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ツヨイチカラ  作者: 桃馬 穂
第11章 禁じ手の握手

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第11.1.2量子パルス:氷解の条件、復讐の座標

≡ Quantum Pulse 1.1.2 / Conditions for a Thaw, Coordinates of Vengeance


 A8理念派の拠点、その神経中枢である統制室で、一つの点滅が静寂を破っていた。アルカディア・コネクトからの、プロトコルを無視した緊急通信要求。歴史改変を是とする、排除すべきノイズ。

壁の大型パネルには数式の帯と記録の線が途切れず流れ、その中央に立つ男の影を細く長く映していた。銀灰の髪を後ろで束ね、黒のジャケットは皺ひとつない。クロノス。彼は、その点滅を、温度のない氷の色をした目で見つめていた。

「主任、危険です。罠の可能性があります」

 側近のオペレーターが進言する。その声には、理念に反する者への明確な敵意が滲んでいた。

「罠なら、罠の形を記録する」クロノスの声は低い水音のようだった。「開けろ。記録の線を太くする。    接触は抑制するが、観測は続ける。それが我々の原則だ」。

オペレーターは一瞬ためらったが、命令に従った。ホログラム投射機が起動し、光の中にアルカディア・コネクトのリーダー、カナデの姿が浮かび上がる。彼女の表情は硬く、その瞳には悲しみと、それを乗り越えようとする鋼の意志が宿っていた。

『――我々の仲間が、エデン・プロジェクトの攻撃で命を落とした』

 カナデの言葉は、事実だけを端的に告げた。ミカの死、リクの負傷、そして圧倒的な敗北。その上で、彼女は禁じ手ともいえる提案を口にした。

『我々は、エデン・プロジェクトとA8野村派を同時に叩く。そのため、A8理念派――あなたたちと、一時的な協力関係を結びたい』

 その言葉に、室内の空気が凍りついた。オペレーターたちが、信じられないという顔でクロノスを見る。

「主任、これは戯言です!」一人が声を上げた。「歴史改変主義者どもと手を組むなど、我々の理念そのものを汚す行為だ!」

 クロノスも、内心では同じ結論に至っていた。理念を腐らせるのは外ではない。内側の近道だ。アルカディア・コネクトとの共闘は、まさにその近道に見えた。『断る』。そう告げようと、彼が唇をわずかに開いた、その時だった。

「緊急報告です!」

 別のオペレーターが、息を切らしながらタブレット端末を掲げて駆け込んできた。

「密約です。A8野村派と、エデン・プロジェクトが水面下で手を結んでいます……!」

 室内の全員が凍りついた。モニターに転送されたログデータが、静かに文字列を描き出していく。

________________________________________

《 CONFIDENTIAL// Intercepted Agreement Data // Priority-Ω 》

▶ 密約内容:A8野村達也と、エデン・プロジェクト外交統括官マーラ・ヴェローの間で、国連系統治AI「ネクスト・ジェネシス」を通じた全人類スコア化計画の承認プロトコルに合意。

▶ 対価:時空バリア中枢の技術提供および、A8からの思想統制データ群。

▶ 目的:階層固定型支配社会の確立と、銀河衝突以降の主導権確保。

《 END DATA 》

________________________________________

「二つのノイズが、一つになろうとしている……」

 クロノスは呟いた。だが、彼の心を凍りつかせたのは、その事実以上に、一つの名前だった。密約の相手として記載された、エデンの外交・広報統括官。

 マーラ・ヴェロー。

 その名を見た瞬間、クロノスの指先が、ほんのわずかに冷えた。空調の低い唸りが遠のき、端末の光だけがやけに目に刺さる。脳裏に、炎の記憶が鮮やかに蘇った。


 A8理念派の中央演算区。その制御室の中は、まるで時が止まったかのような静寂に包まれていた。情報の奔流が壁面のスクリーンを流れ、端末が緩やかに点滅を繰り返す中、クロノスはじっと、再生を止めた記録映像を見つめていた。そこには、崩れ落ちる孤児院の屋根と、炎の中から子供たちを次々と避難させていた、一人の女性の姿が映っていた。

 かつて、彼には「帰る場所」があった。灰色の空の下、風に軋む鉄塔と、乾いた土の匂いが漂う街角。その端に、古ぼけた木造の孤児院があった。名前は「散光の家」。誰かの愛に飢えた子供たちが、互いの「光」を持ち寄って生きるための場所だった。

 彼は記憶を持たずにそこにいた。いつ来たのか、誰が親だったのか、なぜここにいるのか——何も知らなかった。ただ、決して揺るがない星々の動きや、時計の針の規則的な進みに、心の安定を見出していた。世の中は無秩序で、感情は暴走する。それならば、すべてを制御下に置きたい。そう強く願っていた。

 そんな彼の前に、二人の少女が現れた。一人はマーラ。いつも何かを渇望し、空腹の目で世界を睨みつけていた少女。もう一人はソフィア。いつも太陽のように笑い、誰にでも等しく手を差し伸べる少女だった。マーラの瞳に宿るのは奪う力。ソフィアの微笑みに宿るのは、与える力。彼は戸惑いながらも、次第にその温かさに惹かれていった。

 ソフィアは彼に言った。「秩序だけじゃ人は救えない。人の心を信じて、寄り添っていくこと。あなたの中にも、それはきっとある」

 彼はその言葉に戸惑いながらも救われた。やがて二人は惹かれ合い、大人になり、彼は理念を追い求めてA8の構造設計部門に進み、ソフィアはそのまま「散光の家」に残り、新たな院長として孤児たちを育てていた。彼らは距離は離れても、同じ未来を信じていた。

 だが、運命はあまりにも無慈悲だった。

 ある夜、報告が入った。「散光の家」が炎に包まれている、と。彼は即座に現場に向かった。辺りにはサイレンの音すらなく、ただ火が夜空を赤く染め、煙が星々を飲み込んでいた。彼は息を切らして駆けつけたが、その時すでに屋根の一部は崩落し、子供たちの泣き声と、怒号と、火のうねりしか残っていなかった。

 瓦礫の隙間から、ソフィアが最後の一人を外に押し出す姿が見えた。次の瞬間、彼女の上に炎に焼かれた梁が崩れ落ちた。悲鳴すらなく、彼女の姿は光に飲み込まれた。

 彼は、その場から一歩も動けなかった。膝が震え、言葉にならず、ただ、すべてを記録することしかできなかった。介入できなかった。壊せなかった。測り続けるだけしか、できなかった。

 その後、証拠映像が示した放火犯の姿は、あの少女——マーラ・ヴェローだった。

「過去などいらない。あの家も、あの女も、全部、弱者の幻想よ」

 そう言い放ったマーラの記録映像を、クロノスは何度も繰り返し再生していた。全てを焼き払い、過去を否定して、未来に居場所を作ろうとした彼女。秩序ではなく、支配を。共存ではなく、選民を。

クロノスが掲げる「ゼロ原則」は、単なる理念ではない。あの夜、あの火に包まれた孤児院の前で芽生えた、一人の男の私的な誓いだった。

——再び、何者にも秩序を乱させはしない。

 だが今、そのマーラが、野村というもう一つのノイズと手を組んだ。彼の中で、過去と現在、理念と復讐が重なり合う音が鳴り始めた。

 クロノスは立ち上がった。静かに、空調の風が戻ってくる。スクリーンの光も、もう目に刺さらない。彼の心は、氷点下の深淵で、ただ一つの決断へと凝固していた。


 クロノスの記憶は、いまもあの夜に縛られていた。燃えさかる孤児院の光景――「散光の家」が崩れ落ちていく音、焼けつく煙の匂い、そしてソフィアの叫び。それらは静かに、しかし確実に彼の心の奥で、冷たい氷のような塊を形成していた。

 あの夜、彼は遅れて駆けつけた。建物の前で立ち尽くすしかなかった。なぜなら、彼の信条は「ゼロ原則」だったからだ。介入しない。壊さない。測り続ける――。だがその原則の前で、ひとりの命が消えていくのを、ただ記録することしかできなかった。

 ソフィアの最後の姿は、彼の脳裏に焼き付いて離れない。火の粉を浴びながら子どもたちを一人ずつ外に送り出し、最後の子どもを抱きかかえて扉の外に放り出す、その瞬間に――天井が崩れ落ちた。

 「クロノス、お願い……子どもたちを……未来を、守って……」

 声は炎に飲まれ、姿は光の奥に消えた。

 その瞬間、クロノスの中で「ゼロ原則」は理念から呪いへと変わった。何もできなかった自分。何も守れなかった己への怒り。それでも、理念だけが自分を人間として繋ぎ止める最後の錨だった。彼はその錨に、自分の全てを縛り付けた。

 そしてもう一人、そこにいた。マーラ・ヴェロー。彼女はその惨劇の首謀者だった。

 火災の原因は、マーラによる放火だったことが後に判明する。彼女は自分の過去を焼き払い、ソフィアという「博愛の象徴」をこの世から消すことで、自身の“強さ”を証明しようとした。彼女にとって、「散光の家」は敗北の記憶であり、ソフィアは弱者の幻想だった。

 「過去に縋る者は、未来を選べない」

 その言葉を記録から読み返すたびに、クロノスの胸は締めつけられた。彼女は秩序を憎み、理念を嘲笑い、選ばれた者だけが生き残る世界を作ろうとしていた。

 だがソフィアは、すべての命に平等な光が宿ると信じていた。その信念が、アルカディア・コネクトの原初の理念として引き継がれていることを、クロノスは知っていた。皮肉にも、彼女の死は未来へと繋がっていたのだ。

 クロノスはその事実を、どこかで誇らしく思っていた。だが同時に、守れなかった過去の贖罪として、彼は自らに誓っていた。

 ――今度こそ、すべてのノイズを排除する。

 マーラ・ヴェロー。彼女は単なる政治的な敵ではない。理念を歪めた者、そして愛する者を奪った存在。クロノスにとって、彼女を排除することは私的な復讐であると同時に、「ゼロ原則」を完成させるための最後の欠片だった。

 だからこそ、彼は決意した。

 アルカディア・コネクトとの共闘という禁じ手を受け入れること。マーラを排除し、秩序を取り戻すために。ソフィアの灯を、二度と踏みにじらせないために。

 クロノスが掲げる「ゼロ原則――介入しない。壊さない。測り続ける」という鉄の規律。

 それは、人類の存続という公的な理念であると同時に、愛する妻一人守れず、秩序が乱れるのをただ見ているしかなかった、一個人の痛切な後悔から生まれた、個人的な誓いでもあった。二度と、何者にも秩序を乱させはしない、と。

 そのマーラ・ヴェローが、今、組織の理念を蝕む野村と手を組んでいる。

 公的な敵と、私的な復讐の対象が、完全に一つに重なった。

 「……面白い」

 クロノスは、氷のような目でホログラムを見つめた。

 「君たちの提案を受けよう。ただし、条件がある」


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