ヌルヌルは苦手
「クラーケンという、大きなイカ……いや、タコか! そう、タコのせいであるのだ!」
「へぇ~、ヴァンパイアがクラーケンに絡まれることってあるんだ? あれって海にいるものでしょ? って、ちょっと待って! クラーケンってマジでいるの?!」
「うむ! おるぞ、しかも奴は、かなりしつこいのだ! 一度絡みついたら、なかなか離れんし! 挙げ句の果てに『君、ボクの好みのタイプだね!』とか言われたのだ……今思い出しても悪寒が走る……」
「え、なにそれ、ナンパ?! クラーケンがナンパしたってこと?!」
「それだけではないぞ? しかもだ! 『僕のスミをプレゼントするよ!』とか、わけのわからんことを言ってきてな……さすがの我も、恐怖でしかなかった……」
「ス、スミをプレゼント?! うげぇ……ちょっとキモすぎるわ、それ」
「そうなのだ……だから、苦手でだな……」
千恵子の気を引くために話題を提供したというのに、口にしたことで、当時を鮮明に思い出し、普通に気分が悪くなったアカーシャ。
白く新雪のような肌が、深海のような真っ青へと。
にんまり可愛くて、無邪気な笑顔を見せていたのに、今や、ガタガタと震えて見る影もない。
見事に釣り失敗である。
しかし、そんな嘘偽りのない受け答えが功を奏したようで、千恵子は心配そうな顔でアカーシャを見つめた。
「そういうことか、確かにそれは嫌いになるかもね……強くても大変なんだねー」
「うむ!」
大好きな千恵子に興味を持ってもらえたこと、心配されたことで、アカーシャはすぐさま表情を変えた。
過去のことより、この瞬間が好き。
そういった感情が彼女を満たして、深海のような表情から、笑顔にしたのである。
まるですぐ空模様を変える秋空のように。
「じゃあ、魚肉ソーセージが一番合ってるっこと?」
「うむ! 初めての臣下から貰ったしな! 我にとって魚肉ソーセージが至高で間違いない!」
「そっかー、ん? 気になったんだけど、そのあとクラーケンはどうなったの? 倒したとか?」
「うむ、もちろん、倒してから食したぞ?」
「ええ……」
「あ、焼いたから大丈夫だったのだ!」
「へ、へぇー……そ、そういうもんなのかー」
「うむ!」
先程とは打って変わって深海のような青い顔する、千恵子と、太陽のような笑顔を咲かせるアカーシャであった。
☆☆☆
千恵子を見送ってから、数分後。
リビングから、廊下に出て、右側にある洗面所。
アカーシャは洗濯を行なっていた。
洗濯機の中に千恵子が着た衣服を放り込んでいく。
ちゃんと水洗い可なのかも確認しながらである。
だが、一枚のワイシャツを手に取った瞬間。
その動きがピタリと止まって、
「こ、これはっ?!」
きらりと目を光らせた。
戦う時のように鋭くはなくて、それこそ飼い主の匂いがする何かを前にした犬や猫といった動物と同じ状態。
その手に持ったのは、襟元が汗によって少しくすんだ千恵子のワイシャツだ。
手に取り、距離が近づいたことで、大好きなその匂いがより一層、強く香ってくる。
「いい……匂い……」
アカーシャはうっとりした顔で、口にする。
今度は、ワイシャツを鼻先にくっつけて、
「すぅぅぅーーーっ!!」
顔を埋めて思いっきり吸う。
そのワイシャツについた匂いを、大好きな千恵子の匂いを、吸い切るような、あの有名な吸引力の変わらない掃除機、顔負けの勢いである。
これで発作が収まるかに思えたが……。
「むはぁぁぁ〜〜! グ、グヘヘ〜! 旦那様の汗は蜜の味なのだぁ……」
だらしなく涎を垂らし、千恵子の汗がついたシャツをスンスン、はむはむしちゃう。
「つ、罪な感じがして……な、なんかこう! たまらんな……ムヘヘ〜」
ヴァンパイアとしての衝動……恋という気持ちは、どんどん強くなっていた。
例えば、首を噛んだ時の肌に牙を立てる感覚、血の匂い、千恵子の反応……それらを妄想しては、はむはむしてしまうといったように。
(は――っ!? 我としたことが、本来の目的を忘れるところだった……)
溢れ出す欲望に敗北しかけていたアカーシャであったが、以前千恵子が『帰ったらさ、綺麗になった服があるのってものすごーく嬉しいんだよね』って言ってたことを思い出し、ハッとして理性を取り戻す。
(……旦那様は帰ったら、きっとまた「ありがとう」って言ってくれるに違いない。フフ……今日も頑張るか! よーし、やっていくぞ!)
そして、洗濯に部屋の掃除こなしていった。




