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その日、トオルは自然に目が覚めた。
いつも起こして来るミカの姿が見当たらず、首を傾げる。耳を澄ましても、誰かが居るような音は聞こえない。まるで、『ミカ』がいなくなった時のようで、トオルは慌てて、ベッドから出た。
窓を開け、外を見る。視界に入る庭には誰もおらず、水やりをされた形跡も無い。心臓が音を立てる。ミカ、と姿の見えない彼女に呼びかけた言葉が、虚しく反響した。
家は狭い。寝室、居間、台所、庭。数度回って探しても、彼女の姿は見当たらない。
彼女は一人で、家の敷地から出ることは出来ない。トオルが、そのように設定した。彼女に設定は変えられないし、やろうとも思えないだろう、と。そんなことを冷静に判断してしまう自分に、嫌な気分になった。
そして、冷静な自分が、言っている。
彼女がいるのは、あの部屋だと。彼女が目覚めてからは封じて来た、あの部屋だ。
認めたくないともう一度家の中を巡ったが、どこに居るはずもない。クローゼットやベッドの下、果ては戸棚まで覗き込む自分は、どこまで往生際が悪いのだろう。
ぐるりと家の中を巡り、自身の仕事部屋の前で立ち止まる。トビラを開こうと伸ばした指の先は、すこし震えていた。
ーーねぇ、トオル。人って、何で出来てる思う?
部屋の真ん中にある、地下への通路が開いていた。ハシゴを降り、かつて何度も通った、暗い通路を進む。
ーーそういう話じゃなくって。人型をしていても、ちゃんと反応がなかったら、それは人形と同じでしょう?
部屋のスイッチを押し、電灯をつける。視界が、チカチカと瞬いた。
ーー例えば。私と同じ姿形で、同じ言動をしたら。それは、私になるのかな。
部屋の真ん中で、彼女は横たわっていた。穏やかな顔で、まるで、姿勢よく眠っているだけの様にも見えた。
ーーミカは、変な事を言うね。まるで、そうなる事を恐れてるみたいだ。
ーーそんなこと無いわ。少し、考えてみただけよ。
ミカ、と声を掛ける。思いの外掠れていた声は、うまく音にならず、床に落ちて砕け散った。
ーーねぇ、トオル。貴方は、どう思う?
手を伸ばし、冷たい頬に触れる。今の彼女は、いつだって冷たい。事故にあってから、ずっとそうだ。体を揺らすが、目の覚める気配はない。首の裏側へ手を伸ばす。デキモノに似た突起を何度か弄るが、彼女は微動だにしなかった。
フラフラと立ち上がり、何も無くなった部屋の中にポツンと置かれていた、機材に手を伸ばす。電源を入れて中を確認するが、全てが削除されていた。彼女の記憶も、思考も、思い出も。徹底的に。
これでは、彼女を生き返らせる事はできない。あまりの事態に、体が震えた。頭が理解を拒んで、脳内でガンガンと鐘がなる。ねぇ、とミカの声が耳元で聞こえた。
ーーねぇ、トオル。貴方は、どう思う?
昨日までの僕なら、それは君だと、胸を張って答えたのだろう。同じ記憶を持ち、同じ回答をする。何より、僕が必要としていて君も僕を愛しているのだから、それが君である証拠だと。君が君である為に、必要なものは全て持っているのだから、と。そう答えた。
けれど、あの時の僕は、何と答えたのだろう。
彼女の側に座り込み、手を伸ばす。
冷たい体温。肌に似た感触の奥には、硬い鉄の塊。幾ら表向きを似せても、記憶を作っても、中身が人でないことは、自分が最もよく知っている。何かあったらどうやって治そう、どう誤魔化そう、どうしたら疑問を抱かないだろうか。そう言ったことを、常に考えているのだから。
「……やっぱり、受け入れてはくれなかったね」
気付いては、いたのだ。
彼女を作ろうと決めた時から。ミカの思考を追うようになってから。どうあっても、どうやっても、何度考え直しても、何度シミュレーションを繰り返しても。
彼女は、自身がミカであることを、受け入れられなかった。
だから、気づかれないようにした。周囲との連絡を絶ち、ただ二人で在れるように。それだけを願った。
そして、ナツヤが来た。様子を見に来ようとするのを、のらりくらりと躱してはいたが、いつかは彼女と会ってしまうことは分かっていた。ナツヤは、トオルに残された唯一の現実との接点だった。断とうと思えば、無くせたものだ。けれど、完全に無くしてしまうことは、出来なかった。
結局、僕は中途半端だったのだろう。
彼女を求めるのなら、現実との接点は断つべきだったし、現実を生きるのなら、彼女を求めるべきでは無かったのだ。
気づいては、いた。
けど、分かりたくなかった。
「ーーごめんね。本当に、ごめん」
小さな声で呟きながら、彼女の手を取る。
僕は、どうすべきだったのだろう。僕は、どうすれば良いのだろう。そんな思いが、ぐるぐると頭の中を駆け巡った。彼女を失った悲しみに、ポロポロと涙を流しながらも、考える。
僕は、僕には、ミカが必要だ。
事故に遭い、横たわっていた彼女の姿と。今ここに横たわるミカの姿が重なった。
僕には、ミカが、彼女が必要だ。ミカがいない生活が、僕には未だ、思い描くことができない。
ミカと同じ姿をして、同じ返答をして、同じ記憶を持つ彼女を、そっと抱きしめる。
これはミカなのか、違うのか。
あの時僕は、どうすべきだったのか。
ーーねぇ、トオル。貴方は、どう思う?
僕はまだ、答えを出せずにいた。




