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襟懐  作者: せい
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-11-

 その日、トオルは自然に目が覚めた。

 いつも起こして来るミカの姿が見当たらず、首を傾げる。耳を澄ましても、誰かが居るような音は聞こえない。まるで、『ミカ』がいなくなった時のようで、トオルは慌てて、ベッドから出た。

 窓を開け、外を見る。視界に入る庭には誰もおらず、水やりをされた形跡も無い。心臓が音を立てる。ミカ、と姿の見えない彼女に呼びかけた言葉が、虚しく反響した。

 家は狭い。寝室、居間、台所、庭。数度回って探しても、彼女の姿は見当たらない。

 彼女は一人で、家の敷地から出ることは出来ない。トオルが、そのように設定した。彼女に設定は変えられないし、やろうとも思えないだろう、と。そんなことを冷静に判断してしまう自分に、嫌な気分になった。

 そして、冷静な自分が、言っている。

 彼女がいるのは、あの部屋だと。彼女が目覚めてからは封じて来た、あの部屋だ。

 認めたくないともう一度家の中を巡ったが、どこに居るはずもない。クローゼットやベッドの下、果ては戸棚まで覗き込む自分は、どこまで往生際が悪いのだろう。

 ぐるりと家の中を巡り、自身の仕事部屋の前で立ち止まる。トビラを開こうと伸ばした指の先は、すこし震えていた。


 ーーねぇ、トオル。人って、何で出来てる思う?


 部屋の真ん中にある、地下への通路が開いていた。ハシゴを降り、かつて何度も通った、暗い通路を進む。


 ーーそういう話じゃなくって。人型をしていても、ちゃんと反応がなかったら、それは人形と同じでしょう?


 部屋のスイッチを押し、電灯をつける。視界が、チカチカと瞬いた。


 ーー例えば。私と同じ姿形で、同じ言動をしたら。それは、私になるのかな。


 部屋の真ん中で、彼女は横たわっていた。穏やかな顔で、まるで、姿勢よく眠っているだけの様にも見えた。


 ーーミカは、変な事を言うね。まるで、そうなる事を恐れてるみたいだ。

 ーーそんなこと無いわ。少し、考えてみただけよ。


 ミカ、と声を掛ける。思いの外掠れていた声は、うまく音にならず、床に落ちて砕け散った。


 ーーねぇ、トオル。貴方は、どう思う?


 手を伸ばし、冷たい頬に触れる。今の彼女は、いつだって冷たい。事故にあってから、ずっとそうだ。体を揺らすが、目の覚める気配はない。首の裏側へ手を伸ばす。デキモノに似た突起を何度か弄るが、彼女は微動だにしなかった。

 フラフラと立ち上がり、何も無くなった部屋の中にポツンと置かれていた、機材に手を伸ばす。電源を入れて中を確認するが、全てが削除されていた。彼女の記憶も、思考も、思い出も。徹底的に。

 これでは、彼女を生き返らせる事はできない。あまりの事態に、体が震えた。頭が理解を拒んで、脳内でガンガンと鐘がなる。ねぇ、とミカの声が耳元で聞こえた。


 ーーねぇ、トオル。貴方は、どう思う?


 昨日までの僕なら、それは君だと、胸を張って答えたのだろう。同じ記憶を持ち、同じ回答をする。何より、僕が必要としていて君も僕を愛しているのだから、それが君である証拠だと。君が君である為に、必要なものは全て持っているのだから、と。そう答えた。

 けれど、あの時の僕は、何と答えたのだろう。


 彼女の側に座り込み、手を伸ばす。

 冷たい体温。肌に似た感触の奥には、硬い鉄の塊。幾ら表向きを似せても、記憶を作っても、中身が人でないことは、自分が最もよく知っている。何かあったらどうやって治そう、どう誤魔化そう、どうしたら疑問を抱かないだろうか。そう言ったことを、常に考えているのだから。


「……やっぱり、受け入れてはくれなかったね」


 気付いては、いたのだ。

 彼女を作ろうと決めた時から。ミカの思考を追うようになってから。どうあっても、どうやっても、何度考え直しても、何度シミュレーションを繰り返しても。

 彼女は、自身がミカであることを、受け入れられなかった。

 だから、気づかれないようにした。周囲との連絡を絶ち、ただ二人で在れるように。それだけを願った。

 そして、ナツヤが来た。様子を見に来ようとするのを、のらりくらりと躱してはいたが、いつかは彼女と会ってしまうことは分かっていた。ナツヤは、トオルに残された唯一の現実との接点だった。断とうと思えば、無くせたものだ。けれど、完全に無くしてしまうことは、出来なかった。


 結局、僕は中途半端だったのだろう。

 彼女を求めるのなら、現実との接点は断つべきだったし、現実を生きるのなら、彼女を求めるべきでは無かったのだ。


 気づいては、いた。

 けど、分かりたくなかった。


「ーーごめんね。本当に、ごめん」


 小さな声で呟きながら、彼女の手を取る。

 僕は、どうすべきだったのだろう。僕は、どうすれば良いのだろう。そんな思いが、ぐるぐると頭の中を駆け巡った。彼女を失った悲しみに、ポロポロと涙を流しながらも、考える。

 僕は、僕には、ミカが必要だ。

 事故に遭い、横たわっていた彼女の姿と。今ここに横たわるミカの姿が重なった。

 僕には、ミカが、彼女が必要だ。ミカがいない生活が、僕には未だ、思い描くことができない。


 ミカと同じ姿をして、同じ返答をして、同じ記憶を持つ彼女を、そっと抱きしめる。

 これはミカなのか、違うのか。

 あの時僕は、どうすべきだったのか。


 ーーねぇ、トオル。貴方は、どう思う?


 僕はまだ、答えを出せずにいた。

 

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