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やはり、あの状況は正しいとは言えない。
そう思ったのは、トオルの家から逃げるように帰り、抱きついてきた子供を強く抱きしめた時だった。
正しいかどうかなんて、ナツヤが決めることでは無いし、それでトオルが満足しているなら、口を出すべきでは無いのかもしれない。ミカが死んだ後の、抜け殻のようなトオルの様子を、ナツヤは覚えている。『彼女』がいなくなったら、また同じようになるという、不安もある。けれど、それ以上に。
死者の影と暮らすのは、やはり正しくないと、思うのだ。
腕の中で、子供が擽ったそうに身をよじる。子供特有の甘い香りがして、少し酔いそうになった。
トオルを、『彼女』を、何とかしなければならない。そう心に決めてから、とは言っても、とナツヤはため息をついた。どうすれば良いのか。
『彼女』を壊す? 物理的に破壊しても、また作られたら……その前に抵抗されたらどうする。『彼女』が機械なら、その膂力は自身を遥かに上回るだろう。なら、ウィルスでも仕込むか。いや、トオルの技術を上回れる気がしない。誰かに協力を求めるとしても、誰に相談すべきかも分からない。変に周囲に漏れてしまえば、トオルはこの街に居られなくなるだろう。ならば、トオルを説得するか? あの頑なで馬鹿な友人を? 論理でも感情論でも、勝てる気がしなかった。
そんな風に悩むナツヤに光明をもたらしたのは、夜中に届いたメッセージだった。
何度も何度も再生して、聞き直したメッセージの通りに、トオルの家へ向かう。
夜間。殆どの人は寝静まり、静かに夜明けを待つだけのその時間。見回りロボにでも見咎められたら、言い訳のしようもないその時間に、ナツヤはトオルの家までやって来た。
玄関の鍵は、メッセージにあった通り、掛けられていなかった。音を立てないように、そっとノブを回す。扉を開くときにキィっと甲高い音がしたが、家の中からは、それに対する反応は無かった。しばらく耳を澄ませてから、家の中へと滑り込む。自身の立てる小さな音の一つ一つに、心臓が飛び跳ねた。
暗い廊下を進み、奥まった位置にあった扉を開き、中へと入る。トオルの仕事部屋と聞いていた。窓からの明かりを頼りに、部屋の中を見渡す。小奇麗なその部屋の真ん中に、ぽかりと、穴が空いていた。
メッセージ通りに。
そっと近付いて、微かな躊躇の後に、その穴の中へと入る。慎重にはしごを降り。奥に灯る明かりに導かれるように、足を進めた。
明かりが、やたらと眩しく感じた。
「いらっしゃい、ナツヤさん」
明かりの中で、女が振り返った。
ミカによく似た顔と、声。思わず本人かと錯覚してしまいそうな程に似ていたが、ミカとは全く異なる表情をしていた。名付けるなら、そう、達観しているかのような。そんな表情に見えた。
「……よぉ」
居心地の悪さに、視線を逸しながら小さく片手を上げて答えると、少し笑われた。思わず睨めば、静かに微笑まれる。何故か、作ったような笑みに見えた。
「来ていただいて、ありがとうございます」
「……あんたの為じゃない」
「ええ、分かってます」
穏やかに微笑んで頷かれれば、嫌でも気付く。彼女は、演技をしているのだろう。少しでも、『ミカ』から印象を遠ざけるために。別人だと、思わせるために。
そんな事に気付いた自分に嫌になりながら、部屋の中を見回す。
部屋は、綺麗に片付けられていた。壁には何もなく、コードはキレイにまとめられ、部屋の隅に置かれている。机の上には整理整頓された書類がまとめられていて、奥の箱には様々な部品が入っているのが見えた。
「予備のパーツは、全て分解してあの中に入っています。差し上げますので、好きにして頂いて構いません」
「……予備パーツは、分解できたんだな」
「あれらが自分という認識は、ないですからね」
小さな声で呟けば、彼女が淡々と答える。思わず彼女の顔を見たが、少しも動かない表情からは何も読み取れなかった。
僅かに落ちた沈黙に、彼女は気を取り直すように、さて、と声を上げた。
「ーーナツヤさんに頼みたいのは、この予備パーツを持っていく事と、私自身の破壊です」
「……破壊?」
「はい。といっても、メモリーの破壊です。物理的に壊しても、彼ならすぐに直せるでしょうし」
淡々と話している中で、最後に少しだけ、呆れの色が滲んだ。仕方のない子供に対して言うような慈しみを感じて、視線をそらす。
俺は何も見なかった、と心の中で繰り返した。そうしないと、ただでさえ、グラグラと揺れている決意が、また揺らぎそうだった。
「手順はまとめてありますので、私が『寝た』後に、その通りにしていただければと」
「自分じゃできなかったのか?」
「自身の破壊は、プログラムでロックされています。解除も、できそうにありませんでした」
「……そうか」
思わず尋ねた言葉にも淡々と返答され、少し落ち込んだ。試していない訳がないのに、そんな事を聞いてしまう自身が、嫌いになりそうだった。
ーーああ、でも。
どうせなら、きちんと聞くべきことは、聞いておくべきだろう。彼女とはもう、会えなくなるのだから、ここで聞いておかないと一生後悔するから。
「ーー本当に、これで良いのか?」
「はい?」
ナツヤの言葉に、彼女は不思議そうに、ことんと首を傾げた。聞こえなかったというよりは、意味がわからなかったという様子に、本当に良いのかよ、と言葉を繰り返す。
「お前は、何も悪くないだろ。ミカに似せて作られて、投影されて、傷付いて。トオルの為にって、今度は命まで投げ出して。それがあいつの為になるかは、分からねぇけど……けど、全部、あいつの我儘だ。お前は被害者だろう。なのに、このまま死んで、良いのかよ?」
「……私は、機械でしょう? 機械は人の為にあるものですし、私には人の言う『意思』は存在しません」
ふい、と視線を逸して言う彼女に、それでも、とナツヤは言い募った。逃げ道を用意してくれたというのに、わざわざ潰すような真似をして、申し訳ないとも思いながら。
「それでも、思う所はあるんだろ?」
そう尋ねた。