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美獣を止めよ ~『斐界群史』詳伝  作者: 適当館 剛
第壱章 囮丘に大軍が始動す
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第参話


「左翼は槍兵を囲めえっ。北にまだ六人、敵歩兵が残存、右翼はこれを包囲っ。急げ、必ず殲滅せよ!」


 吼了欽(こうりょうきん)は肩を抑えながら地に伏し、まっすぐ屹立して指示を出す武人を見上げている。


穆薀(ぼくうん)様、ありがとうございます。」


 夏の太陽が逆光となり、顔も分からなかったが、吼了欽を助け起そうと武人がしゃがんだので、確認できた。

 黄檗(おうばく)艶消しの兜に、同色真円の前立てをあしらい、鼻梁高く、厚い唇は莞爾(かんじ)と笑って真っ白な歯が眩しい。そして、一重(ひとえ)の大きな眼は優しく、こちらに向けられている。


 だが、その眼は右に一つしかない。

 顔の左半分を覆うように、金糸で編まれた大きな眼帯を付けている。


 檗輪単眼 ― 穆薀の異称は、こうした風貌を由来としていた。


「左は動くか。」

 穆薀は助け起こすと、手早く吼了欽の左肩当を取外し、独眼で顔を覗き込んできた。

 激痛はありながら、思ったより動く。そして動かしつつ、首を巡らせた。

「はっ。本当にありがとうございます。」

「ふ。磐周挿(ばんしゅうそう)殿は今、再保護できた。もう一人の槍兵は確かに彼を襲いに行った。だが、我が手勢が今討ち取ったところだ。お前、人の心配より、自分の怪我に配慮せい。」

「はっ。しかし…」


 吼了欽は痛みを堪えながら、悪戯(いたずら)っぽく笑う。

「そう仰られると言いにくうございますが、圃戒仕様はご無事であられますか。」

「無事。ただ、今日は功無しかな。誰のせいか知らんが。」

 穆薀もまた笑いながら、吼了欽を立たせ、そうしながら油断なく、戦場にぐるりと目を配る。

 賊兵の姿はもはや見られなかった。奴等は皆討たれ、逃げ、降伏し、戦場に立つのは我が軍 ― (いん)州王府正規軍 ― の軍兵のみであった。近くでは、穆薀の手勢が指示通りに動き、蒼い旗も回収されているから、彼が言う通り磐周挿も無事なのだろう。


「お前は、圃家では軍功第一であろうからな。相手は、賊軍でも新参の、どうも(ねん)州出身者で構成した部隊だったようだが。しかし数は多い、五十人はいた。」

「私が斬り込んだ群れが、ですか。そんなにいましたか。」

「無茶するならせめて数を見積もってからやれよ、まったく。賊の中でも特に調練が浅い連中で、統率もあったもんじゃなかったからな。そうでなければさすがのお前でも、単身で突破などできぬ。しかしあの武勇で鳴る磐周挿殿が、討ち死に一歩手前であったから、敵の個々人は腕自慢が多かったようだ。吼了欽、何にせよ果敢な突撃であった。」

「恐縮です。」

 夏の晴天下、黄ばんだ丘陵が茫漠と広がる。戦争は終息しつつあった。賊軍相手だからかもしれないが、因州王府軍の軍兵は勝利の喜びに浸るでもなく、散った部隊を終息し、点呼し、淡々と戦後の処理を行なっている。

 穆薀のもとにも彼の配下が続々と集まり、諸報告をする。よし十五名、全員無事だな、と確認し、穆薀は隊を率いて歩き出す。


「お前が忞番対(ぶんばんたい)とともにいた時点で、すでに五つの首級を上げておろう。その後、孤立した磐周挿殿を救うべく単身で五十人部隊を突破。一時的に磐周挿殿を救い、またお前が開いた突破口を、忞番対から知らせを受けた俺が小隊率いて駆けつけ、彼の救出を完了し、五十人部隊を攻略した。これでいいな。」

「はい。しかし。」

「ん?どこか違うか?そうか、俺の動きはお前には分からないもんな。済まぬ。」

「いえ、穆薀様には、戦の最中にそこまで経緯を整理できるのかと。戦闘は、つい今しがたのこと。忞番対に聞いたのかとは思いますが。」

「他の者からも注進があり、忞番対の発言の裏も取ってある。そうそう、その事よ。お前、今いくつだ。」

 それまで優しげだった穆薀の隻眼に、きらりと獣のような光が宿った。吼了欽は両脇からどっ、と発汗したのを自覚する。

「じゅ、十九でございます。」

「まだ若いな。でもお前の役割は、匹夫の勇にかまけて目先の功を刈り集めることじゃない。この戦役におけるお前の任務は、圃戒仕様に寄り添って実質的に部隊を統率する役目だったはずだな。だが、わしが言いたいのは戦場の話だけではないぞ。圃戒仕様の右腕として、もっと広い視野で因州、いやさ穣界(じょうかい)や都の情勢も、視れるようにならなければならぬのだ。」

「はい。」

「俺には多くの伝手、知己がおり、戦場でも、街でも、様々なことを知らせてくれる。そうやって入った情報を分析し、最適に判断することで、まず自分の配下、十五名を守り、かつ此奴らの力を最大限発揮できるのだ。お前もこの程度のこと、すぐ出来るようにならんといかん。槍働きがお前の役目では無いんだからな。」

「はい。吼家の継承者として、肝に命じます。」

 穆薀は、吼了欽の左肩を見る。

「配下を収容し、負傷の度合いを把握して、お前も一緒に軍医にかかれ。それも部隊を預かる者の責務ぞ。」

「はい。」


 穆薀の隻眼が鋭い。

 折角の武功がけなされているようにも感じてしまうが、そうではない。今後家中の柱石になってほしい、穆薀は吼了欽にそう期待しているのだ。


「しかし、その兜は目立つな。」

 穆薀は苦笑いを浮かべる。

「いえ、この金八光(きんはっこう)ばかりは。老龍眼(りゅうがん)に頂いたものですから。」

「そうであった。しかし、派手なこともあるが、なまなかな兜とは比べると拵えが段違いに良いから、武人なれば皆目を奪われる。」

 ちら、と吼了欽の背後を見やってから、穆薀は顔を寄せてきた。

(圃戒仕様だったら、到底賜るまいて。)

 吼了欽はぎょくん、と唾を飲み込み、再び発汗した。そしてそれと同時に穆薀は叫んだ。


「圃戒仕さまあー!こちら、こちらに吼了欽がおりますぞ!」

「え?」


 吼了欽は驚き、振り向いた。

 50mほど向こうに、細身の武将が大馬(だいば)の背に乗っていた。

 穆薀の呼びかけが聞こえたか、馬腹を蹴る。馬が物憂げに歩を進め、こちらに向かってくる。


「奥方も一度、啻万麓(ていばんろく)にいらしたがいい。」

 近づいてくる武将が馬にゆらゆら揺られる様子にじっ、と見入ったまま、穆薀はつぶやく。吼了欽は再び発汗を自覚しながら、素振りも見せず心中で首をすくめる。


(それは、止した方が良いような。確か、奥方は穆薀様を)

 などと思う内に、騎馬は眼前まで迫っていた。見上げれば馬上にか細い武将 ― 圃戒仕が手綱を握ってこちらを見下ろしていた。ぶるるん、と馬の鼻息が吼了欽の顔にかかる。


「これは、ほ、圃戒仕様。この度はお側から離れ、申し訳ございませぬ。」

 吼了欽は、左肩を抑えていた右手を離し、拱手した。

 すると畳み掛けるように穆薀も、馬上の人物に言う。

「圃戒仕様、吼了欽殿は磐周挿隊壊滅の危機を一人で救いました。磐周挿殿は美獣様の秘蔵っ子。恐らく、圃戒仕様には、公子からお誉めの言葉があるでしょう。」

 

 眼は三白眼、顎は尖り癇癖の強そうな顔相。圃戒仕はこめかみに青筋を浮かべ、軋んだ音でもしそうにぎこちなく、横を向く。


 目線の先には、数千人にものぼる大師団。


 たった今盗賊軍を打ち破った、因州公子・美獣(びじゅう)の巨大兵団である。

 賊軍を破った各隊が美獣の本陣に集結しつつあり、恐らくすべて揃えば万に達する筈である。


(我が圃家軍も、早々にあの中へ合流しなければ。)

 疼く左肩を再び抑えつつ、吼了欽は少し焦る。


 穆薀は少し探るように、圃戒仕の顔を鋭い隻眼で注視している。

「圃戒仕様。あなたはいい部下をお持ちだ。」

 圃戒仕は美獣の大軍から目を逸らさぬまま、馬上から吐き捨てるように言った。


「お前に言われるまでもないわ。」


 波打つ夏の丘陵を超えた向こう。

 美獣本軍は、着々と兵を収容し、見る間に膨れ上がっていた。各自の色鮮やかな甲冑が所々で煌めいている。

 先ほどの磐周挿のように突出した部隊が一部で苦戦したものの、あとは危なげなく賊軍を殲滅したのに違いない。吼了欽には、粛々と膨れ上がっていく美獣本軍が極彩色の巨大な怪物のように見えた。


 ふと、その視線の途上に、丸みを帯びた徒士立ちの兵士が、一人現れた。


「吼了欽ー!無事だったかあ?」


 はるかに展開する美獣本軍を背に、その小肥りな兵士は、声を枯らしながら、こちらに向かって走ってくる。

 吼了欽はまた右手を左肩から離すと、今度はその血だらけの掌を頭上に振った。


「忞番対ぃー。無事だー!」


 忞番対は遠く、夏日に光る吼了欽の派手な兜を視認しているであろう。吼了欽は痛みをこらえ、甲高い声で絶叫した。



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