第40話 民と王
第09節 戦後の世界〔1/3〕
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新暦3年1月16日(カナン暦707年冬の三の月の14日目)。
ロージス領都シュトラスブルグに於いて、此度の戦争の講和文書が取り纏められた。
これにより、ルーナ王女の身柄はドレイク王国の預かりとなり、また此度の戦争に於ける戦費に相当する金額(当然かなり吹っ掛けた金額)がカナリア公国からドレイク王国に支払われることとなった。
ロージス領はアプアラ王国に併合され、此度の講和会議に参加した国はその領有権を認めることとなる。
そして此度のロージスの動乱に介入してきたリングダッド王国は、道義上の責めを負い、少なくない金額の賠償金をカナリア・アプアラ・ドレイクの三国に支払うこととなった。
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「これで、終わり、かな?」
帰途に着くカナリア・リングダッド両国の隊列を見送りながら、俺はそう呟いた。
「不満そうね。まだ何かあるの?」
傍らにいたルビーが、俺の声を聞き咎める。
「不満はないけれどね。けど、火種が全部消えた訳じゃないよな、って」
結局のところ、当初の目標であったカナリア公国軍の正面撃破は出来なかった。
戦略難易度で言えば、撤退戦を成功させる方が数倍難しかっただろうが、それでもまだカナリア公国側に「追い付けば粉砕出来た」と思わせる余地を残してしまった。それが今後の禍の種子になるかもしれない。
また、リングダッドが負った負債も大きすぎる。ただでさえ「二重王国」として考えると、スイザリアはマキアと南ベルナンド地方を征し、従前の倍近くまで国力を伸張させている。対してリングダッドは、『フェルマール戦争』では得る物がなく、『小麦戦争』に介入した挙句〔星落し〕で兵力的・民衆心理的に小さくない打撃を受けた。その上此度の戦争では犠牲者を出し、得る物もないまま賠償金の支払いのみが求められる。もしかしたら、「二重王国」を維持し続けることが困難になるレベルで、両国間のバランスが崩れることになるかもしれない。
「贅沢ね。
一度に全ての問題を解決させることなんか、精霊神様たちだって出来ないんじゃないの? ならあたしら人間は、ひとつずつ片付けていくしかないと思うわ」
「そうかも、知れないな」
否、おそらくそうだろう。
一回で全ての問題を終わらせたいと考えるのは、手抜きであり傲慢だろう。
なら今は、カナリアに対しては、そうそう気軽に戦端を開けないだけの戦力があると知らしめることが出来ただけで充分だろう。そしてリングダッドの問題は。
……火の粉が降りかかってくるのなら話は別だが、そうでなければそれは二重王国の問題。そのあたりをちゃんと仕分けしないと。
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カナリア公国とリングダッド王国の一行がシュトラスブルグ市を離れた後、アプアラ王リクハルド・カトゥカ陛下とロージス領の統治について話し合うことになった。
「ロージス領は、難治の地だ。
リングダッド、カナリア、フェルマール。
アプアラ、ビジア、メーダラ。
多くの地方と縁を持ち、民の精神的故国はモザイク状に複雑だ。
そこで、領民に人気のある、ルーナ王女を借り受けたい。
彼の姫の名の下であれば、ロージスの民も纏まると思う」
「断る。
ルーナ王女は、本人が望まない限り二度と政治には関わらせない。
そして、それを望むように誘導するつもりもない。
彼の姫は、今後一市民として静かに暮らしていただくことになる」
「だが、ロージスの民はルーナ王女を望んでいる!」
「フェルマリア市でも、ムートたち王族の還幸を望んでいたさ。自分たちがその手で王の首級を曝したことも忘れてな」
「……それ、は――」
「なぁ、リクハルド陛下。
アンタも、王が国民を支配している、と思っているのか?」
「違う、と言うのか?」
「国民にとって王なんて、幾らでも替えが効く冠でしかない。
それは、このロージスの歴史が物語っている。
今の支配者には礼を尽くし、これまでの支配者のことは忘れ、次の支配者には尻尾を振り。
飽きたら捨てて新しいモノを用意すれば良い。民にとって冠とは、その程度の価値しかないんだよ。
だから。
まずは民に教えなければいけないんだ。『王権』の意味、その重さを。
そして、民が自らの上に立つ『王』を、自らの責任の下に選ばなければいけない。
そうなって、初めて健全な国と言えるんだ」
「民が王を選ぶ、か。そんな国だと、王族の居場所はなくなるな」
「そんなことはないさ。王族は生まれ落ちたその瞬間から、王権を学ぶことが出来る。
それだけでも一般市民より優遇されている。
それでも、無能なら排斥され、市民から選ばれた王が立つ。だから、王位継承を当然の権利と甘えることも許されない。
王族が日々努力する国は、即ち国が弛まず前に歩み続けることが出来る国だ。その国に住まう民は、幸せになれるだろう」
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それはそうと、ロージス領の統治問題。
「で、だ。リクハルド陛下が口にした通り、ロージス領は難治の地だ。
歴代の領主は、だから宗主国との同化政策を取った。フェルマールも、ね。しかしそれさえも成功したとは言い難い。
なら、ロージスは独自の文化を、政策を執らせたらどうだろう?」
「独自の? 具体的にはどうするんだ?」
「ロージス領への入境に際しては、一切の審査をしない。
流民だろうと、犯罪者だろうと、他国の密偵だろうと扇動者だろうと、無条件で入境を認める」
「なんだと! そんなことをしたら――」
「一つの民族、一つの国籍、一つの文化。
それのみを認めるのではなく、『ロージス』という特殊地域に於いては、全てを許容するんだ。そして、『ロージス文化圏』とでもいうべき独自の環境を作り出す。
入境審査をしなければ、百姓の入植や商人の訪れも増えるだろう。
そして、何も否定せず『自由』を擁護する、アプアラ王国への親近感も増すというものだ」
「だが、それはつまりロージスを経由してアプアラ本国に犯罪者などが流入する可能性もあるということだろう? それに、その独自性は、ロージス領が独立自治を言い出す契機にもなる筈だ」
「今、ドレイク王国では『鉄道』というものを開発している。
ネオハティスからオークフォレストまで、二千人を半日で運ぶことが出来る輸送力を持つ交通機関だ」
「二千人を半日で、だと?」
「その鉄道を、オークフォレストからアプアラ王都まで延伸することを計画する。
そして、ウーラからシュトラスブルグまで更に延伸させれば。
リングダッドやカナリア、またはメーダラ地方との流通量とは比較にならない量の物資の遣り取りが出来るようになる。
あとはその鉄道の乗客の身元確認と、アプアラ・ロージス領境に於けるアプアラ側の入境審査さえしっかりやれば、ロージスを経由して犯罪者が流入する危険はかなり減らせる筈だ」
鉄道は、物理的(時間的)な距離を縮めることが出来る。それと同時に、心理的距離も。
なら、それはロージスがアプアラに帰属する助けになる筈。
(2,973文字:2016/11/13初稿 2017/11/02投稿予約 2017/12/05 03:00掲載予定)
・ 鉄道と馬車では、物資の輸送量も輸送速度も桁が(それも二つ三つ)違います。アプアラ経由では新鮮で且つ質・量ともに豊富な物資と情報が送り込まれるのに対し、リングダッド・カナリアやメーダラ(ローズヴェルト)からは古びてカビが生えた少量の物資と情報しか流入しないのであれば、領民の親近感はどちらへ向くかは瞭然です。ちなみに、マキア港からシュトラスブルグまでの物資の輸送を考えると、陸路(二重王国経由)だと馬車では2ヶ月以上かかりますが、ボルドまで海路を使ってその後鉄道を使えば、馬車数百台分が10日程で届くのです。またパスカグーラ(フェルマリア至近の港町)からシュトラスブルグまでだと、陸路(ローズヴェルト経由)で約1ヶ月、海路プラス鉄道で5日(荷卸し等の時間は含まず)です。コストを考えても、比較になりません。
・ ロージス領のモデルとなった、フランスのアルザス=ロレーヌ地方は、現在では欧州統合の象徴として、EUの諸機関が多く設置されているそうです。そのEUそのものが、今は崩壊の危機にあるというのは皮肉ですが。
・ 「ノブレス・オブリージュ」という言葉があります。貴族はその立場に値する義務がある、という意味です。この考えに従えば、「女侯爵」となるルーナ王女は政務と無縁ではいられません。
が、そもそも「ノブレス・オブリージュ」という言葉は、中世末期、貴族たちが耽美と頽廃、迷信と享楽に没頭し民を顧みなくなった時代に生まれた言葉です。貴族が民を守るのは、「義務」ではなくそれ以前に当たり前のことなのです(パン屋がパンを焼くことは、「義務」とは言いません)。「当たり前のこと」を「義務」と言い換えることで、当たり前にすべきことをさせようとしただけだったのです。
ルーナ王女の爵位は、だから王女がドレイク国内で自由に振る舞う為のモノ。「義務」や「責務」を与えるものではないのです。




