第19話 布告
第04節 小麦戦争 Round-1〔1/4〕
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『小麦戦争』。
これは、後世付けられた名称であり、その当時その名称で呼ぶ者は一人もいなかった。
否、それどころかその当時、当事国の首脳陣以外でそれを『戦争』と認識出来ていた者は殆どいなかったと思われる。
知らぬ間に始まり、知らぬ間に終わっていた戦争。
ただの一度の会戦も無く、それ故ただの一人の戦死者も出なかった戦争。
この『フェルマール動乱期』(カナン暦701年の『毒戦争』から715年頃までの時期を指していう)に起こった数多の戦争の中で、この戦争の特異性だけは突出しており、それだけに多くの謎とその謎に挑む研究者の姿があるとも言われている。
その特異性の最も大きな点は、これが歴史上はじめて起こった『経済戦争』であるということであろう。
しかし誰が? そしてどうやってその知識を得たのか。
この戦争が偶発的に起こった、或いは結果的にそのような展開になった訳ではないことは、後世の研究者の一致した見解である。
だが、だとしたら、その時代“概念”さえなかった経済戦争を、その展開と行く末をどうやって察し得たのか。
この戦争の頃、この地方に生まれた某国と、その謎を結びつけて考える研究者もいない訳ではないが、そういった説を好むのは寧ろ娯楽文学の作家が多い。
その国が娯楽文学の発祥の地、とまで言われることにも関係があるのかもしれないが。
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「で、どうしてボルド評議会の評議長閣下が、一介の商会の会頭である俺を名指しで呼び出すんだ?」
「先日のビジアの戦争を前にして貴卿が儂に言った言葉そのままだ。
今回の問題に対する其方の方針を聞いておかなければ、恐ろしくて市の方針を定めることも出来ないと思ってな」
「ボルドとメーダラの戦争に、どうして俺の思惑が関わってくる?
……って、待てよ? 今ハティスの難民たちは――」
「然様。それが問題なんだ。
メーダラ伯はボルド市に通達してきた。
ボルドを頼る難民たちを保護している、とな」
「……そういう手で来たか」
単純だが、効果は抜群だ。
ボルド市が難民たちを保護すると言えば、メーダラはこれまで難民たちの為に費やした金額の全てをボルド市に請求するだろう。その上で(正確な数字ではないが)一万を超える難民を抱えることになるボルド市は、早晩破綻する。
かといって保護することを拒絶すれば、ボルド市は難民たちを見捨てることになる。その事実を喧伝して回れば、ボルド市は非人道的都市と看做される。
――勿論、それは詭弁だ。だがそれを詭弁と言えるのは、一万を超える難民たちを保護する余力のある領だけであり、それを言えば「そう言えるのなら」と一万の難民を押し付けられることになりかねない。
だから、他領はメーダラ伯の言葉の尻馬に乗る。そしてそれが、メーダラ領軍の行動に名分を与える。場合によっては「難民の為」という口実で、メーダラがボルドを占領することさえ国際的に認知されてしまうかもしれないのだ。
実際、評議長は俺の思惑を知りたいと言っているが、市の方針は既に結論が出ているだろう。そして、それを非人道的と責める者は市中にはいない。唯一の例外である、俺たちを除いて。
だがどうする?
打つ手はある。その方法ならボルド市が負う傷も最小限で済む。
しかし、その手を打つのは時期尚早、というのが本音だ。最初のハードルを越えることが出来るかどうかもわからない。しかし。
「評議長、頼みがる」
「何かな?」
「カネを貸してほしい」
「……藪から棒に、何を言い出す?」
「簡単だ。ハティスの難民、一万余り。俺たちが保護する」
「なんだと?」
「ボルド市はメーダラ伯の通達を正面から拒んでくれて良い。
市が拒むことで非難はあるだろうが、それは結局受け入れ先が無いからだ。受け入れを宣言する者が現れれば、その非難は意味を失う」
「だが、その負担は全て【ラザーランド商会】に負わせることになるぞ」
「【ラザーランド商会】じゃない。
【セラの孤児院】が難民たちを保護する」
「【セラの孤児院】?」
「あぁ、俺の所有するもう一つの商会だ。本拠地はハティス、代表役員は現ハティス難民団の団長でもあるセラフ・エルルーサ=ハティス男爵夫人」
「つまり、受け入れるだけの公然たる理由もある、ということか」
「だが、実際のカネが無い。済まないが貸してほしい」
「そういうことならわかった、とは簡単には言えないな。
評議会で予算を割けるかどうか検討しよう。商人ギルドとも協議する必要があるだろうな」
◆◇◆ ◇◆◇
カナン暦704年夏の三の月。
ボルド市はメーダラ伯の要請を、正式に拒絶した。
と同時に、【セラの孤児院】と名乗る商会が難民たちの受け入れを正式に表明した。
メーダラ領の商人ギルドがこの商会についての情報を照会したところ、ハティスに本拠を置く実在の商会であることが明らかになった。
そしてその商会の実質的な会頭は、ルシル王女の守護騎士としても有名な、アレクサンドル・セレストグロウン騎士爵。その人物の縁故を考えると、フェルマールの王族の生き残りが難民たちを保護すると宣言したと解釈されてもおかしくない。
嘗てのフェルマール戦争で中立(それもどちらかと言えば「フェルマールに対し敵対的中立」)の立場にあったメーダラ領は、領民の感情を考えるとルシル王女に敵対するような態度を採ることに躊躇いがある。
だからこそ、「嵩が一商会が領主同士の交渉事に口を挟むな」と一概に言うことが出来ない。せいぜいボルド市長に対して嫌味を言うのが関の山だ。
そしてメーダラ領と【セラの孤児院】の間で、難民たちの引き渡しに関する約定が交わされ、そこで定められた金額が記載された為替がメーダラ領に届けられた。
◆◇◆ ◇◆◇
『小麦戦争』第一幕。
これが通常の戦争であれば、難民たちを人質にして侵攻してきたメーダラ領に対し、金銭を支払うことで撃退出来たのだからボルド市側の防衛成功と解釈出来る。
が、これを経済戦争と考えた場合、まんまと身代金をせしめることが出来たメーダラ領の勝利、ということになるだろう。
だがこれが、一領を荒廃させた『小麦戦争』第二幕(というより本番)のはじまりだということを、この時点で誰が予測出来たであろうか?
(2,721文字:2016/02/26初稿 2017/03/01投稿予約 2017/04/29 03:00掲載予定)
・ 「歴史上はじめて起こった『経済戦争』である」と語っていますが、兵糧攻めやゲリラ戦術による補給路破壊などは当然それ以前から行われています。では何を以て「史上初」というのか、というと……(以下第28話後書をお待ちください)。




