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ツヨイチカラ  作者: 桃馬 穂
第9章 正しさの影

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第9.4量子パルス:告白、袂を分かつ影

 ≡ Quantum Pulse 9.4 / Confession, The Shadow that Parts Ways


 影山からの通信は、短かった。 「堤防へ来い。ひとりで」 それだけだった。絵文字も、理由の説明もない。用件だけの、無機質な文字列。翔太は、その硬質な響きに胸の奥がわずかにざわつくのを感じた。レアアース確保作戦を終え、張り詰めていた糸がようやく緩んだばかりだというのに。

 ジャケットを羽織り、毒蝮研究所の重い扉をそっと開ける。夜の空気が、湿った潮の匂いを乗せて頬を撫でた。ドクも結衣も、今は別の部屋でログの整理をしている。ライラは、少し離れた場所で“あちら側”の世界と短い定時連絡を取っているはずだ。誰にも声をかけず、翔太は夜の道へ足を踏み出した。

 堤防は、静かだった。等間隔に並ぶ外灯が、コンクリートの上に頼りない光の円をいくつも描いている。波の音が、寄せては返す一定のリズムで暗闇の向こうから聞こえてくる。昼間はボードの練習や、仲間たちとの会話で満たされるこの場所も、夜は別の顔を見せる。陸(日常)と海(非日常)を分ける、冷たい境界線。

 影山は、すでにそこにいた。欄干に背を預け、腕を組んで海を見ていた。翔太が近づいても、すぐには振り向かない。その横顔は、外灯の光と影に分かたれ、いつもより大人びて見えた。いや、大人びたというより、どこか遠い場所を見ているようだった。

「よう。……急にどうしたんだよ」

 翔太は、できるだけ普段通りの声を出そうとした。だが、声は少しだけ上ずった。影山はゆっくりと振り返る。その目に、いつものような親しみの色はなかった。温度のない、ガラスのような静けさだけがそこにあった。

「来てくれたか」

 声も、いつもより一段低く、響きが硬い。翔太は、言いようのない違和感に言葉を詰まらせた。これは、いつもの影山じゃない。クロノスの演説を聴いた後の、何かが決定的に変わってしまった男の顔だった。

「話がある」

 影山は言った。風が二人の間を吹き抜け、翔太のジャケットの裾を揺らした。潮の匂いが、不意に濃くなった気がした。

「俺は、エースエイトの人間だ」

 言葉は、ナイフのように静かに、しかし鋭く、翔太の胸に突き刺さった。喉の奥が乾き、言葉が張り付いた。何を言われたのか、頭が理解するのを拒んだ。エースエイト。ライラたちの故郷で、アルカディア・コネクトと敵対している組織。翔太たちにとっても、明確な敵。そこに、親友がいる。

「……冗談だろ?」

 やっと絞り出した声は、自分でも驚くほどかすれていた。影山は首を振らない。その揺るぎない目が、それが冗談ではないことを物語っていた。

「冗談じゃない。俺は、クロノスと行動を共にすることにした。理念優先派、と呼ばれる側だ」

「なんで……。あいつらは、俺たちを襲ったんだぞ。Unit07に、お前だって……!」

「そうだ。俺は襲われ、そして救われた。クロノスにだ」 影山は淡々と続けた。「彼は、俺に選択肢を見せてくれた。君たちがやろうとしていることは、善意だ。それは分かる。だが、その善意が、より大きな崩壊を招くかもしれない」

 クロノスの演説で語られた言葉が、影山の口から紡がれていく。「一本の歯車に指を入れれば、時計全体の時間が狂う。君たちの衝動は優しくて速い。だが、速さは時に事故になるんだ、翔太」

「事故……? 俺たちは、人を救おうとしてるんだ! “あちら側”の世界で、大勢の人が苦しんでる。それを見て見ぬふりなんて、できるわけないだろ!」

「だから、“見る”んだ。測り続ける」 影山は、まるで自分に言い聞かせるように言った。「エースエイトの原則は“ゼロ原則”。介入しない。壊さない。測り続ける。それは諦めじゃない。最も多くの命が、静かに存続できる、最も安定した一点を探す、困難な道だ」

「そんなの、ただの言い訳じゃないか! 目の前で苦しんでる奴がいたら、手を伸ばすのが当たり前だろ!」

「その伸ばした手が、君の知らない場所で、君が守りたかったはずの町を、土石流で呑み込むかもしれないとしたら?」

 言葉が、詰まった。それは、翔太が今まで考えたこともなかった視点だった。善意が、必ずしも善な結果を生まない可能性。その冷徹な理屈が、翔太の感情論を鈍らせる。

「俺は……俺は、誰も見捨てたくないだけだ」

「俺もだ」と、影山は言った。「だから、君を止める」。

「止める……?」

 翔太は、その言葉の意味を測りかねて、親友の顔を見つめた。影山の目は、もう揺れていなかった。そこには、痛みを伴う決意だけが、静かに灯っていた。

「俺は、“歴史固定”こそが、この世界と、君たちが救おうとしている“あちら側”の世界を、本当に救う唯一の道だと信じている」

 彼の言葉は、クロノスの理念そのものだった。パンデミックも、銀河衝突も、それは確定した“記録”であり、それを無理に書き換えようとする行為こそが、予測不能な崩壊を招く“最大の悪”なのだと。

「君たちのやっていることは、無秩序な歴史改変だ。善意から生まれた、最も危険な行為だ」

「そんな……!」

「だから、俺は君を“止める”」

 影山は、はっきりとそう言った。その声には、憎しみも、怒りもなかった。ただ、揺るぎない事実を告げるような、静かな響きだけがあった。

「それは裏切りじゃないのか! 俺たち、仲間じゃなかったのかよ!」

「仲間だ。今でもそう思っている」影山の声が、ほんの少しだけ揺れた。「だからこそ、止める役を引き受ける。それが、最も痛みを伴う、俺なりの正義であり、友情なんだ」

 クロノスの言葉が、再び影山の口を借りて響く。「“乱れ”の源を“止める役”を引き受けること。それこそが、究極の愛だと、俺は信じる」

 翔太は、もう何も言えなかった。友情も、正義も、愛も、立っている場所が違えば、見える景色がこうも変わってしまうのか。目の前にいるのは、昨日までの親友ではない。自分とは違う“正義”を選び取ってしまった、一人の男だった。

「話は、それだけだ」

 影山は欄干から背を離し、翔太に背を向けた。

「待てよ、影山!」

 呼び止める声に、彼は足を止めない。振り返りもしない。ただ、夜の闇に溶け込むように、堤防の向こうへと歩いていく。外灯の光が、彼の影を長く、長く、コンクリートの上に引き伸ばしていた。

 やがて、その影も、足音も、完全に消えた。

 翔太は、一人、堤防の上に立ち尽くしていた。波の音だけが、変わらずに続いている。潮風が、頬に残る熱を冷たく奪っていく。親友だった男がいた場所には、もう誰もいない。

 ただ、冷たいコンクリートと、言葉にできない喪失感だけが、そこにあった。一つの友情が終わり、そして、避けられない戦いのための線が、静かに引かれた。その線の重みを、翔太は、ただ一人で受け止めていた。


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