20、紅茶の香り、開いた扉
レクスは再び貧民街に足を踏み入れた。
相変わらず街並みは荒廃していて浮浪者や孤児が虚ろな目をして座り込んでいたり物乞いをしている。
埃っぽい街並みを外套を靡かせて歩くと、街の広間の中心で前回と同じ様に座り込みをしている集団がいる。
レクスはその集団に話しかけた。
「以前話をした代表はいるか?」
先日、話をした代表の男がレクスに声をかける。
「よう、騎士の兄ちゃん。あの報告書はなんだ? 結局商会も変わらねえし、どういう事だよ?」
「報告者の名を見たか? ノエリア・カスタネア・グラヴァード嬢が調査した」
「誰が調査しようが構わねえ。俺達の望んでるのはただ装備の改善だ。商会がどうだとか、領がどうだとか、国がどうだとか関係ねえんだよ。最低限、命を守れるものを寄越せと言ってるだけだ」
「ああ、それをリリエ・エーディット・グラヴァード嬢だけは理解してる。今度は彼女自らが調査すると仰ってる」
「そのお嬢さんが調査して変わる保証がどこにある? 結局王子に嫁ぐ箱入りのお嬢様だ。俺達の何をわかるってんだ。ろくに装備も届かねえ、事故っても誰も責任を取らねえ、今週もまた若いのが一人死んだんだぞ?」
怒気を孕んだ声が震えている。
他の男が、悔し気に呟いた。
「こないだ組んだ木枠がもう腐ってやがった。ちゃんとしたもんだったらあいつは死なずに済んでたよ……」
レクスは真剣な眼差しを代表の男に向けた。
「それも報告する。次の報告書は骨抜きにはならない。リリエ嬢自ら調査に乗り出して下さるからだ。それに商会の不正の証拠も手に入れた。もし、領内で解決しないなら、リリエ嬢は王家に直訴して下さる」
「はっ! 国のお偉いさんが出て来た所で……」
レクスは少しだけ声を張って皆に明確に聞こえる様に言った。
「この件でリリエ嬢の領内での立場は悪くなる。それでもお前達の窮状を聞いて立ち上がって下さった」
「……どういう事だ?」
「元々彼女は王家に嫁ぐ身だという事で領城での発言権はとても薄い。だが、お前達の主張を聞き届けて下さって、その立場を顧みずに調査に乗り出すと言って下さった」
「なんで王家に嫁ぐお嬢様の立場が弱いんだよ」
「お前達も言っただろう? 『どうせ出て行く身だ』と。同じ様に領城でも扱われている。リリエ嬢の立場に立てば、あと1年も経たずに王子殿下との婚姻が控えていて、そのまま大人しく嫁げば何の荒波も立たない。そうだろう?」
「………………」
「しかし、それを良しとせず、自身の立場など気にしないと仰って、お前達の窮状を救おうと奔走されている。それだけで充分に信用に値する人物だ」
「……信じていいのか?」
「ああ、俺の命を賭けて」
「……わかった。もう一度だけ信じてやる」
「信じてくれて構わない。お前達の声は確実にリリエ嬢に届ける」
その言葉が終わると同時にレクスは男達の集団に背を向ける。
足早にその場を去って、貧民街を出て商人街へと向かう。
大通りから細い裏道に入り、小さな一軒の万事屋に入る。
店の店主はガラクタの様な商品に囲まれていて大きな椅子に腰かけてパイプの煙を燻らせている。
「エルレラシア、ロココセアから来たレクスだ」
レクスは無感情にそう告げる。
その言葉を聞くと店主は1通の手紙をレクスに渡した。
「なんでも急ぎの用らしいぞ?」
「わかった。それとこちらも急ぎの用だ。この帳簿を王子顧問のドスタールか王子全権使節のゼマンに渡してくれ」
先日手に入れた裏帳簿を店主に差し出した。
「ほう? レアンドロ殿下自身にではないのか?」
「ああ。あの方の目の届かぬ所で動いた事だ、直接では角が立つ。一旦ドスタールかゼマンを通した方がいい」
「了解した」
「他には?」
「ゼマン殿が『根回しは完了している』と」
「……『感謝する』と」
「それも伝えよう」
レクスは手紙の封を解く。そしてそれを読み始めた。
『バルトヴァード派、宰相派、共に掌握済み。緊急要注意、血判状所在不明』
レクスは何となくその一文に不穏なものを感じる。
「では、頼む」
その一言を店主に投げると足早に万事屋を出て、そのまま急ぎ足で領城へと戻った。
急く気持ちを抑えきれず殆ど駆けるように帰ってくる。
騎士達の訓練場の付近を通りかかったレクスにマハチェク副団長は声をかけた。
「レクス」
声をかけられるとレクスはいつもの人懐こい笑顔で振り返る。
「マハチェク副団長。訓練中? 精が出るね」
「リリエ嬢は執務室におられるぞ? お前に伝えてくれと」
「そうか。ありがとう。少しはリリエ嬢と喋る事が出来たみたいだね」
その言葉にマハチェク副団長の耳は赤くなる。
「……うるさいぞ、さっさと行け」
レクスはその罵倒を背中に聞きながら執務室に急ぐ。
執務室の前まで来るが人の気配がしない。
不審に思ったレクスはそっとドアノブに手をかける。
ドアノブが回り静かに扉を引くと施錠はされていない事が確認できた。
通常、執務室には秘密文書などが多く保管されている為通常誰もいないのであれば施錠される。
しかしそれが無いというのは異常な事だ。
レクスは執務室の扉を開きっ放しにして部屋に入った。
ふわりと紅茶の香りが鼻につくのでソファの周りを観察する。
床の絨毯がほんの少し染みになっていることに気が付いた。
膝をついてその染みを観察する。
触ってみるとまだ微かに湿っていた。
「どうした? レクス」
マハチェク副団長が後からやってきて、執務室の扉の前からレクスに声をかけた。
「すぐにリリエ嬢を探して。領城隅々まで」
その声はいつものお道化た彼のものではなく、明確に命じられた事が分かった。
「……わかった」
マハチェク副団長は急いで兵を召集し領城の隅々までリリエの捜索をさせたが、リリエの姿はどこにも見当たらなかった。
「……これはどういう事だ、レクス」
マハチェク副団長はレクスに訊ね、それにレクスはいつもの彼らしくない無表情で答えた。
「恐らく誘拐された。まだ遠くには行ってないはずだよ。とにかく城下の封鎖を。猫の子一匹逃がさないで」
「ああ、わかった」
マハチェク副団長が部下の兵士達に指示を飛ばしている横で、レクスは歩き出す。
「どこへ行くんだ」
「ちょっと出てくる。城下の郊外にも兵をやって」
それだけ告げるとレクスは領城の城門に向かって速足で歩む。
その道すがらチェスラフと出くわした。
「探していた、レクス」
「俺を?」
「ついて来い」
城門の裏手に連れていかれると倉庫がある。その倉庫に入るように促されながら説明される。
「ここはいつもお嬢様が使っている城下への安全な抜け道だ」
「……? なぜ今ここに?」
「……城外に古井戸があってな。そこにも抜け道があるが、それを使われた形跡があった」
「……その古井戸もあの巡礼地に繋がっているのか?」
「ああ。あそこは元々原住の民の巡礼の宿場だ。あの地下には部屋がいくつかある。……人を監禁する事位はできるだろう」
「そこにリリエが閉じ込められている可能性が高いと?」
「……教師連中が何人か見当たらん」
「反王派が動いたな……。わかった、とにかく行ってみる」
レクスはいつもリリエが使う倉庫の隠し扉を開く。
確かにこの抜け道は足場は石畳で天井もしっかりと石造りのアーチ状になっている。
チェスラフとイグナツがどれほど安全を考慮してこの抜け道をリリエに教えたのかがよくわかる。
レクスはチェスラフに見送られ、その石畳を全速力で駆けていく。
レクス、地味にずっと走ってるけど、体力お化けなのでまだまだ余裕




