第34話 イノシシ狩り・2
第06節 冒険者という生き方〔6/8〕
一度ボルドに帰還し、当初の討伐対象だったキジをギルドに納品してから邸館に戻り、数日間留守にする旨を伝えて(シェイラたちはまだ戻っていなかった)、俺とルビーは改めて森に入っていった。
「イノシシに拘らないけど、野生の動物は臭いに敏感だ。特に鉄の臭いは忌避される。だから武器等は必要になるまで〔亜空間収納〕に収納しておいた方が良い」
「わかった」
「それから対象となる獣――今回はイノシシだけど――の獣道を見つけたら、可能な限り距離を取って且つ風下から近付く」
「距離を取るのか近付くのか、どっちだ?」
「最終的には近付かないと、討伐出来ないよ。だけど無闇に近付いたら臭いが移る。だから戦うか、罠を仕掛けるかするとき以外は近付かない」
「わかった」
そして俺たちはイノシシの痕跡を見つけ、それを追って森の奥に向かう。
「あそこを見てくれ。木の根元が大きく抉れて中に泥が溜まっているだろう?」
「あぁ」
「あぁいう場所を、『沼田場』っていうんだ」
「ぬたば?」
「イノシシが『ぬたうち回る場所』っていう意味だ。体の汚れを落とす為とか、寄生虫を洗い流しているんだとか、暑いから水浴びしているんだとか、色々言われているけどね」
「それはお前の前世の知識か?」
「そ。だからこの世界の猟師が沼田場を何て呼んでいるかは知らない。
それはともかく、イノシシが頻繁に利用する沼田場は、それにつれて大きくなる。これだけ大きな沼田場なら、おそらく何度も使っているんだろう。けど季節柄――もうすぐ冬が来る――、次にこの沼田場を利用するのはいつになるかわからない。
その上でルビーに聞こう。この沼田場でイノシシを待つか? それとも、別の場所を探すか?」
「別の場所ならもっと条件が良いのか?」
「それは何とも。もっと良いかもしれないし、もっと悪いかもしれない」
「なら、ここで待とう」
ならば、と場所を移す。ここは沼田場から見ると風上に当たる。ここで準備をするのは拙い。
沼田場の風下にある水場を見つけ、その周りにイノシシの痕跡がないことを確認する。
そこで、罠に使う道具を泥洗いする。
「何故泥でわざわざ汚すような真似を?」
「臭い消しだよ。言ったろ? 臭いに敏感だって。本格的な罠道具は、数日間雨曝しして金属の臭いとそれを作った人間の臭いを消すんだ。
だけど流石にその準備は出来ていないからね。せめて沼田場近くの水場の泥の臭いで誤魔化す」
「通用するのか?」
「何もしないよりマシ。どっちにしても、ここから先は俺たちとイノシシの知恵比べになるからね」
◇◆◇ ◆◇◆
豚革の手袋をして罠具を泥洗いし、改めて沼田場近くに戻り、風下から獣道を遡上る。そして適当な樹(イノシシの爪痕があるもの)の近くに小さな穴を掘り、“くくり罠”を設置する。
「これで良し。あとは待つだけだ」
「どれくらいで掛かるんだ?」
「さぁ? 明日には掛かっているかもしれないし、10日経っても掛からないかもしれない」
「そんなに?」
「知恵比べって言ったろ? ついでに持久戦にもなる。
待ってもここに来ないかもしれないし、ここに来ても罠に掛からないかもしれない。
罠を見破って避けられるかも知れないし、罠に掛かっても脱出されてしまうかもしれない。
罠猟に絶対なんて無いよ。ただ、普通に森の中を徘徊して偶然遭遇するより可能性は高いし、何の準備もなく遭遇してから対処するより安全性も高い。
さ、ここで立ち話をして臭いを残しても成功率が下がるだけだ。
近くの樹の上に移動しよう」
「何故樹の上に?」
「臭いを周囲に撒き散らさず、それでいながら罠の様子を観察出来るから」
「わかった」
そして移動しながら、
「だが、もしかしたら10日以上掛かるのかもしれないんだろう? その間の食事とかはどうするんだ?」
「食わない。飲まない。厠も行かない。眠らない」
「おい!」
「飲み食いしたら、トイレに行かざるを得ない。しなければ、トイレも必要ない」
「だが飲まず食わずで何日持つ?」
「〔回復魔法〕で無理やり永らえる」
「……そんなこと、出来るのか?」
「〔回復魔法〕は、体力の前借りだ。だから、出来る。腹が減ったら〔回復魔法〕、喉が乾いたら〔回復魔法〕、眠くなったら〔回復魔法〕。
そうして生命を維持する。限界が来てもイノシシが掛からないようなら、今回は諦める」
「凄まじいものだな、イノシシ猟というのは」
「昔はイノシシ一頭獲れれば一冬越せた。だから一月かけてでも挑戦する価値があるんだ。
寧ろ〔回復魔法〕のおかげで成功率は上がっているよ」
◇◆◇ ◆◇◆
それから7日が経過した。
ルビーは、俺が道すがら教えた風魔法〔気配隠蔽〕と〔回復魔法〕の併用がかなり負担らしく、衰弱している様子が見て取れる。
意地でも弱みを見せるつもりはないようだが、持ってあと1~2日といったところだろう。
そんな夜。遂にイノシシが現れた。体長140cmクラス、体重は150kgクラスの大物だ。
イノシシは、何かに警戒しているようにしきりに臭いを嗅いでいた。
ルビーの〔気配隠蔽〕が解除され体臭が洩れているのか、とも思ったがそれはない。緊張は見られるが冷静にイノシシの様子を観察していた。
そしてイノシシは、数日前俺とルビーが立ち話をしていた場所の近くで臭いを嗅ぎ、そこを迂回するように歩き、
そのままくくり罠に足を取られた。
「ルビー、行くぞ!」
俺たちは樹から飛び降り、イノシシの傍に寄った。イノシシは罠から足を抜こうともがき、興奮している。
「時間を置くと罠が外れる虞もある。後方から首の付け根を突けば一撃だ。やれ!」
俺がイノシシの正面に立ち、その注意を惹きつけている間に、ルビーは背後に回り神聖鉄の騎士剣『クラウソラス』で突いた。
「お疲れさま」
「何か、拍子抜けした。たったこれだけのことだったとは」
「それを七日前の自分に言えるか? 相手の生態を学習して、その痕跡を追って、自分と道具の臭いを消して、罠を仕掛け、そして七日間何もせずにじっと待つ。その結果がさっきの一撃なんだ」
「今までの私はお膳立てされた環境で剣を振るっていたということが、よくわかったよ。確かに冒険者の流儀で決闘したら、騎士は冒険者に勝てないな」
昔の決闘騒ぎを思い出して、俺も小さく笑うのだった。
(2,851文字:2016/02/01初稿 2017/01/01投稿予約 2017/02/18 03:00掲載 2017/02/20衍字修正)
【注:イノシシの生態や罠猟に関する参照元は、第一章第21話に記載してあります】
・ 本来、鉄は臭いません。鉄イオンが手脂と反応することで、獣が嫌う臭いになるのだそうです。




