第08話 婿殿と義兄
第02節 傭兵騎士と賢者姫〔3/8〕
「雪融けとともに、アプアラ領との戦争が始まる? それは一体何の話だ?」
この期に及んで呆ける意味があると思っているのなら、この領主様に無能の烙印を押さざるを得ないが、果たして?
「無駄な韜晦は無用に御座います。
私共は、オークフォレストに来る前に、アプアラ領都ウーラに立ち寄りました。
そしてウーラでは、市民や冒険者たちに至るまで、夏の戦を既定のものとして話をしておりました」
「そう、か。それは済まなかったな。
なら余計、私には其方と話をする時間などないと、わかっているのではないか?」
「では俺も、言葉を飾るのを止めよう。
ビジア領主ユーリ・ハーディ。アンタはこの戦争をどう鎮めるつもりだ?」
「何故おまえにそれを答える必要がある?」
「答えられないのなら策が無いものと看做す。
そして策が無いのなら、そのような危険な場所に可愛い義妹を置いておく訳にはいかないからな。ミリアを連れてボルドに戻ることにしよう」
「それが許されると?」
「妻を守ることも出来ない程度の男に、妹を任せられない。兄としては当然の判断だと思うが?」
「貴様なら守れると?」
「ミリア一人を守る手段など、百は思い付くな。
その意味では守るものが多いアンタには同情するが」
一触即発。
その空気に痺れを切らしたのは、当然ながら女性陣だった。
「アディ! 領主様を挑発してどうしようっていうの?」
「あなた! おにぃちゃんと喧嘩する為に呼んだ訳じゃないでしょう?」
計算尽くのところもあったが、それでも女たちに叱られるのは面白くない。少しは自重するとしよう。
向こうもそう思ったらしく、居住まいを正し、わざとらしく咳払いをしてから再び口を開いた。
「確かに韜晦する意味はないようだな。
我が領は遠からず侵略者との間で戦争をしなければならない。
我が領が商人に求めるものは、だから兵糧と軍馬と武具、そして傭兵の手配だ。
そのどれも【ラザーランド商会】の取引品目ではないだろう?」
「糧秣や傭兵の手配はすぐにでも出来るが?」
「なら、三千の兵を一月養えるだけの兵糧を一週間以内に用意することが出来るか? それなら其方との取引を考えても――」
「一万の兵馬を半年間養えるだけの糧秣を、今この場で提供出来る」
「いちま……」
「アプアラに寄ったとき、その備蓄庫から失敬してきた。
だがこの量を考えると、アプアラはビジアを突破してボルドまでを視野に収めているようだ。
『三千の兵をひと月』。その考え方では、間違いなくアプアラ領軍を凌ぎきることは出来まいよ」
勿論、『三千の兵をひと月』というのは、多分に俺に対する試金石だったのだろう。一週間以内にこれを用意出来れば、次の注文も出来る。そして領主が懇意にしている商人は他にもいるだろうしこれまでにも準備している兵糧があるだろうから、それで防戦の為の兵糧を確保出来る、ということか。だがそこから読み取れる戦略は、オークフォレストでの籠城戦、だ。
しかし、アプアラの最終目的地がボルドでビジアが通過地点でしかないなら、オークフォレストを無視してビジアの町村を蹂躙したうえで、ビジア伯の打倒はビジア領民に委ねる、という戦略をアプアラが採る可能性が高くなる。「ビジア伯爵は自己保身に走り、地方の町村を見捨てた」という噂が流れれば、領主としては致命的なのだから。
情報量の差、というのは確かにある。ビジア伯にはアプアラがどの程度の糧秣を準備していたかを推し量る手段がなかった。だからボルドにいた頃の俺と同じように、ビジア領だけが目的だと想像していた(アプアラに隣接するビジアの領主が、ボルドの商人と同程度の情報量しかないという時点で恥じ入る必要がある、と言ったら要求が高すぎるか?)。
だがビジア領の防衛、という観点から見ると、籠城戦は下策以外の何物でもない。隣接領であれば、攻城側の補給が途絶えることはまずありえないし、抑々雪が融けてからの開戦だから補給路に不備はないだろう。対する籠城側は援軍の宛てはない(援軍の宛てが無いにもかかわらず籠城を選ぶこと自体が愚策)。その上オークフォレスト市自体が籠城戦を前提に設計されている訳ではない。
これらのことを考えると、ビジア伯は俺に『傭兵一個中隊』を要求すべきだったのだ。
戦況がビジア伯の想定通りに推移したとき、アプアラ領軍本隊をオークフォレストで迎え撃ち、一方で傭兵隊が迂回して補給路を断つ(輜重隊を重点的に狙う)なり後方から敵本陣を直接攻撃するなりすることで、アプアラ領軍を撃退出来る可能性が出てくるだろう。
結論として。
ビジア伯は用兵家としては凡将を通り越して愚将の域に足を踏み入れている。そして更に残念なことは、領主に代わる将軍がおらず、また領主に諫言し助言する軍事面の補佐役がいないということだ。
「アプアラは、しかしここで準備していた糧秣を喪った。慌てて再度調達するだろうが、同じだけの量は集まらないだろう。なら当然、ボルドまでは手を出せない。
そこでアプアラ伯は戦略目標を変更する。短期間でのビジア領の陥落だ。
一方でビジア領も、長期戦は不利だ。敵国との戦闘を日常としている辺境領と、その盾の内側でぬくぬくと守られていた内地領では、領兵の質が違い過ぎる。
それでも短期決戦の為には、どうしても一度はアプアラの主力と正面から対峙し、少なくとも一戦を以て勝利する必要がある」
「だが、どうやって?」
「考えはある。
まずアプアラの糧秣の補給路はどこか、という問題だ。
アプアラとビジアの間にある、ウバ男爵領。フェルマール戦争時に中立とも敵対とも宣言せず、しかしアプアラやリーフの侵攻の対象にならなかった小領だ。ここは既に、事実上のアプアラの属領になっているのだろう。そしてウバ領から糧秣を徴収していたんだろう。
ならアプアラの別動隊がウバ領を経由することが可能ということになる。
本隊が街道を下りオークフォレストを目指す。そして別動隊がウバ領を経由してビジアに入り、こちらの後方を制する。
巧くいけば20日かからずオークフォレスト市は陥落するだろう」
「……」
「ならこちらも、本隊は街道を上りアプアラ軍と対峙する。勝つ必要はない。負けなければ良い。
そして傭兵隊を中心とした別動隊がアプアラの別動隊を捕捉し、撃滅する。
そのままウバ領を経由してアプアラ領を侵攻し、領都ウーラに迫る」
「だが、傭兵はならず者の集まりだ。それを制することの出来る指揮官は……」
「直接指揮は俺が執る。だが、名目上の指揮官は、ユーリ。アンタに立ってもらう」
(2,932文字:2016/02/14初稿 2017/03/01投稿予約 2017/04/07 03:00掲載予定)
・ ちなみに、「兵糧」は兵の食糧、「糧秣」は「兵糧」と「秣」(まぐさ。「馬草」とも書く。馬のエサ。近世以降に於いては燃料を指し、転じて兵士の食糧以外の物資の総称となる)の両方を意味します。ユーリは「兵糧」の話をし、アディは「糧秣」の話をしているということからも、ユーリの無能さが表れています。
 




