第26話 通商破壊戦
第06節 囚われの姫と白馬の騎士(前篇)〔5/7〕
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地図。
地形図に道路地図、住宅地図に産業地図。植生図や分布図というものもある。
平成日本に於いては、地図はありふれたものであり、小学生でもそれに触れられる。
しかし、地図とは第一級の軍事機密であると知っている人は、果たしてどれだけいるだろうか?
21世紀の地球でも、軍事基地とその周辺部を地図に描くことが出来ない国は普通にあるし、それどころか衛星写真を公開したことで大問題に発展するなどということも少なくない。
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ロージス地方。
フェルマール(アプアラ・メーダラ)、カナリア、リングダッド。隣接する国々がこの地を巡って争い、30年以上同じ国旗が掲げられ続けたことがないというくらい頻繁に帰属国が変わる。
カナン暦655年に講和が結ばれた戦争の結果、リングダッド王国からカナリア公国に割譲された際。この地がカナリア公国ロージス領となる前日に、一人の女性教師が子供たちに対して「リングダッドの文化は世界で最も美しく、高貴なのです。この文化を守っている限り、私たちはいつか奴隷の立場から解放されて自由を得られることでしょう」と伝えたという逸話は、この地がフェルマール領となり、更に再びカナリア領となっても語り継がれているのだという。
ともかく、それだけ頻繁に掲げる旗が変わるこの地方の地図は、三国の政府や軍上層部にはかなり細密に伝わっている。
そのうちフェルマールの地図は、大戦で全て焼失しているが、それでも民間の商人たちが使う地図は、普通に入手出来る。それに有翼騎士団の空撮情報(写真を撮る訳ではないけれど)を加味すれば、戦前の地図より正確なものを描き出すことが出来る。
商隊の通るルート、輜重隊の輸送ルート。
ある程度以上の集積力がある市町村の所在と、軍事物資の集積地。
そして現在時点に於ける、商隊、輜重隊、そしてカナリア公国ロージス方面軍の所在地。
有翼騎士団による上空偵察は、かなり広範囲を短時間に走査出来る。
そして特務部隊による現地偵察は、有翼騎士からは見えない伏兵まで丸裸にすることが出来る。
その結果、敵国内でありながら、敵軍の目を掻い潜り、敵軍と接敵しないように進軍することも可能となる。
が、基本的に俺は、戦闘を行うことを前提に戦略を練っていた。
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2,000人(有翼騎士団と特務部隊を除外した兵数は、1,700人)。これを3隊に分ける。
これは被発見率を更に下げる為と、行軍速度を上げる為。
けれど、あくまで行軍時の分進であり、野営時と戦闘時は(特殊事情がない限り)合流し、合流出来ない時も有翼騎士を介して情報交換を行っていた。
そして、商隊(既に宣戦布告をしている以上、ここは戦場。ならばそこにいる商隊は軍属の輜重輸卒と認識出来る)と輜重隊を襲撃し、物資を接収する。
また、この数で勝てる敵部隊(或いは特務部隊が捕捉した伏兵・斥候兵)に対しては、奇襲を以て攻撃し壊滅する。
つまり、通商破壊戦、即ち派遣部隊や拠点となる城塞に対する補給路を断ち切ることで、広義の兵糧攻めを行うのである。
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新暦2年10月18日。
ロージス地方領都シュトラスブルグ市を光学観測器の視界に捉えて。
「過去のロージスを巡る戦いは、如何にこのシュトラスブルグを陥落するかに係っていたという。
アディはどう攻める?」
ルビーが問うが、俺の戦略は決まっている。
「攻めない。」
「……なに?」
「リーフ国境砦と同じだよ。攻めずに素通りする。
俺たちにとってはシュトラスブルグを陥して拠点にする意味がないからね」
「しかし、リーフ国境砦とは意味が違う。後方にシュトラスブルグを残しておけば、最悪挟撃されるぞ」
ルビーのその懸念は間違いではない。けれど。
「俺は『攻めない』とは言ったけど、『放置する』とは言っていないよ」
「では、どうすると?」
「まず、俺たちの全軍の姿を都市側に見せる。
その上で、素通りする」
「リーフの国境警備軍と同じで、熱り立って追撃してくるだろうな」
「それを、迎え撃つ」
シュトラスブルグから東(カナリア公国側)に、ちょっとした丘陵地帯がある。
そこを登り切った地点で陣を布くのだ。
「馬の質は、こっちの方が絶対に上だ。
なら、丘を下りながら中央突破・背面展開、教科書通りの高速機動戦を披露しよう。
将来、その丘は『三方ヶ原台地』と呼ばれることになるだろう」
「……ミカタガハラ?」
「今回の俺の作戦は、完全に剽窃だよ。
前世の俺が生きた国の、歴史上の合戦の、ね」
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ドレイク王国軍千七百は、シュトラスブルグの至近(弩砲の射程圏外)を通過して、作戦名称「三方ヶ原台地」を目指した。
それを見たシュトラスブルグ守備隊は、追撃隊を組織した。
都市防衛に三千を残し、七千の追撃。防衛戦力は敵兵の約二倍、追撃隊は四倍強の戦力差がある以上、これを浅墓と断ずることは出来まい。
だが、シュトラスブルグからの追撃隊が「三方ヶ原台地」の麓に到着した時、丘の中腹に布陣するドレイク軍がいた。
ドレイク軍の陣形は、紡錘。少数兵力を活かす、ある意味当然の陣形であった。
対して追撃隊の布陣は、鶴翼。数を活かして包囲する陣形である。
数の差こそあれ、これは正しく『三方ヶ原の合戦』と同じ状況になっていることを知っていたのは、ドレイク王アドルフ只一人である。
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紡錘陣形は、突撃陣形。いうなれば「先の先」を取る陣形だ。けれど、待つ。ここは「後の先」を取ってこそ戦術が完成する。
追撃隊の陣形、鶴翼こそは「後の先」を取る陣形だが、この戦場では必ず向こうが先に動く。
戦う為にわざわざ城門を開いて野戦を選択したのだ。このまま睨み合うくらいなら、城門を開かず都市の中から見送った筈だ。
果たして、追撃隊は前進を始めた。陣取りの不利を踏まえ、鶴翼陣の利を捨てても、数の差を頼んでの進軍。間違いではない。
だが、こちらの軍馬は一角獣と妖馬。脚力も持久力も、普通の馬とは比較にならない。追撃隊の軍馬がこの斜面を駆け下りるのと同じ速度で、この斜面を駆け上がることも出来よう。その脚力で斜面を下った時。その破壊力は。
「全軍、構え!」
ルビーの号令。全兵士が騎兵槍を構える。
ドレイク王国の一般歩兵も、騎兵戦の訓練をしており、今回は騎兵戦で迎え撃つ。
「突撃に、前へ!」
ドレイク王国軍はカナリア公国軍シュトラスブルグ防衛隊に向け、撃てる者は〔気弾〕や〔射出〕で投げナイフなどを撃ち込みながら、斜面を転がり落ちるかの如く突撃した。
(2,619文字《2020年07月以降の文字数カウントルールで再カウント》:2016/09/24初稿 2017/09/30投稿予約 2017/11/07 03:00掲載 2021/03/25誤字修正)
【注(第六章第23話でも注釈しましたが、改めて):「通商破壊戦」という名詞は、通常は海戦に於いて使用します。陸戦に於いては単に「ゲリラ戦」とのみ言われますが、ここでは敢えて「通商破壊戦」という言い回しをしています。
作中の「『リングダッドの文化は~』と伝えたという逸話」というエピソードは、現フランス領アルザス地方を舞台とした短編小説〔Alphonse Daudet著『La Dernière Classe』〕(邦題:『最後の授業』)のパクりです。筆者はこの話を国語の教科書で読みましたが、今(平成29年度現在)では教科書に掲載する作品としては採用されなくなっているのだそうです。そもそもアルザス・ロレーヌ地方の住民は皆ドイツ系・ドイツ語(正しくは「ドイツ語方言」)を母語とする人たち。「授業」をしなければフランス語を知らない子供たちを相手にしているという前提を踏まえれば、この小説それ自体が「同化政策を目的とした政治的宣伝工作の産物」だという事になりますので、現代日本の教科書に採用されないことはある意味当然かもしれませんが】
・ この戦争に於けるドレイク軍の軍馬「妖馬」は(前回の『十日間戦争』もそうでしたが)は、アディのDM権能〔眷属支配〕で強制的に隷属させています(馴致の時間は無かった)。けれどそれゆえ、騎乗戦の訓練が足りない一般歩兵も、高速機動戦に耐えうる手綱捌きが出来るようになっています(正確には、騎乗している歩兵がいい加減な手綱捌きをしても、馬の方が隊長指示に従って行動してくれる)。
・ 日本史上の「三方ヶ原の合戦」では、追撃側の徳川軍の方が少数でした。むしろ何故浜松城を出て武田軍を追ったのか。そこには諸説あります。
・ この戦況に於いて、弓射戦は行われません。ドレイク軍の方が高所に布陣している関係上、カナリア軍(シュトラスブルグ防衛軍)の射程はドレイクのそれより短く、カナリア軍にとっては弓射戦を選択したら自軍の矢が届かないうちにドレイク軍の矢の雨が降ることになる為、弓射より距離を詰めることを優先したのです。なお、ドレイク軍には突撃しながら出来る攻撃手段(〔気弾〕や〔射出〕)があることも、弓射戦を選択しなかった理由のひとつです。




