23.竜の花嫁は恋を知る
「リィナ」
「え!? あれ、王妃様……」
ぼんやりとしていたところにかけられた声で、ハッと我に返る。周りの壁は白いけれど、あのどこでもない白い空間ではない。そうだ、ここは限られた人しか入ることのできない部屋。祭壇の上に置かれている水晶玉を覗き込んでも、映るのは私だけだ。
きっと、これからは私が魔力を補充していかないと、エルセリア様の姿が映ることはないだろう。
「儀式は終わったのですね」
「そう、みたいです。はっきりとは言えないんですけれど」
「ええ。きっと、それでいいのです」
私の中に、知らないはずのエルセリア様の知識があるのが分かる。けれど、それをどう言葉で表せばいいのかが分からない。曖昧な返事しかできなかった私に、王妃様は薄く微笑んだ。
もう少しここでゆっくりとしていたかったけれど、儀式を始める前に飛び込んできた隣国のデルマリスが攻めてきたという伝令。たぶん、私が思っているよりも時間は経っているはずだけど、終わっているとは思えない。
王妃様を見れば私を促すように部屋の扉の方へと移動していた。アズファルド様が向かっているのだから、最悪の状況にはなっていないと信じているけれど、この部屋にいては情報が入ってこない。
王妃様先導のもと、王城の柔らかな絨毯が敷かれた廊下を走る。私にだってできることは、きっとあるはずだから。
***
「デルマリスが侵攻してきた。今は我が国の精鋭たる騎士たちと、守護竜アズファルド様が国境のルーセで食い止めている」
「どこから広まったか、王都の住人達は侵攻を聞きつけ、避難を始めています」
「これ以上の混乱を防ぐため、誘導に騎士たちを出しています。ルーセに第二陣を送るよりも、近隣の領主に応援を要請した方が早いかと」
「守護竜様が戦うことなど初めてだが……大丈夫なのだろうな?」
伝令を受けた国王が部屋に飛び込むのと同時、集められていた重臣たちが一斉に姿勢を正す。どのような対処をするかは相談が進んでいたところに、最高責任者である王がやってきたのだから、これからは話がスムーズに進む。この場にいる誰もが、それを疑わなかった。
「……竜の力なぞ、これ以上頼るべきではない!」
「プロンコール! どうしてここに!」
まさか、この混乱に乗じて牢に身柄を移していたはずのプロンコールが姿を見せるなんて、欠片も思っていなかった。
王の叫びをものともせず、プロンコールは皆の集まる円卓へと足を運ぶ。堂々と歩むその姿は、彼が罪人だと微塵も感じさせない。城下の混乱を少しでも収めるため、警備に当たっていた騎士たちを減らしたこのタイミングでやってくるとは、と王の前に立つ年若い政務官は舌打ちを隠さない。
「もともと守護竜など象徴にすぎぬ存在であったのだ。国を統べるのは、人の王しかいない!
私はそれを全て背負って王冠を戴く覚悟がある!」
まるで役者になったような動きが、プロンコールの中でこの騒動は自身が玉座を得るための舞台だと考えていることを示しているようにも感じられ、政務官だけでなく共に舌戦を交わした大臣の表情すらも、歪ませる。
王のいる前での宣言、それはプロンコールからの明確な反逆と取られるとも思わなかったのか。わずかに情を感じていた大臣から、その感情が切り捨てられる。
今この時より、目の前にいるものは大臣でも魔が差した長年の友でもない、ただの罪人なのだと。
「……さて、それはどうだろうな」
低く、深みのある声がその場に響く。姿を見せたのは金の瞳を持つ男性。少し乱れた銀の髪から覗く黒い角が、鈍い光を帯びている。
それは、この国の守護竜が人の形を取った姿。その隣に立つ女性を見て、大臣はふと少し前の出来事を思い出した。
ああ、竜の花嫁の再審を声高に叫んでいたのもプロンコールだったな、と。
***
「アズファルド様!」
「守護竜様がお戻りになった……!」
「隣にいる女性は」
王妃様と走っているときに、風が吹き抜けたと思ったらいつの間にか隣にいたアズファルド様。戻ってきたということは、ルーセでの戦いを終えてきた証。
どこにも怪我がないかと体のあちらこちらを触っていたら、王妃様とアズファルド様から制止をかけられてしまったけれど。かすり傷程度だと笑うアズファルド様の顔を見て、安心した私はその場でへたり込んでしまったりもしたけれど。
「守護竜アズファルド様、そして竜の花嫁リィナ様。無事のお戻りを感謝いたします」
そうして戻ってきた私達に向かって、国王陛下は深く頭を垂れる。その言葉を聞いて、この場のざわめきがひときわ大きくなった。
今更ながら、この場に私がいてもいいのだろうかと思ったけれど、肩を抱くアズファルド様の腕は離れてくれそうにない。
すっと片手を軽く上げただけで場の空気を制したアズファルド様は、そのまま静かに話し始める。国王陛下に報告するのは、先ほどまでいた国境のルーセであった出来事だ。
「数名の騎士たちと共に戻ってきた。詳細はそちらから聞くがいい。我は、この場でやらねばならぬことがまだあるようだからな」
「人の治世の真似事でもするつもりか。象徴であるはずの、竜ごときが」
「プロンコール様、言葉が過ぎます!」
それを、遮るように叫んだのはプロンコール様。あの時、花嫁の選び直しの時よりもやつれていたけれど、私を睨む目は見開いていてギラギラとしている。それが少し怖くて、アズファルド様の服の裾をぎゅっと掴む。わずかな動きだけで私の怯えを理解してくれたアズファルド様は、肩を抱く腕に力を入れた。
自分のことながら単純だとは思ったけれど、それだけでさっき感じた怖さは半減してしまった。
「玉座を望むのだったら、この国の歴史をもっと学ぶべきだな。デルマリスのことはよく調べていたようだが」
「黙れ! 私は王家より血を分けた存在なのだ! 私が王となればそれがすなわち歴史となる!」
ぐっとこぶしを握ったり、自分を抑えるために無表情を貫いたりと反応はそれぞれだったが、この場にいる誰もがプロンコール様の発言を苦々しく思っている様子だ。
アズファルド様がこんなに速く戻って来るとも思ってなかったのかもしれない。プロンコール様からは、追い詰められた時のような焦りが感じ取れた。
「竜の花嫁だと!? 選ばれなかった者がどのような末路を辿ったか、貴様らは知ろうとしたことがあるか!」
慣れない場のはずなのに、どこか冷静な感情を持って立っていられるのは、エルセリア様の記憶のおかげだろう。エルセリア様は、もっとひどい糾弾を受けたこともあった。それも、味方だっていない状況で。それに比べたら、私の隣にはアズファルド様がいてくれる。
だから私は、竜の花嫁としてこの場を、見届けなくてはならない。
「かつての花嫁選定で選ばれなかった我が一族が、どれほどの汚泥をすすったか! 私は、我が血筋が得るはずだった地位を取り戻すだけだ!
竜が我が一族から花嫁を選ばぬのなら、そんな存在はいなくなってしまえばいい。私が王となり、我らを選ばぬ竜など追い出して人が統治する国を作る。それが、私の正義だ!」
はあはあと肩で息をしているプロンコール様の言うことに、私は返事を出来ない。イザベラのように、ずっと竜の花嫁になるために生きてきたという女性を知っている。貴族の中には、他にも同じように生きることしか知らない人もいると。
そんななかで、エルセリア様の魂を持っていたとはいえ、選ばれたのは村娘だった私。
選ばれた側からかけられる言葉は、時にどんな刃物よりも鋭くなる。だから、私は何も言うことが出来ない。この膨れ上がった風船のようなプロンコール様が、何をするか分からないから。
「ならば、その正義は嘘と謀略で成り立つ、薄っぺらいものだな」
「黙れ――」
「黙るのはお前だ、プロンコール」
アズファルド様が言い放った言葉に顔を歪ませたプロンコール様。振りかぶろうとした手を止めたのは、国王陛下の一言だった。
私やアズファルド様と話すときの柔和な表情はなく、そこにはただ国を背負う王としての覚悟を持った男性の姿があった。
「我が何を言おうと、お前の耳には届かぬようだ」
「その男を連れていけ! これ以上、語る言葉は持たぬ。
……さらばだ、友よ」
なおも抵抗するプロンコール様に、駆け付けていた騎士たちが拘束具を嵌めていく。静まり返った部屋では、小さな呟きも隠れることなく聞こえてしまう。
けれど、この場にいた誰もがその呟きを咎めることはなかった。きっと、そう思っていたのは国王陛下だけではなかったからだろう。
それからアズファルド様と共に戻ってきた騎士たちの報告も聞いて、ようやくこの騒動は終わりを告げた。
「……終わったね」
「ああ。……守れて、よかった」
私達は、離宮に戻ってきた。国王陛下と王妃様からはまだ話を聞きたいと言われていたけれど、アズファルド様から休息が欲しいと言われたら従うしかなかったのだろう。
私も朝からいろんなことが立て続けに起こっていたので、すぐに首を縦に振ってアズファルド様と一緒に戻ってきていた。
「あの、アズファルド様……」
「エルセリアが、共にいるのだろう?」
「どうして、それを」
話さなくてはいけない。話しておかなくては、と思っていながらも私はうまい言葉を見つけられずに、悩んでいたというのに。
簡単に私の言いたいことを見抜いたアズファルド様は、目を細めてふっと笑う。あ、この表情は今まで私に見せてくれなかったものだ。
「……長く、生きているからな。それに、儀式を始める前とは違う気配が、お前の中にある」
「アズファルド様は、私がエルセリア様の魂と血を継ぐと聞いて、どう思いますか?」
かつて、愛していた女性。その魂があると聞けば私を大切にしてくれているアズファルド様だって、エルセリア様のことを考えるだろう。そうなったら、私はもしかしていらないと思われてしまうかもしれない。
それが怖くて、あの時のプロンコール様よりもなによりも、怖くて聞けなかった。
「……お前が言ったのだろう。俺の中にあるエルセリアごと大事にしてくれると。
そう言ってくれたお前だから、俺は大事にしたくて……好きになったんだ」
「好き、って」
「長いこと生きていても、自分の感情を人に受け入れてもらうのは、なかなかに勇気がいるな」
恥ずかしそうに目を伏せたアズファルド様の顔は、ほんのりと赤く染まっている。そっと取られた手が、アズファルド様の胸の上に重ねられた。そこから感じる鼓動は、どくどくと早鐘を打っている。
「エルセリアがいようが、血を継いでいようが関係ない。俺は、お前がお前だから好きになり、お前の下へ帰ろうと思った。
リィナ。これからも、隣にいてくれるだろうか」
アズファルド様から差し出されたのは、真新しい銀の指輪。胸に重ねられていた手は、ゆっくりと下げられてアズファルド様の前に差し出される形に直される。
「受け取って、もらえるだろうか」
「……はい!」
壊れてしまった人形のように、こくこくと頷くだけしかできなくなった私を、アズファルド様は優しくなでてくれた。
涙が止まらないけれど、滲んだ視界の中でしっかりと自分の手を見る。アズファルド様はそんな私にも分かるよう、感触を確かめるようにゆっくりと指輪を通してくれた。
「アズファルド様」
どうした、と言わんばかりのアズファルド様は小首を傾げたまま、私の言葉の続きを待ってくれている。さらりと揺れる銀髪は相変わらず綺麗で、けれど今、私の左手の薬指にも同じ輝きがある。
「私、恋を知らないままに花嫁になりました。恋って、人を好きになるってこんなにも気持ちがあふれるんですね」
「ああ。お望みなら、もっとたくさんの感情を教えてやろう。俺の事を愛していると言えるまで、な」
ふっと意地悪そうに笑うアズファルド様を見て教えて欲しいと思った私は、もうとっくに溺れてしまっているのだろう。
人を好きになるという感情は厄介で、だからこそ大切にしたいのだと思う。
私はこれからもアズファルド様の隣で、たくさんの感情を知るだろう。




