に気付いた。
綾は無意識的に唇を噛み、俯く。
その刹那、威厳ある鋭い眼光の圧力を感じて顔を上げる。
____これ以上、守山財閥の顔に泥を塗ることは赦されない。
(お父様から見限られてしまう)
心の中に過ぎる不安と恐怖心。
「我がエスケープクロックホールディングスグループは、
今期から父が会長となり、社長職を私が父から引き継ぎました。
父が守ってきました従来の守山の威厳を残しつつも、
さらなる飛躍の為に変わりたいのです。
私は、福祉に力を入れたいと思います。
お聞きした所、涼宮様は福祉関係に力のある弁護士様なのだと
お聞きしましたわ」
「それは有難いお言葉ですが」
「先日、我社の専属の顧問弁護士が解任となりましたの。
ですので____社長である私から言いたい事は、
涼宮響介さん、
エスケープクロックホールディングスグループの
専任弁護士になってくれませんこと?」
響介の双眸が、微かに揺らぐ。麻緒も初耳だったけれども
飄々とした毅然な面持ちは変わらず、一瞬、頬を緩めた。
響介自身、野心や野望等は一切、心にない。
弁護士として肩書きを持っている以上、
任された仕事を責任、誠意をを持ってこなす、
それが使命だと思っている。
しかしそれは表で、
裏を返せば自身が興味が唆られる案件に、
とことん追求するだけなのかも知れない、と思った。
平凡と穏和だけが手元にあればいい。他は何も望まない。
来る者は拒まず去る者は追わず。
その心構えで生きている。
響介は自身に起きている身の事でも
傍観者目線で、第三者として、冷静沈着に捉えている節がある。
今だってそうだ。
ただ思ったのは、
守山財閥に固執している麻緒が喜びそうな案件だ、ということ。
ちらりと流し目に見た麻緒の表情は変わらない。
(貴女、自ら罠に嵌りに来たのか)
響介は心の中で冷笑する。
守山財閥に執着している今の麻緒は、棘の存在。
響介の元に麻緒が居る限り、身の危険は保証出来ないのに。
この話にOKを出せば、
弁護士としてのキャリアは、かなりの飛躍となるだろう。
こじんまりとした個人経営の、安泰だけを留まらせている
平平凡凡とした弁護士が、権力者である大者に見初められたのだから。
こんなに美味しい話を、逃す者など誰もいないだろうに。
(……その切羽が詰まると、暴走する癖は抜けていないですね。
(私情が暴走して、実力と平行出来ていない事を、
貴女はまだ知らない、この身の程知らず)
皮肉と嫌味。
守山財閥は裏社会すらも、恐れる権力を備えている。
響介の表情と掴めない態度に、綾は解放されたいと願う。
早く答えが欲しい。出来れば良い方向に持っていけるもの。
綾は父親の期待と認められたいという承認欲求。
その裏返しのプレッシャーで、今にも押し潰されそうなのだ。
早く傑の期待に答えなければならない。
時間も心の余裕もないのだ。見限られる訳にはいかない。
認められて、振り向いて欲しい。
そうするには、武装。そして武器が必要と考えた。
身に着けて見なければいけないもの。
涼宮弁護士は武器であり、盾になってくれそうだ。
此処で響介が、
許可の判決を下せば、綾は安堵の沼に落ちる。
けれどもそれで良いのだろうか。
守山家の人間性は有名だからこそ、耳にしている。
噂程度だけれども、傲慢で横暴、すぐに有頂天になり
自惚れてしまう。
まるで、ピノキオ。
人は天狗になれば、終わり。
(_____泳がそう)
甘く見て貰ったら、困る。
「大変、有難いお話ですね。大変、光栄に思います」
柔らかな微笑みを向けると、綾は安堵した様な表情に変わる。
(世間知らずの高枕、お嬢様。
世間はその権力で動かせ、買えても、人の心は買えない)
「ですが、
今の私にはあなた方のご期待に添えるか分かりません。
現に今の私は多忙です。暫く手が離せないでしょう。
そんな今の私が、
守山様のご要望通りに
ご期待に、ご希望通りに、動けるかは不透明なのです。
せっかく光栄な、
有難いお誘いにお答えしたいところですが
申し訳御座いませんが、
少しお時間を頂けないでしょうか」
凛然とした姿勢で、響介は淡々と冷静に告げる。
恍惚に満ちた心を打ち砕かれた綾は茫然自失としてしまう。
「_____そんな」
落胆の声音が、落ちる。
表情は曇り、瞳は闇色めいていたが、麻緒は悟る。
軈て憤怒の色が伺えた事を。
「貴方って傲慢な方なのですね。
せっかく、このエスケープクロックホールディングスグループが、
守山財閥がスカウトしているというのに断ると言うの?
そんな人間、今まで見た事がないわ。横暴ね。
こんな侮辱されて、なんと恥ずかしい事かしら。
守山より偉いとでも思っているの?
何も出来ない恥知らずが、ただの、この愚民が。
光栄に思いなさいよ。そして受けなさい?
___その首を縦に振って、はいと言って!!」
「止めなさい!!」
傑の怒号が、個室に響いた。
脳裏では解っているのに、言葉が、感情が、止まらない。
憤りと感じると我を忘れ、感情的に怒号、
相手を罵倒してしまうのは、綾の欠点でもあり悪い癖だ。
今回はそれらの要素と加え
全くの他人の空似であるのに、弟と重ねてしまったからか、
より言葉がきつくなり、暴走してしまったのである。
父の一喝で
我に返り、背筋が凍りそうになる。
(____私、なんて事を)
会社の理念と脳幹。
スカウトしようとした弁護士におぞましい罵声を浴びせたのだ。
涼宮響介は断っていない、時間が欲しいと告げただけなのに。
綾は思わず心から震えてしまう。
相手に罵声を浴びせてしまったと思うよりも
父親に軽蔑されてしまうのでは、という恐怖感。
罵声を浴びられた筈の響介は、毅然としている。
寧ろ、
「………私の言葉が悪かったですね。
改めまして申し訳御座いません。
守山様にお声掛けして頂きました事は大変、光栄に思います。
そしてご期待に沿う形でありたいと思います。
ただ、先程も申し上げました通り
私の現状では、
エスケープクロックホールディングスグループ様及び
守山様のご期待に応えるのか、少し考えたく思った次第です。
精進して上でより成長し、
エスケープクロックホールディングスグループ社様の
恥じない顧問弁護士としてありたいと思います。
その為にも申し訳御座いませんが、
お時間を頂けませんでしょうか」
低い物腰の姿勢が変わらず、
冷静沈着な大人な対応に、傑は開いた口が塞がらない。
落胆して俯いている綾の代わりに隣にいた傑が告げた。
「涼宮弁護士、申し訳ない。
まだ娘は社長に就任したばかりで未熟であり余裕もなくてね。
この御無礼をどうかお許しを」
傑が頭を下げる。
「___お顔を上げて下さい。
守山様が謝る事は何も御座いません。
事の発端は私の身勝手極まりない発言と態度でしょう。
謝るのは此方の方です。
ご期待に添えず誠に申し訳御座いません」
麻緒も揃って頭を下げた。
「貴方はお聞きした通り、誠実なお方だ。奥様も。
この娘の無礼は改めて申し訳ない。涼宮弁護士。
多忙さが落ち着きましたら、またご連絡を頂けますか」
「はい。是非。ご連絡致します」
傑が頭を下げ、小言で頭を下げるように促したが
綾は不機嫌な態度のまま。苦虫を噛み潰したような
面持ちをして、不機嫌な態度のままだった。
______会食後、車内。
車内の明かりを付けて、少し駐車場に車を止めたままでいる。
頬杖を付いた響介は流し目に助手席に居る彼女に目を遣る。
助手席のシートは少し倒して、横になっている。
「罵倒の舞踏会でしたね。疲れました。
でも………貴女からしたら、落胆したでしょう」
「(____いいえ)」
携帯端末に浮かんだ言葉。
守山財閥に固執にしていた麻緒にとって、残念な結果になっただろうに。
「(…………それこそ、
涼宮さんこそ、良かったのですか。あの答えで)」
「私は人をその気にさせて落とすのが好きですからね。
歪んでいるでしょう?
ついでに言うと修羅場も大好きだ。
それに易々と従って、軽い人間とは思われたくないから」
麻緒は意外な視線を向ける。
「(…………じゃあ、
私もいつかは、なかった事にされるのかしら?)」
「…………それはどうでしょうね」
「(………泳がせる方法は良いかも知れない。
寧ろ、私は有難い事でした)」
「……………有難い事?」
響介は頬杖を解き、不思議な視線を向ける。
そして無意識的に悪寒がしぞっとした。
窓鏡越しには彼女が写る。
それは響介が下した鉄槌に
麻緒が優しい微笑みを浮かべている事に。
(_____天罰は私が代わりに下してあげる。
誰かの奪われたものを奪ったら、自身も奪われるものがあるという事を、ね?
____貴女が墓穴を掘るのは、意外だったけれど)
登場人物の会話(言葉の表現)により、
ご気分を不快にされた読み手様、誠に申し訳御座いません。