第弐話
雲霞の如き賊軍に、只一人斬り込んでいく。
「うおあああっ」
「賊軍」と記した。
正規の軍隊ではない。彼らは囮丘の波打つ丘陵の内、頭一つ抜け出た高台に山寨をこしらえ、損張労などという者を首領に据えて、野盗無頼の類を刈り集めた集団だった。数は二千とも三千とも言う。奏同啄飯道を名乗っているが、非公認と思われる。
(つまりは我が因州王府正規軍に敵う者共ではない)
吼了欽の濃茶の瞳が、また一段、鋭さを増した。
「ぬあっ、本当に一人だ」
そう口走った雑兵は、吼了欽に袈裟懸けに斬り下げられ、
「囲め!たった一人の若造よ」
その後ろに立ち、周囲にそう呼びかけた隊長風の男は、一瞬後に吼了欽が跳躍し、勢いよく首を掻っ捌かれて、果てた。
足音軽く着地した吼了欽。
金色の兜は、その前頭部に剣を形どった八本の角を放射線状に生やしていた。対照的に、首から下を覆う鎧は黒色で、ひどく威圧的である。
金八光の兜は夏の太陽を跳ね返し、皆目を眩ませた。
「磐周挿さまぁ!すぐ行きますぞ」
再び吼了欽は喚いたが、
「奴はとっくに殲滅したわっ」
と、山猿のように手の長い賊兵が叫びながら斬りかかってくる。
されど慌てずに、ゆうゆうと身を反らせて避けると、一気に懐に飛び込み、その勢いで左手の長剣を敵の心臓へ深々と突き立てた。
「うがあああ」
力任せに長剣を引き抜くと、山猿兵は断末魔の叫びをあげ、噴出する血潮を止めようと胸を必死に抑えようとする。
囲め、囲め!
賊は吼了欽のこの手並みを見て、間隙を開けながら、何とか包囲体制を整えんとする。
弓だっ。早く!
と叫ぶ者もいる。
(それはまずい。)
金色の若武者は、山猿兵から噴き出す血の噴水をかき分けて、ぐん、と大地を蹴った。
「う、うわ」
血潮の向こうには、小山のように大柄な賊兵が二人立っていた。彼らには、赤い緞帳からいきなり金色の弾丸が飛び出してきたように見えたろう。驚き、茫然と空洞のような目を虚ろに向けている。
吼了欽は左の大兵を目掛けて真っ直ぐ飛び、長剣を横に薙ぐ。鋭利な刃先は、敵の首を深く切り裂いた。
「きさま」
右の大兵がようやく反応して、太い鉄槍を突き出してきたが、空中に体をひねってその直線的な攻撃を避ける。
(来る)
右の大兵は槍をかわされて態勢を崩し、左の大兵は泣きながら血の噴き出す首筋を手で抑えている。吼了欽は、その巨漢二人の背後に、素早く隠れた。
次の瞬間。
ざざざざー
と、乾いた矢唸りが辺りを覆った。
弓兵達が矢を放ったのである。ずどどど、と巨漢二人に矢箭の突き立つ音が聞こえた。当然、吼了欽を狙ったものだが、
(同士討ちにござい)
すべての矢を巨漢二人に請け負わさせて、金色の目庇の下に薄い唇が少し笑った。
二の矢が終わるのを大兵の陰でやり過ごすと、再び地を蹴って脱兎の如く駆け出す。
右へ、左へ、長剣を払う。
空を飛び、地を這う。
敵の刀剣が胴丸をかすめ、肩当に矢が立ち、兜に飛礫が当たって乾いた音が鳴る。
高速で駆ける吼了欽の目は、左右に流れる賊兵どもの恐怖に引きつった顔を捉えていたが、死地にあってかえって冷静になることが、彼にはままあった。
その目が、蒼い旗幟を再び捉えた。もう、あと数mである。
「磐周挿様っ。吼了欽が参りました!」
眼前に賊の背中がある。こちらに背を向けながら、火花を散らして戦闘中だ。その革鎧は所々擦り切れている。甲高い声に驚き、振り向こうと頭が動いたが、
「退け、賊っ!」
と一声、吼了欽は革鎧の背中を斜めに両断した。
賊は少し首をひねった状態のまま、もろい土壁のように、ずず、と地に崩れ落ちた。
そしてその向こう側には、厳つい戦士が一人立っていた。
「おお。吼了欽。はあ。貴殿の激励、ちゃんと聞こえていたぞ。はあ。」
この男が、磐周挿であった。
背は低いが、肩幅広く、上腕も腿も太く、青く塗った甲冑で逞しい身体を覆っていた。
だが、太い眉の下の細い目は焦点が定まっておらず、高く盛り上がった頬骨の下には暗い影が落ちている。顔面にはおびただしい汗と血が入り混じり、苦しそうに開けたままの大きな口で、荒い息をついていた。左の手甲がはずれて、親指の付け根がひどく流血している。
吼了欽は彼の負傷が気になったが、強いて笑顔を作った。
「声が大きいのだけが取り柄でございますれば。では拙者、主の護衛任務もありますし、磐周挿様も一緒に戻りましょう。」
もはや磐周挿の隊は散り散りになり、まわりには三人しか残っていない。
「はあ。そうだな。圃戒仕様も貴殿がおらねば心細かろうから。な。はあ。」
ふらつく足を踏ん張り、注意深く周囲に目を配りながら、磐周挿は荒く息を吐く。恐らく吼了欽が仕留めた革鎧の賊兵は、磐周挿をかなり追い詰めていたのだろう。顔面が蒼白で、死を覚悟した壮烈な表情がなかなか弛まぬ。見れば足元には二十数体、賊兵の遺骸が転がっており、彼やその配下が奮戦したことが分かる。
「幸い敵陣の一角は、吼了欽殿お一人で切り崩してくれたからな。この人数でも何とか戻れよう。あ。」
その時、磐周挿が細い目を丸くした。
その眼球の動きを見て、吼了欽はとっさに左に旋回した。
ぶん、と薙いだ左の長剣で一閃。
背後から忍び寄っていた賊兵の頭を吹っ飛ばしたのである。
「俺は左利きだと何度言わせる!」
背中に目があるかの如く、絶妙な間合いで振り向きざまに斬った。磐周挿の様子から異変に気づき、背後の気配を咄嗟に測って、身体が即応したのであろう。
だが、通常ならその剣技を誉められるところだが、今はそんな状況でなく、吼了欽の危機は続いていた。
今度は吼了欽が目を見開いた。
新手の賊兵が二人、槍と一体になってこちらに突進していた。
長剣を振り切ったあとで、吼了欽の身体は泳いでいる。二人の槍兵もまた、吼了欽の背中を狙って駆けて来ていたのだ。このままでは、二本の槍により串刺しは必至。すでに彼我の間隙は、わずかに3mだ。
「うおおおお」
賊兵二人の雄叫びが顔にかかり、夏日にきらめく鋭利な槍先が、眼前に突き出された。
吼了欽は必死に身をよじり、素早く地に伏した。
右の槍は避けた。しかし、左の賊兵はうまく反応し、槍の軌道を下に向けた。
「ぐああっ」
強烈な一撃が、吼了欽の左の肩当を貫いた。激痛が肩に走る。槍先は肩当を貫通し、肩肉をえぐった。
「死ねえ」
賊は槍を抜き、頭上に高く持ち上げた。磐周挿たちは、もう一人の槍兵に対応しているだろうから、こちらへの支援は無理である。吼了欽は地に伏しながら、一人、とどめを待った。
死を覚悟する。
「ぐあっ」
だが次の瞬間、絶叫したのは、槍兵の方だった。
槍兵は倒れ、砂煙を巻き上げた。死んでいる。一刀のもと、背中を切り裂かれたと見え、鮮血がほとばしった。そして、今の今までそいつが居た場所には、一人の武人が立っていた。
「金八光。見事な太刀筋であった。肩は大丈夫か。」
吼了欽は砂地に横たわりながら、声の主を仰ぎ見る。
輝く夏の太陽を背に正面は影となり、相貌は見えなかったが、その声を聞き間違える筈がない。吼了欽絶体絶命の危機を、一太刀で救った武人。
「ぼ、穆薀さま。」
肩の激痛に耐えながら、吼了欽はその人の名を、言う。
細身の身体、広い肩幅。夏の陽光を背にして、すらりとした姿形が、黒く立ちはだかっている。




