第1話(成人の儀)
「早く家でハーブティーが飲みたい…」
思わず呟くと、向かいに座る父と兄は苦笑いを浮かべ、横に座る母の指先が、静かにアルセディオン家の家紋にも使われている薔薇を象った髪飾りに触れる。
「フィオノーラ、貴女は今日の主役です。胸を張りなさい。」
母の声が馬車の中に響く。
「…そうですね。ありがとうございます、お母様。」
今日は年に一度の【成人の儀】。
アルヴェリス王国では、その年に十六歳を迎える貴族の令嬢・令息が集い、儀式が執り行われる。教会で成人の祝福を受け、夜は王家主催の夜会で本格的な社交界デビューを果たすのが慣例だ。今年、成人を迎えるのは男女合わせて八人。私もそのうちの一人である。
兄にエスコートされながら会場となる広間に入れば値踏みするような視線に晒される。
『白薔薇嬢がお見えになりましたよ。』
『由緒正しいアルセディオン家のご令嬢であればさぞ注目をお集めになるでしょう。』
『…色々な意味で、ね?』
僅かに手を握る兄の力が強まる。
――レオネルお兄様、大丈夫です。初等教育時代の仮デビュー、いえ、物心ついた頃から言われ慣れてきた言葉ですので。
私は安心させるように笑みを作り兄を見上げた。
「まあ!フィオノーラ様ではありませんか。」
背後から声を掛けられ振り向くと、ブロンドの髪に目の覚めるようなオレンジ色のドレスを身に纏った少女が立っていた。
「ご無沙汰しております、サーシャ様。」
サーシャ・ルバンド。ルバンド伯爵家のご令嬢で今日の主役のうちの一人だ。
「ご無沙汰しております。私、ずっとフィオノーラ様とお喋りしたいと思っておりましたのよ?けれど、お茶会にお誘いしてもお忙しいようでなかなかいらしてくださらないのですもの。それにしても、その髪飾り素敵ですわね。まるでこの会場に白い薔薇が咲いたようですわ!」
遠巻きに見ていた貴族達の笑い声が僅かに聞こえる。
「ありがとうございます。薔薇は我が家の家紋にも使われている花ですので、そう言っていただき光栄ですわ。サーシャ様のドレスのマーガレットの意匠も素敵です。鮮やかな色合いですので会場でも一際ドレスが目を引きますわね。」
横で一連のやり取りを見ていた兄が笑いを我慢している。
「っ!?まあ…。では、本日の謁見でも、その堂々としたお姿を拝見できることを楽しみにしておりますわ。」
歓談もそこそこに、成人を迎える八人が会場の中央に集められた。間もなく王族の皆様との謁見が始まる。
近衛騎士の合図で会場の空気が変わって緊張が走る。程なくして国王陛下、王妃殿下、第一王子殿下、第二王子殿下が会場にいらした。四名の王族が並ぶ姿は荘厳だ。
成人の儀の夜会には2つの大きな催しがある。一つは、成人を迎えた令嬢のみに与えられる王子殿下との一曲。第一王子のヴィルヘルム殿下か第二王子のマリウス殿下のいずれかが相手を務める。
そしてもう一つが、この夜会の中心とも言える【国家繁栄の祈り】だ。
もっとも、祈りと言っても本当に神前で言葉を奉納するわけではない。この十六年間で培ってきたものを王族の前で披露し、貴族としてこの国のために何ができるのかを示すのだ。
アルヴェリスでは国民全員が魔力を持っている。故に成人の儀では己の魔法に絡めて芸を披露する者が殆どだ。稀に父のように自作の魔道具を献上する者などもいるが。
国家繁栄の祈りは、爵位の低い者から順に披露する習わしである。
緊張した面持ちで子爵家の令息が御前に立つ。炎を操る彼は、いくつもの火球を作り自在に操ってみせた。国王陛下は笑顔で頷き声をかける。
その後も次々にこの日のために修練を重ねたであろう一芸を披露していく。バルコニーと室内の間の大窓を覆う、まるで滝のような水のカーテンを披露したサーシャ様。あの勝ち誇ったお顔はしばらく忘れることができないだろう。
そしていよいよ最後の一人、私の番がやってきた。
ゆっくりと前に進み出て口上を述べる。
「アルセディオン公爵家次女、フィオノーラ・アルセディオンでございます。アルヴェリス王国の更なる繁栄と王族の皆様の歩まれる道が輝かしいものでありますように願い、こちらを捧げます」
掌を広げ魔力を込めるとふわりと水の玉が一つ浮かび上がる。そこから二個、四個、八個…と静かに分裂し、やがて五十個近くの大小様々な水球が会場に漂い始めた。
『――、ほんの少しだけ力を貸してね』
そう心の中で呟き、パチンと指を鳴らした。水の玉は音と共に弾け、水滴を受けた会場の植物が一瞬息を吹き返したように瑞々しく輝いた。
暫し会場が静寂に包まれる。そして、徐々にざわめきを取り戻した会場から聞こえてきたのは侮蔑の声だった。
『公爵令嬢ともあろうお方が、幼子でもできるようなただの水の玉を出すだけ?』
『魔力が少なすぎて何色にも染まれない白薔薇嬢らしい祈りだな』
――あぁ。こんな事には慣れている。慣れていることと傷つかないことは違うのだけど。
そんな事を考えていると陛下から声がかかる。
「フィオノーラ、実に繊細で緻密な魔力制御であった。あれだけの細やかな魔力操作は一朝一夕で身に付くものではない。」
「ありがたきお言葉、頂戴いたします。」
御礼の言葉を述べ下がろうとしたその時、マリウス殿下の僅かな怪訝そうな表情が目に入り、やはり王族の皆様も魔力の少なさに失望なさったのだとチクりと胸が痛んだ。
◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇
先刻までと打って変わり、会場内が生演奏の音色に包まれ、成人の儀二つ目の催しである舞踏会が始まる。
会場では人々が思い思いに歓談する中、周囲からはどちらの殿下と踊るのかと浮足立つご令嬢の弾んだ声が聞こえる。しかし、やはり私は夜会という華やかな場が苦手だ。貴族として交流しなければならない責務があるにも関わらず、先程から愛想笑いしかできない自分が嫌になる。
「お兄様、一曲踊った後は屋敷に帰ってもよろしいのでしょうか。」
兄が口を開くよりも早く、後ろから柔らかな声で話し掛けられる。
「はは、折角の成人の儀だというのにもう帰ってしまうのかい、アルセディオン嬢。私からの成人の祝福だと思い、一曲お相手願えないだろうか。レオネル、妹君をエスコートしても?」
いつの間に近くにいらっしゃったのだろう。ゆっくりと振り向けば、そこには、赤みを帯びた茶髪に王妃譲りの黒い瞳、鍛え上げられたしなやかな体躯を持つ第一王子、ヴィルヘルム殿下が立っていた。兄の上官でもある彼は穏やかな笑みを浮かべている。
「もちろん光栄でございます、ヴィルヘルム殿下。」
「フィオノーラをよろしくお願いします、殿下。」
内心の焦りをできる限り出さないように気をつけながら、礼の姿勢を取って差し出された手の上に掌を重ねた。
穏やかなワルツと共に会場の中央を舞う。殿下の一切無駄のないリードのお陰で、私でも母に怒られない程度には踊れているはずだ。あっという間に曲が終わると殿下は再び手を取りお兄様の元まで送り届けてくださった。
「正直驚いた。とても上手いのだな、アルセディオン嬢。」
――驚かれるほど、下手だと思われていたのだろうか。
「母の教育の賜物でございます。」
お気遣いの言葉をいただき殿下と離れた。
その後何人かと挨拶を交わし、父母に声を掛け、先に馬車へ戻る。
扉を閉じると同時に緊張から解放され、思わず深い溜息を吐いた。
――早く家に帰ってハーブティーを飲みたいな。
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