第四話
啻山の緑は生き生きと鮮やかで、夏の日射しを跳ね返し、目に眩しい。
その東麓に広がる都市、啻万麓もまた、街中が光に包まれている。
「私も啻万麓は十数回参ってますが、さすが『紅雪閃光城』、いつ来ても美しい光の都でございます。」
秦州からの使者、和酬が感嘆し、
「そこまで言ってくれると、こちらも嬉しい。此度もゆっくりしていかれるがよい。」
因州王の美宜粽も、満更でない様子で相好を崩している。
啻万麓。
因州王府が鎮座する、因州の州都である。啻山の東麓に位置し、南北を山の尾根が遮り、因州平原に面する街の東端は長大な城壁が立ちはだかって、堅牢なる城塞都市を形成していた。
大陸の建造物は、磚という煉瓦で内外装を仕上げることが多いが、この啻万麓の特徴はこの磚にあった。
啻万麓では、全ての建物が「紅白磚」という独特な磚で建造されていた。紅白磚は、白砂を大量に含んだ粘土を焼成して作る白磚と、丹塗りの光沢ある紅磚から成る。日中の啻万麓は、紅白磚が日光を反射して街中に白と紅の光が溢れることから、「紅雪閃光城」と呼ばれ、先の和酬と同様に来訪者たちは皆、この光の街に驚愕するのである。
「老龍眼、あとで啻万麓の酒を幾つか、使者殿にお教えしたがいい。」
「そんなそんな。圃韓様にはすでに色々教わってますれば。先日は『緋山氷露』を頂きました。」
名指しされた圃韓は、胸から下がる金鎖と、その先に付く小さな四角い金板を優しく触りながら、使者に笑いかける。
「あれは、お口に合いましたか?少し甘味が強くて好き嫌いが分かれますでな。」
啻万麓の街の最奥、つまりは啻山のすぐ麓に、因州の州王府が建つ。街の建物と同様、紅白磚でその躯体を覆い、夏日を跳ね返しているが、庁内も太陽光が取り入れられてとても明るかった。
先程から会合がもたれている庁内の議場である金堂にも、紅白磚がふんだんに使用されて例外なく光が満ち、汗ばむ程である。
「はい。数本持ち帰り、秦州王穂泉煎以下に飲ませましたが、皆口に合ったようで。州龍鱗の祖子惻、我が交相の奉濠等は、此度の派因にあたり、わざわざ拙宅に参って土産に所望しております。」
「それはそれは。奉濠殿もお好みか。当家の奉忙も酒好きだからな。」
和酬の右に立つ、一際目をひく美麗な男が、鈴のように凛とした声を鳴らして、聞いた。
「そうでしたな、美萊峩様。奉忙様は、お兄様の ― 美獣公子の ― 外向きの関係をなさっておいででしたな。伯父甥の関係ですから、酒についても遺伝されてるようで、昨年も我が奉濠の邸で痛飲された由。」
「あはは。そうか、やはり一族。似るもんだなあ。」
また鈴のような声で、若く麗しい男は笑う。だが目は笑わず、少し思案するように金堂の飾り天井を見つめている。
しかし、そこにいる者の誰も、彼の様子を気に留めていないようだった。
今、金堂には四人居る。
豪奢な州王座に座る大柄な男は、因州王・美宜粽。金堂の上座にどっしりと座り、頭上の玉冠からは豊かな白髪を垂らす。一州の王として、そして名族の当主として、その威厳は疑うべくもないが、表情は柔和で、目尻にも頰にも笑い皺を多く刻み、下座に優しい目を向けていた。
美宜粽の前に正対し、拱手したまま立っているのが、秦州王・穂泉煎の正使で、秦州交相代の和酬。
そして、和酬を真ん中にして、左右から挟むように向き合っているのが、圃韓と美萊峩。
圃韓は、因州王府における第一大臣、通称で言う龍眼である。沁みや皺だらけの顔、喉の縦皺、枯れ枝のように細い腕、紗の長袍はだぶだぶとして体に合わず、齢六七の老醜は覆うべくもないが、しかしその濁った眼には、いまだ力があり、為政者としての鋭さは州王美宜粽よりも感じられた。
そして、圃韓の正面に立つのが美萊峩。先ほど鈴のように凛とした声を発した、優美な男である。青い長袍も、その目元も涼やかで、汗ばむ夏日に満ちた金堂も、彼一人いることで清爽に感じられた。因州王・美宜粽の次男、公子・美獣の弟にあたる。優しい顔立ち、すらりとした立ち姿は、若い頃の美宜粽に相似するとよく言われるが、時折見せる思案顔は、兄美獣の影響を強く受けていると思われた。
「税命殿は、龍牙代はお元気か。捻州との州境がしばらく危ういからのう。気が抜けまい。」
圃韓が喉の縦皺を震わせながら、和酬に問う。美宜粽はそうだ、そうだ、と頷き、美萊峩はこの問いで思案を更に深めたようである。
「左様ですな。州境の前線部隊がちょくちょく衝突して難儀しております。いや、それだけならまだしも、秦州平原の中では流賊が暴れてまして。税命も体一つ、なかなか手が回りませぬ。愚息の和群乏がもっとしっかりせねばいかんのですが。因州軍の精強が羨ましいばかりです。」
「とんでもない。因州も、この乱世に翻弄されておるわ。しかし、そうじゃ。圃韓よ、囮丘攻めは昨日からだったか。」
美宜粽は、玉冠から垂れる白髪と、そこから繋がる真っ白な口髭を、ゆったりと触りつつ、右に立つ圃韓に顔を向ける。
「はい。昨日一日で、公子は攻略を完了しております。」
「なに?もう、終わったか。」
「損張労を山寨から誘い出し、囮丘の丘陵地帯で主力を殲滅した由。日中に降伏を受け入れ、夕刻までには山寨も占拠したとのこと。」
「ああ、美獣様!」
和酬が大袈裟に天を仰ぐ。
「因州はやはり凄い。公子である美獣様ご自身が、類い稀な武勇であられる。啄飯道の本山、奏同を我が州王と連合して陥されたのを、秦州では今も皆感謝しております。あれはもう、何年前になりますか」
「八年前になりますな。1798年の9月でござった。」
圃韓が即答し、和酬が額をピシャリと叩く。
「そうでした、そうでした。そしてその後。今から三年前になりますか、時の因州作相である圏辛韓が謀反されたが」
その話か、とさすがに美宜粽は苦笑したが、和酬は興奮していて、因州王の反応に構わず、ここは喋り通した。
「それも、美獣様が見事に鎮められた。咎寮という要害に拠って、あれほどな実力者が反旗を翻したのに、まともな戦闘もせず、攻略なさった。緻密な調略を巡らせたと、秦州でも大いに話題になり申した。それに比較しますと、残念ながら我が州の税命は、とても至っておりません。昨日のその損張労なる賊、三千からの軍兵であったとか。我が州であれば、ひっくり返ってしまう数ですよ。」
「まあまあ、和酬殿。賊が拠った囮丘というのは、公子の牙城である囿治果から近くてな。公子としては面子がかかっておるし、兵站も容易だし、賊は自ら不利な状況に身を投じた訳よ。」
圃韓の言葉を、美萊峩が継ぐ。
「それに兄上も周りの力が無ければ勝てませぬ。まず、老龍眼の懐刀、『檗輪単眼』も昨日はご活躍だったようですしね。」
「いや、穆薀よりも、公子直属の啓潔や困士甜が奮戦したはずじゃよ。」
「しかも、ここにいらっしゃる『青光麗弟』は囮丘征伐に参戦せずに勝ってるんですからなあ。まさに因州に将星、綺羅星の如く、ですな。羨ましゅうございます。」
和酬はそう言うと、ほう、と一つため息をついたが、何か思いついたように、美宜粽へ向き直った。
「宜しければ貴州から、捻州王の必黄站殿に、一言耳打ちして頂けると大変ありがたく思います。」
「ん。捻州に?それはわしから、秦州に手出しするな、と言えばいいのか ― 」
「和酬殿、良いとは思いますが。」
そこで鈴の鳴るような声が、美宜粽州王の言葉を遮った。
「秦州も、北へちょっかいを出さぬことです。穂泉煎州王から此方へお言葉を頂ければ、すぐにでも捻州に派使するでしょう。そうですね、父上。」
「ううむ。」
美宜粽は、うなった。
圃韓は場を抑えるように、枯れた両腕を差し出す。
「美萊峩殿の言うことも一理ありましょう。こういうことはお互い様じゃからな。我らにとっては捻州も同盟国。秦州と捻州が揃って、静謐でおるのが最善ですぞ。」
「そうですな。いや、全くその通り。『麗弟』殿、まさしく仰る通りでございます。穎邑に帰って、我が秦州王とも協議します。」
そう言って和酬は拱手し、美宜粽に頭を垂れた。
当の美宜粽は和酬を見ず、美萊峩に優しげな目線を送り、圃韓も同様に美萊峩を見つめているが、その目には少し鋭さがあり、胸の金小板を触っている。州王と第一大臣から注視されている美萊峩はといえば、その涼しげな眼差しにいまだ思案の色を浮かべていた。
午後もしばらく経って、夏の日輪は南天を大きく過ぎたが、因州金堂の中はいまだ明るく、紅白磚で覆われた内壁が二色の光で溢れている。
四人はその中にあって、会談を締めくくりつつあった。