国境(くにざかい)の烽火(ほうか)(第九章~第十章)
先日アップした『南魏紀伝【第二巻】』の第一部「新たなる旅立ち」に続く第二部「国境の烽火」の冒頭にあたる第九章~第十章だけをとりあえず書き終えたので発表いたします。その後まだこの第二部「国境の烽火」はしばらく続く予定です。
第九章
その後、廉淵およびその部下のために延漢の兵糧や交代要員となる将兵がやってきた。麗玉が賄賂を渡したおかげだろう。ただ、その兵糧や将兵の到着が夕刻、もはや日没近くだったので、魯雲は「あること」を思いつき、陸正に提案した。そして陸正が
「魯雲どの。それは良い案だ。多少は手間がかかるがさっそく実行しよう」
と言ったので、陸正と魯雲は兵糧を一時あずかり、「あること」の実行に移った。
その夜の食事から、延漢の兵糧を南魏の将兵の窯で炊いて、廉淵たち延漢の将兵は約二割ぐらいずつが、時間を空けて交互に南魏の窯で炊いた延漢の兵糧を食べさせてもらう事になった。
その様子を見た匈奴の密偵は、廉淵たち延漢の将兵のほとんどが延漢の陣内におり、その陣内から炊事の煙があがっていないことを上官に報告した。
かつて延漢の西から援軍に来た陸正たち南魏軍が自らの兵糧をある程度分け与えたとはいえ延漢軍が飢えていたことを知り、延漢軍を攻撃して容易に駆逐していった。その経験があったので、密偵の今回の報告を受けた上官はさっそく部下たちに説明をした。
「以前延漢の西から南魏の援軍が来たときには、ある程度の兵糧は延漢軍に渡されたようだ。だが南魏もさすがに余裕がなくなったのだろう。今回やって来た援軍は自身の分の兵糧しか持っていないようで、延漢の陣内には煮炊きをした形跡が無い。南魏軍の陣を避けて延漢軍の陣に向けて一気呵成に攻撃すれば、延漢軍をすべて駆逐し、多くの首級をあげられるであろう」
この上官の言葉を信じた匈奴の兵士たちは、南魏軍は避けて延漢軍に一斉攻撃を仕掛けた。だがその直後、実際には充分な兵糧を南魏の陣内で食べていた延漢軍は、廉淵を先頭に猛烈な勢いで反撃した。
(飢えた者たちがなぜこんなに精強なのだ?……まさか飢えたかのように擬装していたのか?)
そう気づいた上官は慌てて退却の合図を出したが、廉淵やその部下たちの激しい追撃を受けて多数の将兵が討ち取られ、さらにその奇襲経路つまり南魏軍を避けて通ってくることを事前に見越していた魯雲と陸正が配備した麗玉の部隊と彭蒙の部隊そして耶律玄賽の部隊によって奇襲が失敗した匈奴の一団は包囲された。
そこで魯雲が先頭に立って宣言した。
「匈奴の将兵よ。貴殿らはあくまでも朱那郁単于およびその単于の側近から命じられて戦ったのであろう。ならば武器を捨てて投降すれば、諸君らの処分は延漢王李荘陛下や丞相司馬徴閣下のご意向次第では助かるかもしれない。李荘陛下は慈悲深い名君と聞いている。我々の君主である南魏王周越陛下も無駄な流血は好まないであろう。武器を捨てて投降することを勧告する。また、武器を捨てない場合は我が南魏における弓術の達人たる麗玉どのの部隊が貴殿らに向けて一斉に矢を放つ。ここで死に急ぐこともあるまい。どうか武器を捨てて投降していただけないだろうか?」
魯雲の言葉を受けて匈奴の一団の中に、一人また一人と武器を捨てる者が出た。そして最終的には全員が武器を捨てて投降した。
かくして魯雲たち一行を迎えた後の敵襲は、南魏と延漢の連合軍が匈奴の多くを捕虜にすることで幕を閉じた。
この敗北の報告を受けた、北東の国境付近の匈奴の幹部の一人である赤老温は、飢えているはずの将兵によって多くの将兵が討たれさらには生き残った者たちも投降したという、具体的な報告内容を聞いて考えた。
(延漢の廉淵という将軍は稀代の猛将ではあるが知恵は無いと聞いている。ならば援軍として参戦した南魏軍の中に知恵者がいるということか?)
延漢軍を攻撃した部隊が負けたという報告から「延漢軍の兵糧は既に届いており、その兵糧が届いていないかのように擬装したのだろう」と正確に推測した。そして赤老温は策を練る必要があると考えた。
第十章
赤老温は魯雲や陸正について詳しくは知らないが、自らの智謀に自信があった。密偵を放って魯雲や陸正の部隊の動きをある程度把握すると、赤老温はその地域の地形を利用した計略を立てた。
魯雲の部隊と陸正の部隊は、ある時、広い平原に差し掛かった。そこで魯雲は何か違和感をいだいて陸正に尋ねた。
「陸正どの。ここには何か罠がある様な気がします。しかし僕には本当に罠があるのかどうか、そして罠があるとしたらどんな罠なのかが分かりません。陸正どのには分かりますでしょうか?」
魯雲からの問いに陸正は落ち着いた口調で答えた。
「魯雲どの、貴殿の推測は正しいだろう。あのあたりをご覧なされ。木々の枝が不自然に切られている。おそらく火計をするためにあわてて切ったのだろう。」
「火計…ですか。なるほど、この場所は火計に最適ですね。このまま直進すれば敵の火計で大打撃を受けるでしょうね」
「そうです。なので、この広い平原は迂回して別の経路を通りましょう」
魯雲の直感、そして陸正の読みは正しかった。その平原の風上では赤老温の部隊が火計の準備をしていたのだ。それがこうしてその平原を迂回する進路をとったため、赤老温の計略は失敗に終わった。しかも、釈放されるために功績をあげたい耶律玄賽の進言により、耶律玄賽とその部下つまり契丹の諸将が結成した部隊が、風上にいた赤老温の部隊を襲撃した。赤老温は陸正の様な文弱の徒ではなく、魯雲よりは武芸に秀でているが、麗玉と戦ってもやや優勢だった耶律玄賽ほどの武芸者ではなく、しかも予想外の襲撃だったため部下ともども敗走することになった。
他方、ある時は逆に赤老温の部隊の動きを察知した魯雲が、逆に既に先回りしていた地形を利用して何らかの罠を用意できないかと考えた。その際、魯雲は少し戸惑ってしまった。
困った魯雲は陸正に相談した。
「陸正どの、敵の部隊の動きがある程度わかりました。この地域に来れば火計を用いることが出来ると思いますが、火計に最適な地形だから敵も火計を警戒しているかもしれません。火計に最適な地形を利用しながら、しかも火計を警戒している敵に対して有効な、何らかの策はございませんでしょうか?」
魯雲の相談を聞いた陸正は深くうなずいてから答えた。
「魯雲どの、実は私も同じことを考えていたのだ。火計に最適な地形のそばを敵が通りそうであるのに、もし敵が火計に対して警戒すれば、その地形をあえて避ける可能性は高い。ならばあえて火計に適した地形にふさわしい、何らかの策を練るべきだと思っていたのだ。そして私は以下の様に考えるに至った……」
陸正から具体的な謀を聞いた魯雲は納得し、自身とその部下で陸正が望む通りの行動をとった。ただ、その時魯雲が思っていた要求を陸正に伝えたことが、後ほど作戦の結果をある程度変えてしまうことになるのだった。
数日後、赤老温の部隊はまさに火計に最適な地形に近づきつつあった。だが、当然赤老温はその地域を無闇に通れば火計により大打撃を受ける可能性が高いと感じていた。そこで道中に南魏軍が練っている策略の痕跡が何か無いかと探りながら馬を進めていた。そこで赤老温はあるものをみつけた。
道中には、切られた枝がところどころに落ちていた。しかもそれらの枝にはどれも油が染み込ませてあった。何本かの枝を拾った赤老温は「火計のために枝を燃えやすくするための工夫であろう」と判断し、南魏軍の動きを推測した。そして赤老温は以前の南魏軍と同じ行動をとろうとした。すなわち風上に行けば南魏軍が火計の用意をしているだろうから、風上にいるはずの南魏軍を急襲すれば勝利は確実だろうと思ったのだ。
そして実際、赤老温の部隊が風上に行く最中に、火を放つのに最適の地点に行った。だが、そこには数本の木々があるだけだった。そしてその木の一本には矢文が刺さっていた。
その矢文を抜いて持ってくるようにと命じた赤老温だったが、部下がその矢文を抜いた直後に危険を察した赤老温は叫んだ。
「まずい!罠だ!引き返せ!今来た道を全速力で引き返すのだ!」
赤老温に言われた通りに矢文を取りに行った部下はとりあえず矢文を持ったまま引き返し、赤老温もその部下たちも今来た道を大急ぎで引き返した。
事前に待機していた麗玉およびその部下の将兵が赤老温たちに矢を浴びせたが、討ち取れた人数は少なく、敗退させるだけにとどまった。その後、陸正は他の者たちに詫びた。
「いやあ、済まない。てっきり龐涓の故事に倣えば、敵は恐れをなして降伏してくれると思ったのだが」
それに対して魯雲は恐縮しながら言った
「いえいえ、陸正どの。貴殿が悪いわけではありません。むしろ僕が『出来れば敵を恐れさせて降伏させたい』という要求を出したから捕らえ損ねたのですから。……あの矢文を見た敵が矢文の中身を読む前に罠だと気づいたのは僕も想定外でした。それでもせめて敵が別の経路を通ってくれれば良かったのですが……」
そこで廉淵と彭蒙が不満そうに述べた。
「まったく、勘の鋭い敵だ」
「そうだな。別の経路を通ってくれればオレたちが各々待ち伏せしていたのに、『もと来た道以外は何か罠があるに違いない』と咄嗟に判断したんだな……」
せっかく待機していたのに活躍の場が無かった廉淵と彭蒙に対して、前回の戦いと今回の戦いで活躍した耶律玄賽と麗玉は述べた。
「たしかに勘が鋭いな。それは貴殿らの落ち度ではなく敵が知将であるという証だ。気にするな」
「そうね。あなた達が悪いんじゃない。敵が早く罠に気づいたこと、そして敵の馬術がすぐれていたことが原因でわずかしか射殺せなかっただけよ」
そこで魯雲が割って入った。
「いやいや、やはり生け捕りは難しい。僕の考えに付き合ってくださった陸正どのや他の皆さんには無理を言って申し訳なかった」
しかしそこで樊順が魯雲を擁護した。
「魯雲どの。しかし我々樊順党の者たちは、魯雲どののおかげで全員南魏の官職を得た。それは魯雲どのが我々を生かしてくれたからだ。匈奴の武将でも生け捕りにすることによって平和をもたらす場合があるかもしれない。どうかお気になさらず」
魯雲はその言葉に喜びながら応じた。
「かたじけない。とは言え、その樊順党の皆さま達には僕も助けられた。特に以前の契丹との戦いでは紀覧どのとその部下が僕を助けてくれた。あの時の助けが無ければ僕は戦死していた。だから僕の方こそ樊順党に感謝している。もちろん、僕の案に同意してくれた部下たちや、貴殿たち南魏の諸将全員に対しても感謝しているが……」
魯雲のこの発言で、魯雲の部下も他の者たちも多くは落ち着いたが、魯雲の考えをめぐって幾分かは意見が分かれることになった――
その頃、赤老温は部下の持ってきた矢文を読んで思った。
(あやういところだった……しかし、この手紙からすると、南魏は我々に降伏を勧告したいのだろうか?一体どういうつもりで戦っているのだ?我々は南魏と延漢の連合軍を生け捕りにするつもりではなく殺すつもりで戦っているのに……南魏の将兵はよく分からない連中だな……)
赤老温が読んだ手紙。そこには以下のように書いてあった。
「龐涓、此の樹の下で南魏に降伏せり」
かつて孫臏が宿敵の龐涓を追い詰めて自害させた故事にちなんで、しかし文の内容を元来の「龐涓、此の樹の下で死なん」ではなく「龐涓、此の樹の下で南魏に降伏せり」に書き換え、「この矢文の通り降伏することになる」と言わんばかりの宣言をしたのは、「出来ることなら敵を殺さず生け捕りにした方が良いのではないか?」という魯雲の意見を受け入れて陸正が考えた文章だった。しかし、そうした意図が赤老温には不可解だった。赤老温にとって「敵はなるべく生け捕りにするより殺すべきだ」という信念があったからだ。いや、それは赤老温に限らない。匈奴の他の幹部たちの中にも赤老温と同じ意見の者が少なくない。
他方、南魏軍の中にも赤老温のような考えの者もいた。最初から殺すつもりで風上に近づいた時点で矢を一斉に放てば、麗玉およびその部隊の弓術なら敵の大半を討ち取れたであろうという意見もあったからだ。ただ、他ならぬ麗玉自身が
「魯雲どのは大局的に勝つことをお考えであり、陸正どのもそんな魯雲どのに賛成なさいました。たしかに殺すことを優先する戦いもあるでしょうし、むしろそういう戦いの方が多いかもしれませんが、南蛮王孟獲を殺さず生け捕りにして心服させた諸葛亮の故事もあります。延漢軍の皆さまにまで協力を頂くことは難しいかもしれませんが、我ら南魏は『敵を殺さず生け捕りにした方が大局的には勝てる場合もある』という考えを持つべきでしょう」
と言ってくれたので、一部とはいえ魯雲の考えに賛成してくれる人が増えたのは事実であった。魯雲は
(また朱さんに助けられたな…本当に申し訳ない……)
と考えて肩身の狭い思いをしつつ、軍議の後で麗玉に頭を下げながらお礼を言った。
とりあえずここまでです。第二部「国境の烽火」の残りは、いつ執筆するかは全く未定です。気長にお待ちくだされば幸いです。もちろん、ここまでの範囲でも感想は大歓迎です、よろしくお願いいたします。




