第10話 賢者姫と白魔の乙女
第02節 傭兵騎士と賢者姫〔5/8〕
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オークフォレストからウーラに伸びる街道の途中、商隊が「ポイントO・ウッズ」(POW)と呼ぶ場所がある。木々が開けて見通しが良く、その為野営などに最適な場所でもあるのだが、同時に千人単位の部隊を展開するだけの広さもある。
ビジア本隊は、ここをアプアラ領軍の迎撃地点に定めることにしていた。
本隊三千をPOWの南方に横列陣形で布陣し、民兵四千を目立たないように周囲の森に潜ませた。
やがて進軍してきたアプアラ領軍五千は、紡錘陣形でPOWの北方に布陣。
そして夏の二の月の5日。アプアラ領軍が前進を開始した。
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アプアラ軍前進。
この報を受けて、総司令ミリアは弓矢による攻撃を本隊に指示した。
本隊の目的がアプアラ軍の足止めに過ぎない以上、積極的に討って出る必要はない。ただでさえ領民に「死ね」と命じる胆力のない彼女だからこそ、相手が動かないのならこちらも動く必要はないと考えていた。
彼女がイメージしているのは、幼い頃、孤児院にならず者が襲撃した日のこと。
あの時『おにぃちゃん』が意識を配ったのは、敵を捕捉することと確実に仕留められる位置取り。一方今は敵の姿が眼前に見えているのだから、その敵に対処すれば良い。
当然ながら、弓矢による攻撃では数えるほどの敵兵が落馬したに過ぎなかった。
そしてそのまま接近してくる敵兵。しかし。
ある瞬間から、土煙は紫色に変わった。
「弓射水平、効力射! 弩隊、狙撃開始」
地面に色付きの砂を撒いておくことで、彼我の距離を明示する。
それは射撃技術が未熟でも、適切な射撃距離を観測する為に編み出した方法である。
ミリアは、嘗ておにぃちゃんが砂利の音で敵の位置を割り出したことを応用して、この方法を考え付いたのである。
そしてこの距離の場合、弓の連射性能と弩の打撃力、どちらも有効になる。弩は射撃手・装填手・助手の三人構成。世にいう『長篠三段撃ち』である。それでもこの状況での弩の射撃速度は弓に劣る。しかし非熟練者でもその命中率は弓より遥かに勝る為、一人また一人と確実に狙撃していった。
それを突破していざ斬り込もう、と敵が勇んだその瞬間。馬は背の低い柵(馬防柵)を飛び越えることを拒み、その手前の土塁近くにある空堀に脚を取られた。そして足を止めた(或いは落馬した)敵兵に対し、情け容赦なく槍の穂先が突き出された。
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アプアラ軍第一軍は、ビジア軍の総司令が賢者姫と知り、軍略を知らぬ平民(どころか貧民)出身の姫など怯るるに足らずと力押しの突破を図ろうとした。しかし、弓射の命中率は高く、また馬防柵による機動力の排除など、なかなかどうして手が込んでいる。
小細工で機動戦の不得手を補う気だと、一当てしてすぐにわかった。なら答えは簡単だ。軍を割り、機動力で翻弄すれば良い。
日が暮れ、小糠雨が降る中、少数の部隊を周囲の森に送り込み、
しかし暫くの後、悲鳴を残してその部隊は消息を絶った。
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勿論、ミリアは誰よりもよくわかっている。自分の行っていることが底の浅い奇術に過ぎないことを。
今日の戦術は明日には通用しなくなる。明日の戦術は明後日には通用しない。
そしてネタが尽きれば手も尽きる。
出来ることは多様な戦法を披露することで、無限の戦術があると相手に誤認させるだけなのだ。そしてありもしない策を恐れ、手出しを控えてくれれば最上。その程度の、詐欺紛いの指揮しか出来ないのだ、と。
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翌日早朝。
「今日の先手はあたしが打つわ」
サリアが、前に出た。
サリアもミリアと同じ危惧を抱いていた。このままではじり貧でしかない、と。
端的な話、敵を減らさないと、単純に圧力で押し負ける。
守る為の覚悟は決めた。
「人を殺したくない」。そんな綺麗事で、自分の守るべき人を死なせる訳にはいかないし、また自分以外の誰かに「殺人」の罪を負わせる訳にもいかない。以前ボルドで新人狩りに対した時、シェイラに相手を殺させてしまったのは、間違いなく自分の愚かさが原因なのだから。
だから、この戦では自分が前に出る。自分がそうすることで、仲間たちが死なずに済むのなら。そしてここで敵兵を百人殺すことで、千人の敵兵が逃げてくれることを期待して。
合図をして、味方全員に防寒コートを着せる。いくら高緯度地方だからといっても、夏の二の月に防寒コートなど、と皆が言っていたが、嘗ての『毒戦争』に於けるブルックリンでの出来事は聞いている。強力な氷雪魔法を使うなら、味方のケアは絶対に必要なのだ。
そして発動させる魔法は、〔白魔〕。空間冷却魔法である。
しかし、〔氷結圏〕を会得し、即ち気化潜熱の理を魔法で再現した〔白魔〕は、以前より遥かに高効率で発動出来る氷雪魔法になっている。
高効率で発動出来るということは、範囲を広げるも威力を高めるも自由自在ということだ。
前日の雨の湿気がPOW全域に残っているこの時間帯、サリアは最凶の魔女になれるのだから。
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この日。サリアの〔白魔〕の影響で敵陣の動きが無くなったところを、ビジアの正規領兵(騎士団)254名が突撃を行い、アプアラ軍に甚大な被害を齎した。
その結果アプアラ軍は、後詰の三千が到着しても、積極的に討って出ることが出来なくなってしまった。
その日以来、アプアラでは「雨上がりの朝には白い悪魔が舞い降りる」といわれるようになったのである。
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更に数日が経ち。前夜にまた軽い雨が降った。アプアラ軍は、同じ手には二度と掛からんと言わんばかりに防寒対策(死んだ同僚の服を着込むなど)をして、サリアの〔白魔〕に備えた。
しかし、日が中天に差し掛かっても〔白魔〕の到来はなかった。
そこで気を抜いた瞬間。
彼らの陣屋に粘体のようなものが詰められた壺が投げ込まれた。
次いで、火矢。
この程度、と軽く見ていたアプアラ軍だったが、先の粘体に火が点いた途端、火は爆発的に燃え広がった。ただでさえ厚着をしていた為、服に火が燃え移った兵士も少なくなかった。
そしてその火は、水をかけても消えず、氷結魔法でも衰えなかったのである。
結局この日ビジア軍の攻撃はこれだけだったが、アプアラ軍は小さからぬ損害を被ることになったのである。そして彼らは知らない。湿度と気温が高い日、地面を炎で熱したら何が起こるのかを。
その炎は上昇気流を生み出し、上昇気流は空気中の湿気を上空に持ち上げ、冷やし、雲を作り、そして。
雨を降らせるのだ。
(2,972文字:2016/02/14初稿 2017/03/01投稿予約 2017/04/11 03:00掲載 2017/04/11「落とし穴」を「空堀」に変更)
・ 「小糠雨」は霧雨の異称です。季語としては「小糠雨」は春から初夏、「霧雨」は秋、と使い分けます。
・ ちなみに、サリアさんは「お話し」する為に砲撃魔法をぶっ放したり……するようにはなりません。
 




