スタイル
バックミラーに映る傘さんの左目は、いつの間にか元の白目に戻っていた。
しかし、あの『痛覚遮断ナノスプレー』を吹き付けただけの身体からは、今もドロリとした赤黒い血がシートにダラダラと流れ落ちている。
肉体は物理的に損壊し、凄惨な流血が続いているというのに、彼女は平然とハンドルを握り続けていた。
クセルとの凄まじい戦闘のことも、引きちぎった腕を口で噛んでいたことも、まるで最初から何もなかったかのように、ただ淡々と、無言で車を走らせていた。
その徹底した拒絶のような静寂が、外でボソボソと喋り続ける雨の囁き声よりも何倍も恐ろしかった。
パトカーの窓の外では、どんよりとした夕暮れの闇がさらに深まっていく。
痛みの消えた自分の左耳と左肩に触れながら、私は手の中にあるガムテープぐるぐる巻きの『物体X』をさらに強く握りしめた。
怪異も悪魔も空気になったこの20XX年。
だけど、今さっき路地裏で火花を散らした非日常の余韻が、冷たい車内にべっとりと張り付いている。
「……着いたわよ」
しばらく経って、パトカーが薄暗い警察署の地下駐車場に滑り込んだとき、傘さんがようやくこの移動中で初めての、指示通り信じられないほど冷ややかな声を絞り出した。
重いドアが開き、私たちはひんやりとしたコンクリートの空気の中へと足を踏み入れた。薄暗い廊下を抜けた先、警察署の奥へと進むと、開けた空間に二人の女性が並んで立っていた。
「……ッ、」
私は思わず息を呑んだ。
一瞬、同じ人間が二人立っているのかと錯覚するほど、彼女たちの顔立ちや雰囲気は酷く似通っていた。
身にまとっている服装も、まるでペアルックのように同系統のシルエットだ。
姉?と妹?なのか、それとも全くの他人なのか、私には判別がつかない。
しかし、その「似ている」という印象は、彼女たちが口を開いた瞬間に一変した。
「안녕하세요――!!」
左側に立つ、頭一つ分背の高い女性――姉?らしき人物が、やたらとテンションの高い声を響かせした。
身長は優に170センチを超えている。切れ長の鋭い瞳を持った、韓国の方だった。
彼女の白いこめかみには、禍々しいほどに赤い『 太陽の刺青 』が刻み込まれており、それが薄暗い部屋の光を反射して怪しく自己主張している。
当然、私にその言葉の意味は全く聞き取れなかった。すると、その隣に立つ、日本人の平均的な身長の女性――妹?らしき人物が、退屈そうに耳のピアスをジャラリと鳴らしながら口を開いた。
「『こんにちは――』……だってさ」
妹?らしき人物が、気だるげにその言葉を翻訳してみせる。
彼女の耳には、軟骨から耳たぶにかけて、これでもかというほどの数の『 針 』が狂ったように開けられていた。
顔や服装のベースがどれほど似ていても、刻まれたタトゥーと、耳を埋め尽くすピアスの鋭利な輝き。
さらに言えば、正面に『 高級 』とデカデカと書かれたセンスのないロゴ服の下にド派手なジャージを穿いている姉?らしき人物と、正面に『 激安 』のロゴを掲げながらもお洒落なスキニーパンツを完璧に穿きこなしている妹?らしき人物。
その『 格好 』だけで、人間の印象はここまで180度変わるものなのかと、私は傷口の痛みすら忘れて圧倒されていた。
傘さんは二人の前に並ぶと、それまで張り詰めていた無言の殻を破り、上司らしくゆっくりと口を開いた。
「……お疲れ様です、先輩方」
血まみれの制服のまま、傘さんは直立不動の姿勢をとり、その二人の女性に向けて深く頭を下げた。
「現場の状況は最悪でした。……ですが、こちらの羽場めん子くんの確保だけは、なんとか完了しました」
傘さんがそう報告を終えた、まさにその直後だった。
それまで完璧なハングルで挨拶を決めていた170センチ超えの姉?らしき人物が、おもむろに頭をかきながら、拍子抜けするほど滑らかな日本語で喋り出した。
「あ、すいません。なんか最近マイブームが韓国でして。つい出ちゃいました。私が、姉の――」
彼女は自分の胸元の『高級』というダサいロゴを手のひらで叩き、自らが姉であることをやたらと強く、強調するように言ってのけた。
「……で、こっちが妹。耳の、針です」
続けて姉?らしき人物が、隣に立つ妹?らしき人物を雑に指差す。
その言葉を受けた妹?らしき人物は、耳にびっしりと開けられた無数の銀色の針をジャラジャラと鬱陶しそうに鳴らし、ただ不快そうに視線を逸らした。
あまりにも軽すぎるその自己紹介のノリに、私の脳の処理が一瞬でフリーズする。おまけに、お互いがお互いの能力を本気で嫌い合っているというこの姉?らしき人物と妹?らしき人物は、並んでいるだけで周囲の空気がじわじわとバグっていくのが分かるほどの、強烈に不穏なオーラを放っていた。




