表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
ツヨイチカラ  作者: 桃馬 穂
第4章 暗躍する影

この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

49/113

第4.3量子パルス:クロノスの手

 ≡ Quantum Pulse 4.3 / The Hand of Chronos


  深夜、学園の北側。物流道路と河川敷の間に延びる高架下は、風が抜けるたび鉄骨が低く唸り、コンクリートの継ぎ目が冷えていた。影山はひとりで歩いた。


 今夜は見るだけ。街灯の間隔、逃げ道、死角。足音は路面の継ぎ目を外し、手の中の小型ライトは消したまま。


 呼吸は浅く、耳は風と金属の軋みを数え、視線は暗順応に任せた。


「…………見るだけだ。」


 影山は独り言で心拍を整える。肩の包帯は薄いが、動きを邪魔するほどではない。曲がり角の先でフェンスの金網がわずかに鳴り、風向きが逆に撫でつける。


 空気が一枚、裏返った。乾いた電気の匂いが濃くなり、路面の一点が白く飽和して縁だけが焼けるように輝く。光の輪郭が収束し、黒い影が落ちた。


 着地の重みでアスファルトが鈍くうなり、砂が細かく跳ねる。戦闘用アンドロイドUnit07。肩幅は人間と大差ないのに、重心の置き方が異様だ。


 止まっているのに止まっていない、静止の中に加速の前ぶれが潜む。影山は反射で体を横へ滑らせ、狭い側道へ身を入れた。広い場所では終わる。


 狭さを味方にする。扉枠と自販機の間、肩幅ひとつの通路で斜に構え、金属枠を盾にしながら視線は相手の胴へ落とす。


「…………来い。」


 言葉より先に、金属が擦れる高い音が走った。Unit07の腕部が閃き、ブロック塀の角が薄く削れて粉が散る。衝撃は重いのに、間の静けさが不気味に軽い。


 影山は正面を外す動きだけで耐え、扉枠の鉄に一瞬だけ体重を預けて反撃角を探る。届かない。素材も力も相性が悪い。


 ここで勝つ計算はゼロだ。生き延びるほうの算盤に切り替えると決める。


「…………やれる。まだやれる。」


 言葉を出した瞬間、肺がついてこない。吸っても入らず、吐いても残る。鼓動が耳の内側で硬い音に変わり、視界の縁がじわじわ浅くなる。


 Unit07の足下が低く鳴り、踏切にも似た圧縮音が間合いを潰してくる。次の手順を頭の中で並べるたび、一本ずつ枝が折れて消えた。左へ抜ける、鉄枠、すれ違い——描いた絵はすぐ赤で塗りつぶされる。


 金属の指が胸元の布を裂き、冷たい空気が肌に刺さる。裂ける音が現実を増幅し、体の深い場所が勝手に縮む。膝の内側が細かく震え、踏み込みの力が床に吸われて戻ってこない。


 死にたくない。まだ終わりたくない。嗅ぎ慣れない焦げの匂いと鉄の味が口腔に広がり、時間の流れがばらける。


 速いのに遅い。目の前の腕だけがやけに鮮明で、他は薄い霧に沈む。ここで転べば、次はない——その文だけがはっきりと立ち上がり、背骨に沿って冷えが降りてきた。


 計算は尽きた、と頭が言い、体は逆らえない。絶望という言葉の輪郭が背中にぴたりと貼りつく。ここまでか——。


「やめろ。命令違反だ。」


 低い声が風を走った。背後ではない。Unit07の斜め上、街灯の陰。


 影が一歩前に出る。長いコート、光沢のない手袋、乱れない髪。足音はほとんどしないのに、気配は強い。


 視線の鋭さが空気を薄く削る。男は懐から掌ほどの黒い装置を出し、わずかに顎を上げた。


「停止コード、クロノス優先権限。戻れ。」


 音はほとんどないのに、空気の粒がぱちぱち跳ねた気配がして、Unit07の肩のラインが一瞬だけ沈む。膝の角度がわずかに緩み、武装の角度が中立へ戻る。濃い影は門の痕跡に溶けるように後退し、遠のく。


 影山は壁に背をつけ、息を吐いた。肺が空気を受け入れ、荒い呼吸のリズムが自分のものに戻る。


「動くな。止血を先にする。」


 男は距離を詰めた。手袋越しの圧は一定で、乱れない。携帯の滅菌スプレーが短く噴き、薬液の冷たさが傷口に沁みる。


 包帯が走り、結び目は小さく早い。視線は傷ではなく顔色を見ている。医療者の手つきの正確さと、現場の無駄のなさが同居していた。


「誰だ。」


 影山は問った。喉にまだ熱が残り、指先が余震のように震える。救われたという事実が脳のどこかで点滅し、点滅を嫌う心が無言で反発する。


「クロノス。エースエイトの者だ。」


 男は名乗り、包帯の端を軽く押さえて血が滲まないのを確かめた。


「今日は監視だけの指示を出した。攻撃は命じていない。命令の外で――――動いた者がいる。」


「内部の暴走、ってことか。」


 影山は眉を寄せる。男の目は揺れず、光を拒むように静かだ。


「…………野村だ。」


 クロノスが自分で名を言った。言い切ってから、わずかに息を落とす。


「名を出す以上、私の責任だ。内部で意見が割れているのは事実だ。現場至上主義は、結末を乱す。私は乱れを嫌う。」


「乱れ、ね。」


 影山は壁から背を離した。痛みはあるが、立てる。さっき、終わると思った感覚が遅れて全身に影を落とす。


 膝の裏が細かく震え、喉の奥がからからだ。恐怖が引いた後に来る無音が、耳鳴りと同じ高さで居座る。


「言っておく。私は君を狙っていない。狙う理由もない。」


「理由がないなら、なぜここに。」


「理由があるからだ。無駄な揺れを増やさないために。」


 クロノスは黒い装置を仕舞い、視線を外さない。表情は刃物のように静かだが、目だけが温度を持たない。


「“歴史固定”という言葉を聞いたことがあるか。」


「噂程度には。」


「私たちの原則だ。記録に残る出来事を変えない。乱れを広げない。偶発を放置しない。結果の座りを良くする。歯車に砂を入れて回るふりではなく、狂った針を正しい位置に戻すほうを選ぶ。」


「遠回しだな。俺にどうしろって言う。」


「二者択一ではない。段階がある。」


 クロノスは同じ速度で続ける。


「君は慎重だ。だから任せられる。私たちの側の数字を見るだけでいい。名で殴らず、事実で見ろ。見たものを“ここ”に返して構わない。君の友の衝動は、優しくて速い。だが速さは、時に事故になる。君が介在すれば、事故は減る。」


「友、ね。」


 影山は短く笑い、すぐ真顔に戻した。笑いは自分を守る薄い膜にすぎない。


「俺は、あいつらを裏切る気はない。」


「裏切りという言葉は、今は使わなくていい。」


 クロノスは淡々と否定する。


「選ぶのはあとだ。回数を重ねて、確かめてからでいい。今日、私は“攻撃するな”と命じた。実行系はそれを破った。君はその差分を見た。見たものは消えない。次に同じことが起きないよう、私に権限を寄せる理由ができた。これは、私のほうの内部整理でもある。」


「俺を使う気か。」


「頼ると言ったほうが近い。」


 クロノスはわずかに口角を動かした。笑みというより、手続きの記号に近い動きだ。


「君がこちらに来るとは限らない。それでも、今日は救う。君が君の場所に戻るために。――――それで十分だ。」


 影山は黙った。さっき味わった無力感は、まだ骨の内側にいる。最初はやれると思った。


 狭い場所に誘い、扉枠を使い、すれ違いで抜ける。理屈は合っていた。だが相手は理屈の外から速さを持ってくる。


 足がもつれた瞬間、終わりの形が見えた。そこへこの男が現れた。救われた事実は消せない。


 借り、という言葉は嫌いだが、ゼロではない数字がひとつ胸の内に置かれた。


「…………“歴史固定”。それで、本当に守れるのか。」


「守るとは、結果を座らせることだ。君が大切にしている人も町も、座りの悪い結果の上では長く持たない。勇気と愛情は必要だ。だが、どちらも計算に乗せなければ、すぐに燃え尽きる。私は、座りを良くする側にいる。」


「言い方が嫌いだ。」


「嫌われてもいい。言いたいことはもう一つだけだ。今日、君は死ななかった。だから、考える時間がある。」


 クロノスはコートの内側から小さなカードを取り出し、灰色の樹脂片を影山の足もとに置いた。凹んだ印がひとつ、光を吸う。


「必要なら、これを見せろ。扉が一つ、開く。」


「拾えとは言わないのか。」


「君は拾わないだろう。だから場所だけ残す。」


 クロノスは視線を上げる。空気がわずかに撓み、遠くの電線が細く歌った。門の痕が白く縁取り、冷たい風が逆向きにスッと吸い込まれる。


「――――影山亮。」


「何だ。」


「君は、よく見る。だから、また会える。」


 クロノスは一歩下がり、光の縁へ消えた。音は残らない。残ったのは包帯の手触りと、灰色の札の冷たさだけ。


 影山は札を拾わない。靴の先で札を押しやり、路肩の影へそっと寄せる。


「…………勝手なやつだ。」


 呟きは小さい。だが胸の奥に、かすかな軋みが生まれたのを認める。最初は抵抗できると思い、次に“違う”と悟り、最後に“終わる”が来た。


 そこで助けられた。自分の足だけで戻ったわけではない。事実は事実のまま残る。


 影山は肩を回し、痛みの範囲を自分の地図に描き込んだ。歩ける。走れる。


 視界の端で街灯の光が少し揺れ、遠くで犬が一度だけ吠える。


「明日、補修。センサーは西側から。…………誰にも言わない。」


 自分にしか聞こえない声で段取りを並べ、暗い通りを歩き出す。高架の鉄骨が風でうなり、コンクリートが冷たい息を吐いた。街は眠っている。


 だが、どこかが起きている。そのどこかに、今夜は新しい線が一本引かれた。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ