第五話 転生者の婚約者①
私の婚約者、ジェラルド・オルクス侯爵令息。
十六歳になった兄が学園に通い始めてから、ラスウェル伯爵家によく遊びに来るようになった中性的な美しい容姿の品行方正な令息。
使用人のような格好をした私にいつも優しく接してくれていた。
『どうして伯爵令嬢なのにそんなに傷だらけなの?』
他家の、それも侯爵家という家柄である彼に、我が家の事情を父や兄の許可も得ずに勝手に話すわけにもいかず、口を噤んだ。
うつむいて黙っている私に、ジェラルド様は優しく微笑み、ポンポンと頭を撫でた。
『僕は治癒魔法が使えないんだ。ごめんね』
私は小さく首を横に振った。
治してあげたいと、そう思ってくれたその言葉だけで嬉しかった。
『今日はお菓子を持ってきたんだ。セレーナも一緒にどうかな?』
『……ありがとう、ございます……オルクス様』
『ジェラルド、でいいよ? セレーナは僕の親友の妹なんだから』
ジェラルド様は伯爵家に来るたび、私を交えてお茶をする。この時だけは兄もいつもより穏やかな口調で話してくれる。
今まで一度もしたことのない茶会を初めて体験させてくれ、私と兄のどこかぎこちない雰囲気を和らげてくれる。ジェラルド様は私にとって大切な人だ。
『え……? ジェラルド様と、婚約……?』
そんなジェラルド様にほのかな恋心が芽生えていた、ある日。
私も十六歳になり、今度は学園でもジェラルド様に会うことができると胸を躍らせていた私にそれを上回るほどの衝撃が走った。
普段はまったく会話もなく、存在すら忘れているはずの父から執務室に呼ばれた。
母が亡くなってから、初めて入る執務室。母が使っていた頃のような華やかさは微塵も残っておらず、モノトーンで揃えられた無機質な空間になっていた。
そんな息の詰まりそうな部屋の空気に、早くここから出たいと呼ばれた理由に考えを巡らせた。
学園での話だろうか、と思っていたところ、オルクス侯爵家から私宛に婚約の打診が来た、と言われたのだ。
『まあ、ジョシュアの繋がりだろうが……くれぐれも粗相するなよ』
『かしこまりました』
父の手前、喜べずにいた私だったが、半地下の自室に戻ると、思わず顔が綻んでしまった。
(嬉しい……! ジェラルド様の婚約者になれるなんて、夢みたい!)
侯爵家嫡男であるジェラルド様と結婚すれば、侯爵夫人となる。それどころか、この家からも出ることができる。
学園に入れば、シャーロットからの攻撃を受ける回数が減ると喜んでいたのに、入る前にこんな嬉しい出来事が続くなんて。
今まで収納した魔法を生成し、新しい魔法で花火でも打ち上げてやろうかと画策する私の耳に、突然バンッという破裂音が聞こえた。
『婚約したって本当なの、異母姉様?』
持ち前の風魔法で私の部屋の扉を吹き飛ばしたシャーロットが丸見えになった廊下で仁王立ちしている。
すこぶる機嫌が悪そうだ。
いつもなら、半地下にある私の部屋にまで来ることはない。シャーロットいわく『カビが生えちゃう』とのことだ。
私としては絶対的な避難場所になって安心して過ごせていたのだけれど。
どうやら、今日は本格的に私の身が危ない。
『黙ってないで、何とか言いなさいよ!』
私に聞くということはきっと父から直接教えてもらえなかったのだろう。義母からのふわりとした報告だけだったに違いない。
相手が侯爵令息だと知ったら、どうなってしまうのか。さすがに不安で身体が震えそうになる。
『お、お父様が、お決めになったから……』
事実のみを伝えると、チッと舌打ちし、いつものように私に杖を向ける。
『《風よ、吹き飛ばせ》』
半分しか開かない窓のみの部屋に、突然風が巻き起こり、私の身体をまるで人形のように壁に叩きつけた。
『うっ、ゴホッ……ガハッ』
壁に貼り付けになった状態から、今度は床に崩れ落ちる。恐らく何箇所も骨が折れているだろう。とりあえず、身体の内部だけは治療しないと――気を失ったら、もう戻ってこれないかもしれない。
薄れゆく意識の中、懸命に呟く。
『……《抽出》……』
幸い、シャーロットの耳に私の声は聞こえていないようだった。
『入学式が楽しみね、異母姉様。その身体で間に合うかわからないけど。ああ、そうだ! 異母兄様が治してくれるんだもんね? あー、でも異母兄様が帰ってくるまで、まだ時間あるわね。治療、間に合うといいね、異母姉様? フフッ』
シャーロットは私の部屋に一歩も足を踏み入れることなく、遠ざかっていった。
痛みを収納した後、横たわった状態のまま、学園に入学した後のことを考えた。
私の相手がジェラルド様だと知ったシャーロットは私をどうするだろう。
今までジェラルド様が伯爵家に来るのは決まってシャーロットと義母が不在の時ばかりだった。だから、彼のことをシャーロットは知らない。
もしも、前もってジェラルド様に会っていたら――私の拠り所だった小さな茶会は今まで続けることはできなかっただろう。
学園での生活はどうなるのだろうか。
『……怖い……』
私は幸せの絶頂から奈落の底へと叩き落とされたのである。




