第5.3.1量子パルス:それでも手を離さない
≡ Quantum Pulse 5.3 / We Don’t Let Go
夕方から夜へ移る境目、堤防のコンクリートはまだ昼の熱を少しだけ残していた。内湾の赤灯が一定の間隔で点り、港のクレーンがゆっくり首を振る。潮の匂い、油の匂い、遠くのフェリーの低い汽笛。
明日は本番だと分かっていても、海はいつも通りだった。
「さっきは、ごめん。」
結衣が欄干に肘をついて言った。視線はまっすぐ海へ。横顔は強がっているが、声の端に疲れが滲む。
「俺も悪い。言い方が、雑だった。」
翔太はボードを足元に置き、リモートのチェックを終わらせてから結衣を見る。明日、前に出るのは自分だ。だからこそ、ここで口だけの強がりに逃げないと決める。
「約束しよう。結果じゃなく、選ぶほうで進む。転んだら、次の選び方を一緒に考える。逃げそうになったら、俺が言う。助けてって。」
「言わなかったら、袖つかんで止める。」
結衣は薄く笑ってから、欄干の同じ場所に指を置いた。夜風が髪を押し、二人の前髪が同じ方向に揃う。手はつながない。
けれど、鉄の冷たさを共有するだけで、言葉以上の合図になる。
「怖いのは?」
「ある。けど、怖いからこそ、選ぶ。…………それで行こう。」
結衣は「うん」と短く返し、目を細めて赤灯の明滅を数えた。二人の呼吸が重なり、堤防を流れる風の速さだけが会話の間を整えていく。少し離れた階段の陰で、ライラはその光景を見ていた。
胸ポケットには薄い写真。白い縁は、夕方より濃い。戻ってきている証拠。
指先で角をなぞり、ポケットに戻す。彼女は一歩も近づかない。近づけば、重さの置き場所を間違える。
準備の手順を頭の中で復唱する。小瓶のラベル、抽出器の校正、非常停止の合図。誰かの選択を生かす側に回ると決めたのは自分だ。
だから、ここでは笑わないし、泣かない。
研究所に戻ると、ドクの声が黒板を弾いた。数字と矢印、時刻と役割。
笑いを挟みながら、必要な緊張だけを残す喋り方だ。カナデとリクは端末の同期を重ね、郷田は堤防と港のルートを頭に叩き込む。影山は、黙って表の通りに出た。




