私の人生
これは小説ではない。
五十六歳の男が、これまでの人生で実際に起きたことを書き残しているだけだ。
私には妻も子供もいない。
友人と呼べる人間も、一人もいない。
両親はすでに亡くなっている。
私が今日、どこで何をしていたのか。
何を食べ、誰に怒られ、何を考えたのか。
そんなことを尋ねてくれる人間は、もうこの世にいない。
私が死んだところで、困る人間もいないだろう。
清掃会社は代わりの人間を雇う。
アパートの大家は部屋を片づけ、新しい入居者を募集する。
私がいなくなった痕跡など、数日もすれば消えてしまう。
だから、書くことにした。
誰かに読んでもらいたいわけではない。
同情してほしいわけでもない。
ただ、自分という人間が確かに存在していたことを、せめて自分の言葉で残しておきたかった。
当時、私は五十六歳だった。
職業は清掃員。
正社員ではない。
清掃会社にアルバイトとして雇われ、指定された現場へ行き、床を磨き、ゴミを集め、便器についた汚れを落としていた。
時給は千二百円。
賞与も、昇給も、退職金もなかった。
郊外にある六畳一間のアパートで、一人で暮らしていた。
朝起きても、誰にも挨拶をしない。
仕事から帰っても、誰も待っていない。
休日は一日中、誰とも言葉を交わさないこともあった。
どこにでもいる、孤独な中年男だった。
ただ一つだけ、現在の私からは想像できない経歴がある。
私は東京大学を卒業している。




