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第参話

 9月7日午後。

 州王府を出た圃韓(ほかん)は、啻万麓(ていばんろく)の自邸に戻り、圃戒仕(ほかいし)と穆薀(ぼくうん)を呼んだ。


「何事でありますか、父上。」

 嫡男である圃戒仕は、三白眼で睨む。

「啄飯道(たくはんどう)への今後の対応を祭相府の対策官と協議しておった所です。申し訳ありませんが、火急の用事で無ければ早々に龍眼府へ戻ってよろしいでしょうか。」


 圃韓は顔をしかめた。

 最早、啄飯道どころの話ではない。因秦(いんしん)両州を、いや穣界(じょうかい)を震撼させるような事態が出来(しゅったい)しているのだぞ ―

 圃戒仕はまだ知らないのだから仕方ないのだが、老龍眼は苛立ちを禁じ得ない。


 対して、穆薀は黙して主君の言を待っている。

 しかし、こちらはこちらで多少顔が引きつっている。圃韓の様子からただ事ではない、と察しているのだろうか。


「火急の、いや我が因州がひっくり返るほどの、大事じゃ。」

「えっ。」

「美獣公子が、秦州へ侵攻すべく出師(すいし)した。」


 圃戒仕は口をポカンと開けて、しばし言葉が出ない。ゆらゆらと身体が左右に揺れ始めた。

 穆薀は武人らしく、いよいよ顔を引き締めて、問う。

「囿治果(ゆうちか)からですな。いつでございましよう。」

「さよう。9月4日昼、困士甜(こんしてん)率いる輜重隊が囿治果を出、翌9月5日夜には早くも美獣公子軍が進発した。その数、六万。」

「六万?」


 今度は圃戒仕と穆薀が同時に叫んだ。

「し、失礼しました。」

 穆薀はそう言って周囲を見回すと、声を落として喋り始める。

「あまりな大軍なので、つい大声が出ました。しかしそれは秦州を襲おうとしているのですか。」

「契冬蹊(けいとうけい)が、嗷号(ごうごう)の言葉として聞いている。」

「では確かでしょうな。美獣様曰く、表向きは混乱する禾奔頭への援軍でしょう。しかし、援軍を口実に進入してそのまま秦州に居座るお積もりでしょう。」

「じゃろうな。なぜこんなことに… 。」

「美獣様は一世の英雄です。因州を飛び出していくも必然と考えざるを得ますまい。だが美宜粽(びぎそう)州王は許さぬでしょう。公子をお止めしなければなりません。」

 穆薀はそう言いながら左横を見た。


 圃戒仕は黙ってうつむいていた。その表情は影になって分からない。


「そうじゃ。我らがそれを止める。」

 穆薀は、うっ、と少しのけぞった。

「『我ら』ですか。國朶鎮の圃家兵だけで?龍牙府は動けませんか。」

「うむ。残念だが喋工励(ちょうこうれい)曰く、最早因州の兵権は美獣公子が握っておるそうじゃ。あとは、美萊峩(びらいが)様が州王側についてくれるかどうか。」

「それは… 。かなり厳しいでしょう。美萊峩様は聡明でらっしゃる。兄君の器量を充分ご存知であり、その上で敵に回すようなことはしますまい。」


 ここまで言って、穆薀は再び左を盗み見る。圃戒仕は、変わらずにうつむいていた。

 圃韓はまっすぐ穆薀の隻眼を見つめ、喉の縦皺を震わせる。

「穆薀、圃戒仕。我らの側に付く者がいないか、それは諦めずに探すが、恐らく我が圃家のみが、単独で公子の大軍を身を挺してお止めすることとなる。勝ち目は低い。じゃが、因州龍眼の家として、指をくわえてこんな悪事を見逃す訳にいかん。因州に、筋を通した家が一系あることを、史上に残さん。その為に二人の力を貸してくれ。

 圃戒仕。聞いておるか。」

 圃韓は圃戒仕の様子に気づいた。

「あっ。はい。」

 問われて、圃戒仕は反射的に顔を上げる。


 顔色は尋常。表情は冷静そのものだが、潔く覚悟を決めたようにも見える。

「父上の仰られる通り、我が圃家は他家よりも公的な立場にあります。龍眼と龍眼代の現職がいる訳で、美宜粽州王のご意向にただひたすらに沿わねばなりません。美獣公子を死ぬ気でお止めしましょう。」

 いつもぎこちなく、激しやすい不安定な男だが、この時は流れるように言葉が出た。圃韓の話を聞いてなかったどころか、さすが嫡男、父の意を完全に汲んだ頼もしい言葉である。


「よくぞ言った。それでこそ圃家の跡継ぎ、因州龍眼代よ。」

 圃韓は喜び、すぐ顔を引き締めた。

「州王の密命は秘中の秘。以後の対応、戦備、ゆめゆめ美獣公子に露顕せぬよう、細心の注意を払え。」

「このまま策を協議しますか。」

 穆薀は前に進んで圃韓との間を詰めたが、圃戒仕が制した。

「急くでない。公子軍の行軍が速いのは確かだが、これ程の難事業、今思いつきで議論すべきでない。改めて集まりましょう。」

「ふむ、そうじゃな。」

「明朝10時。こちらに参ります。穆薀も良いな。」

「はっ。それまでに私も熟慮致しましょう。」

 穆薀は後ろに戻り、再び圃韓との距離を空け、金糸の眼帯を鈍く光らせながら同意した。


「よし。では後は、明朝。さて、おい。誰か!」

 圃韓が手を打ち、侍童を呼んだ。

「犬甜(けんてん)の剽取由(ひょうしゅゆ)へ使いを。これを持たせよ。」

 と言って書簡を渡す。

 侍童が房室を出た後、穆薀が囁く。

「剽氐(ひょうてい)様をお呼びになるので?」


 圃韓はそれには答えず、ただ首から下がる金鎖をちゃらちゃら鳴らし、金小板を弄っていた。

 昼光が圃韓の執務室に射し、紅白磚(せん)が鮮やかな反射光で房内を満たしている。


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