22、戴冠の掌(たなごころ)
リリエは警戒して石造りの寝台から少し腰を浮かせるが、きっと誰かが入ってくるなら、毅然と座って余裕を見せている方がいいと思い直して座って背筋を伸ばした。
部屋のそんなに厚くはない石の扉の前で足音は途絶えて、錠前の開錠された音が聞こえる。
扉の方を座った姿勢のままじっと見据えた。
扉が開かれると4人の人影が見え、ランタンの灯りと共に先頭をクラメツ先生が、その後をお仕着せから普段のドレスに着替えたエルザ先生が、そしてヘルムート先生と、レオポルト先生が後に続く。
「お目覚めの様ですね、我らが女王陛下」
「……先生方が反王派でしたか……」
「ふむ。随分落ち着いているね。という事は君は我々教師の中に反王派がいるという事を掴んでいたという事かな?」
やはりヘルムート先生は可笑し気に顎に指をあてて聞いてきた。
「……お答え致しかねます」
「私の読みだとあの護衛騎士が君に要らぬ入れ知恵をしたのではないかと踏んでいるのだがどうだい?」
「……それもお答え致しかねますわ」
王妃の仮面を被って微笑んで見せた。
彼らはリリエに王妃教育の一端を教えてきた人物達だ。手の内を知られているに等しいリリエの武器がどこまで通用するかはわからない。
それでもレクスが来るまでは絶対に粘ろうと決意をした。
「いいね、今君は我々教師陣4人を相手に対等に渡り合わなねばならない。さあ女王陛下、お手並み拝見と行こうか」
ヘルムート先生はソファに腰かけて足を組んだ。
粘る為にも話を引き延ばさなくてはならない。本題に入る前の枝葉のような話から始める。
「……先生方はいつから、反王派に寝返られたのですか?」
クラメツ先生が福々しい笑顔で答える。
「私だけは最初から、反王派でありました。ホラーク女史、ノヴァーク殿、ヴラスタ殿には反王派の崇高な理想が理解出来る素養がありましたのでな。お声がけさせて頂いたのですよ」
「王妃教育を請け負う教師を引き込めるなんて、さすがはクラメツ先生ですわね。感服致しました」
どんなに不利な状況でもそれを決して表に出してはいけない。
笑顔の仮面と優雅さのドレスを身にまとって、戦闘態勢に入る。
「女王陛下、聡明であらせられる貴女であればお判りでしょう? 現状の文官達の不満を。粉骨砕身、身を粉にして国の為に働くのは何も軍人だけではない。国は政治が動かし、財が潤し、法や道徳が律する。武力だけが国を支えるわけではない事をこの国はそろそろ気が付くべきなのです」
エルザ先生が引き継ぐ。
「そう、軍国主義が非力である女性の立場をとても弱いものにしています。何度も授業でお教えした筈です。この国で女性が持てる最高の権威は王妃です。ですが王妃に出来る事など少ない……、いいえ、無いに等しいでしょう。貴女のような才覚の持ち主がその様な地位に甘んじていていい筈がありませんわ」
私はレオポルト先生を見た。
「レオポルト先生も同じように現在の国の在り方に不満をお持ちなのですか?」
「ああ、当然だ。まずそもそも軍部と文部では割かれる予算全く違う。その事にいつもながら嘆息する。仔細を財務局に問い合わせても正確には把握できないが、大まかな計算だけでも充分にその不公平さはわかる。ここヴァルタリア領は税制面で大変優遇されている。軍事産業がメインだからだ。しかし西に位置するブルンスヴィーク領はどうだ。あれだけ優秀な文官を輩出している領が未だ何の恩賞も受けられずにいる。これを不公平だと言わず何と言うのだ」
クラメツ先生がその後を引き継いだ。
「女王陛下。貴女が立ち上がって下されば、多くの報われぬ文官達に正しい評価を下す事が出来ます。文官の我々は軍人の褒賞の半分もないのですよ」
「……ヘルムート先生は軍属であるのに、どうして反王派に?」
ヘルムート先生は足を組んだままの姿勢でソファの背凭れにその背を預ける。
「私かい? 私は女王であるとか文官の待遇とかにはあまり関心がないね」
「では、何故?」
「君だからだよ、リリエ嬢」
リリエはその表情に疑問を乗せ、先を促した。
「わからないかい? 君には才がある。人を率い、戦略を巡らせ、戦っていけるだけの才覚がね。私はその可能性を見たくなったんだよ」
リリエはやはり一番ヘルムート先生が曲者だと思う。
「だから、今君が私達の言葉に傾聴するふりをして時間を稼いでる事にも感心しているよ。実に女王の風格だ」
そう、ヘルムート先生はリリエの思考の癖を最も理解している。一手一手が見透かされる。
内心焦りを感じたけれど、にっこりと王妃の仮面を被ってヘルムート先生に向き合う。
「あら、心外ですわ。先生がたの求めるものをお教え頂かないと私の返答は決められませんでしょう? もし女王になるのならなおさら、重臣達の内情も理解してないお飾りの女王になんてなる気はないですもの」
「さすがは我らの女王陛下だ。しかし我らは一枚岩ではない。君もそう揺さぶりをかけてきたね。だが、君を女王に戴こうという望みは一枚岩だというと自負はあるよ」
ヘルムート先生はクラメツ先生に目配せをした。
クラメツ先生は懐から羊皮紙を取り出し、リリエの前に広げて見せた。
「御覧下さい、女王陛下。陛下の治世を望む者達の血判です」
リリエはその署名に驚愕した。
ブルンスヴィーク領主 カレル・サムエル・グロムニク
イランテラ領主 レニカ・ミオス・エスラフィーナ
ルメラント領主 セルディン・ヴァルツ・リグナーツ
セラトリア領主 カッリオ・イレオス・アランディス
これらの名はヴァルタリア領の近隣の主だった領主達の署名だった。
そして署名の列の中にブルンスヴィーク領のアルクセイ・カレル・グロムニクという名を見つけてしまう。
「……アルクセイ……様まで……」
「ああ、彼はブルンスヴィーク領主の次男だったね。彼は私が誘ったよ」
「ヘルムート先生が?」
「ああ。彼は王家に思う所があったようだったからね」
「思う所?」
ヘルムート先生やはりどこか楽し気にリリエに答える。
「へえ? 君は彼の想いに気が付いてなかったのか。てっきり気が付いていたのかと思っていたよ」
リリエは眉を顰めた。ここまで言われればリリエにも意味が分かる。
「……先生は前途多望な若者の一時の想いを利用したのですか?」
「そうだね、そういった部分もあるかもしれないね。でも君が女王になったからと言って彼の想いが成就するとは限らないという事は私が教えてやらなくても考えればわかる事だ、そうだろう?」
アルクセイはリリエよりも2つ年上の16歳。まだ成人したばかりの彼はこの誘いの重大さをどの位理解してるのか、ただ一時期の自分への恋慕だけで下した決断ならあまりに軽率だ。
余りにも身近な人達を知らぬところで巻き込んで、話が進んでいる事に一種の恐怖感を持った。
確実に自分は彼ら反王派にとって駒でしかないのだろう。
クラメツ先生が血判状を示しながら言う。
「女王陛下? もう既に5領が動いております。このヴァルタリアを中心に兵も整えて御座います」
「……私は武力に与しません」
ヘルムート先生がソファに凭れ掛かった体勢で背凭れに腕を乗せて右手を上げた。
「さて、リリエ嬢。眠りにつく前の状況を覚えているかい?」
「はい、もちろんです」
「一斉休業を起こした鉱山夫達に兵を送るかどうか、という話をしてたね。その判断をヴァルタリア領主夫人から委ねられているのはね、私なんだよ」
リリエは微笑みを絶やさずその言葉を聞き続ける。
「さて、我らのクイーンになって、領民を助けるという一手か、このまま自分を貫き鉱山夫達が罰せられるのをむざむざ見過ごすという一手か……。私はもう執務室に戻らねばならない。さ、リリエ嬢? 私が出ていくまでに決断を」
思いもよらぬ方向からの一手に、リリエは王妃の仮面の下で初めてその胸中は苦渋に満ち満ちた。
変な契約書に簡単にサインしちゃいけないという事です。




