生きるべきか、死ぬべきか、それが問題だ
こんな事は初めてのため、思わず目を擦って二度見してみたところで、空の寝床に変わりがある訳でもない。
(どうしたんだろ、母さん?)
見知った人が急にいなくなる場合、病死や餓死を除くと獰猛な幻獣に喰われるというのが実情のため、嫌な可能性は考えないように排除して身なりを整える。
それでも心配事は尽きず、手持ち無沙汰なまま身内の帰りを待っていたら、外より遠慮がちにドアが叩かれた。
「ユウ、もう起きてるよね?」
「ん、ちょっと待って」
聞こえてきた幼馴染みの声に応え、扉を開いて出迎える。
「おはよう、レナ」
「おはよう… って、キョウコさんいないの?」
肩まで伸ばした鳶色の髪を揺らしながら、室内のベッド付近を覗き込んだ彼女の呟きに対して、僕は曖昧な態度で微笑を返した。
「昨夜の仕事から帰ってないみたい」
「えッ、珍しい、というより大丈夫かなぁ」
「それもあるからさ、訓練校は休んで待ちたいんだけど……」
「わかった、登校班の皆には私から言っておくね」
二つ返事で頷いてくれた彼女は気遣うように苦笑した後、軽快な動きで反転して集合場所へと駆け出していく。
遠ざかる背中を見送ってから、良い機会なので今日は僕が朝食を用意しようと調理場へ向かい、近場にある所蔵へ手を伸ばした。
何気なく掴んだ鶏卵はしっかりと洗浄されてさえいれば数日は常温保存できるのだが、そろそろ危ない気もするので、お母さんが帰ってきたら目玉焼きにしよう。
一人で軽く頷いてから、まだフランスパンが残っているのを確認し、取り敢えずスープでも作ろうと玉葱を手に取って皮を剥く。
何とか涙を堪えて薄切りにし、有塩バターを溶かしておいた鍋へ投入した。さらに塩とコンソメ顆粒も放り込んで、ひと煮込みした上で乾燥パセリを散らせば完成。
(あと準備できるのは……)
日持ちするように堅く仕上げられた水分の少ないパンをナイフで切り、簡素な朝食のお膳立てを終える。
当然に独りで食べる気は毛頭ないため、小一時間ほど母さんの帰宅を待っていると、再度ドアがノックされて野太い男の声が聞こえてきた。
「すまない、葦原君はご在宅か? 私は財閥の治安部隊に所属する木崎だ」
朴訥な呼び掛けに応じてドアスコープを覗き、黒を基調とした胸襟型の軍服など纏う男女を確認する。徽章も含め疑うべき部分は無いと判断して扉を開ければ、気怠そうに男性は煙草の紫煙を吐き出した。
「昨夜、外縁区画の歓楽街に中型種一匹、小型種三匹の幻獣が突っ込んできてな… 聞き込みを元に被害者の身元確認をしている」
一息で喋った後に彼が視線で促すと、控えていた女性が血の滲んだ布で包まれた何かを差し出す。彼女は気が進まないという表情で布を捲り、喰い千切られた細い手の一部を見せた。
「うぁ……」
一瞬だけ思考が停止して、この千切れた腕の持ち主はどうなったのだろうと馬鹿な事を考えてしまう。そんな放心したような状態でも、僕の視界は左手指に嵌められている銀製の指輪を捉えた。
何処か見覚えのあるそれは細工師だった父さんが製作し、若い頃の母さんに送ったという世界で一つだけの逸品。昨日の夕刻、出掛ける時にも付けていた思い出の指輪に他ならない。
……………
………
…
突然に身内の不幸を知った直後の記憶は酷く曖昧で、混濁していたとしか言えないが、心神喪失のような状態でもここに留まれない事くらいは理解できた。
あくまで自分は護られていただけの存在であり、毎月の家賃やプロパンガスの支払いは言うまでも無く、衣服や食材ですら自前で用意するのは難しい。極論を言えば、僕は何一つ自力で生きてはいなかったのだ。
それでも幸いな事に “子供は有効な資源” であるため、投じられた養育費を全額借金として背負わされる覚悟さえあれば、孤児院の名を冠した戦闘職の育成施設に身請けして貰うことは可能だ。
(問題なのは… どう在るべきか)
既に迷惑を掛けるような身寄りは無く、流されるままに生きても構わないものの、状況次第では早々に両親から受け継いだ血を途絶えさせてしまい兼ねない。
「若干、ご先祖様に申し訳ないし、それは嫌だなぁ……」
軽く悪態を吐きつつも、“一秒、一秒の積み重ねが人生、いつか困難に出会った時、後悔しないように生きなさい” と、母さんがよく口にしていた言葉を思い出した。
反射的に涙腺が緩みそうになり、ぐっと堪えて意識を先鋭化させていく。
「結局、親孝行なんて碌にできなかったけど、せめて情けない生き方はしないよ」
現状では非力に過ぎないとしても、また大切な何かを失わないため、これからの日々を疎かにしないと誓う。平凡な自分に才能があるとは思えないから、人の何倍も慢心せずに努力して、傷付くのを恐れずに歩むと決めた。
「…… 必要なのは “何を成せるか" や “成功の保証” じゃない、執念だ。折れず、曲がらず、倒れるにしても身を前へ投げ出して、僅かな距離を稼ぐ」
改めて言葉にした事で、今までの自分が如何にぬるま湯へ浸かっていたかを実感する。所詮は主観的な満足に甘んじて、自他へ弁明するための半端な努力をしていたに過ぎない。
(ここからは最善を尽くそう、生きている限り)
内心で深く決意をした翌日、僕… いや、おれは木崎さんの差し金なのか、様子を見に来てくれた財閥が運営する孤児院の職員に促されて、住み慣れた家から去った。
という訳で、第二話のサブタイもシェイクスピアのハムレットから頂きました٩(ˊᗜˋ*)و