田代派の目的
田代と武藤が学校を出てから、およそ三十分後。
夜の校舎に、複数の足音が響いていた。
「柴崎さん!」
「どこにいるんすか!」
黒田派に所属する二十人の生徒が、廊下を走っていた。
柴崎からの連絡が途絶えたため、様子を見に来たのだ。
清掃室へ続く廊下を曲がったところで、先頭を走っていた男が急に足を止めた。
「おい……」
廊下の中央に、柴崎が倒れていた。
「柴崎さん!」
柴崎は意識を失っていたが、呼吸はしていた。
制服は乱れ、顔や腕には戦った痕が残っている。
「嘘だろ……」
「柴崎さんが負けたのか?」
「あの女にやられたんだ」
柴崎は黒田派の幹部だ。
下っ端を五人倒した武藤であっても、柴崎なら簡単に潰せる。
みな、そう信じていた。
だが、現実には柴崎が倒れ、田代と武藤の姿は消えている。
「黒田さんに連絡しろ」
「何て言うんだよ」
「そのまま伝えるしかねえだろ」
一人がスマートフォンを取り出している間に、残りの二人は周囲を調べ始めた。
清掃室の扉は開いたままだった。
中へ入ると、用具棚はへこみ、机と椅子が倒れている。洗剤やバケツ、清掃用具が床一面に散らばっていた。
激しい戦いがあったことは、一目で分かった。
「田代派の作戦室か」
「何か残ってるかもしれねえ。全部調べろ」
二人は倒れた机を起こし、床に散らばった物を集め始めた。
黒田派を倒すための計画書。
校内の見取り図。
ほかの派閥と交わした密約。
田代派が学校を統一するために準備していた証拠が、どこかに残されているはずだった。
しかし、見つかったのは予想とはまるで違うものだった。
「何だ、これ?」
一人が床から薄い参考書を拾い上げる。
表紙には大きく『中学一年 数学』と書かれていた。
その近くには、小学生用の算数ドリルも落ちている。
「暗号か?」
「どこが暗号なんだよ」
「じゃあ、何でこんなもんがあるんだ?」
もう一人が、開いたままのノートを拾った。
中には一次方程式が何問も書かれている。
赤いペンで丸や書き直しがつけられ、端には田代の字で短い説明が添えられていた。
「これ……普通に勉強してたんじゃねえか?」
「そんなわけあるか。毎日、夜まで清掃室に集まってたんだぞ」
「でも、ほかに何もないぞ」
床の隅に、一枚の紙が落ちていた。
拾い上げて広げる。
それは田代が武藤のために作った、今後の学習計画だった。
小学校の復習。
中学範囲の修了。
高校基礎。
大学受験対策。
紙の一番上には、目的が大きな文字で書かれている。
『二年後 東京大学合格』
「東大……?」
三人は、しばらく言葉を失った。
◇
翌朝。
黒田派が使用している校舎三階の大教室には、重い空気が流れていた。
教室の奥に置かれた椅子に、黒田が座っている。
その前には、昨夜学校へ向かった三人が並んでいた。
「柴崎は?」
「病院です。命に別状はありません」
「誰にやられた」
「田代派の女です」
教室に集まった黒田派の生徒たちがざわめいた。
幹部の柴崎が、一人の女子生徒に敗れた。
それだけでも、黒田派にとっては大きな問題だった。
黒田は表情を変えず、三人を見ている。
「それだけか?」
「清掃室を調べました」
一人が、持っていた鞄を机の上に置いた。
中から参考書やノートを取り出して並べる。
小学生用の算数。
中学一年生の数学。
国語と英語の参考書。
最後に、学習計画が書かれた紙を黒田の前へ差し出した。
黒田は無言で紙を手に取った。
「何だ、これは」
「田代派が清掃室でやっていたことです」
「作戦の暗号か?」
「俺たちも最初はそう思いました。でも、調べた限り、普通の勉強です」
黒田の眉間に皺が寄る。
「じゃあ、あいつらは毎日、清掃室に集まって何をしてた」
「田代が、あの女に勉強を教えていたようです」
「何のために?」
報告していた男が、一瞬答えるのをためらった。
「東大に合格するためです」
教室が静まり返った。
「もう一度言ってみろ」
「田代派の目的は、鈴宮高校の統一ではありません」
男は机の上に置かれた学習計画を指さした。
「東京大学への合格です」
黒田はもう一度、紙へ目を落とした。
黒田派は一か月もの間、二人を監視していた。
毎朝行われる護身術の稽古。
授業が終わると同時に入る清掃室。
夜まで続く密会。
すべては鈴宮高校を統一するための準備だと思っていた。
だが、実際に行われていたのは、小、中学生レベルの勉強だった。
「つまり柴崎は……」
黒田が低い声で言う。
「東大を目指して勉強していた女を襲って、返り討ちにされたのか?」
「……はい」
黒田の手に力が入る。
学習計画の紙が、音を立てて潰れた。
次の瞬間、黒田は机を蹴り飛ばした。
参考書とノートが教室中に散らばる。
「ふざけやがって!」
怒声に、黒田派の全員が身を震わせた。
「学校を取る気もねえやつらに、俺の部下が二度も負けたっていうのか!」
黒田にとって問題なのは、田代派の目的ではなかった。
幹部である柴崎の敗北が知られれば、黒田派の面目は完全に潰れる。
「このことを知ってるのは?」
「ここにいる者だけです」
「柴崎が負けたことは誰にも漏らすな」
黒田は椅子から立ち上がった。
床に落ちた数学の参考書を踏みつける。
「田代派が何を目指していようが関係ねえ」
その目には、激しい怒りが宿っていた。
「東大へ行く前に、鈴宮から消してやる」




