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【完結】聖女は死の円環を解く  作者: 干野ワニ
第二幕 屍公爵の弟子

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第08話 大結界のほころび

「ここに、イルネーロ公爵閣下がいらっしゃるはず……」


 先触れの返事を待つのももどかしく、私は早馬を追うように馬車で出発した。道中集めた情報によると、目当ての人物は領地にある城館のひとつに滞在中らしい。


 私は怖気づきそうになりながらもぐっと顎を上げると、ようやく辿り着いた城館を見上げた。進み出ようとする従者を制すると、私はこちらに警戒の視線を向ける門衛たちへ声をかける。


「ごきげんよう。わたくしはアンブロージオ子爵家のファウスティナと申す者。イルネーロ公爵フィデンツィオ閣下にお取次ぎを願います」


「……お約束はございますか?」


「ございません。ただ、先触れの者が数日前に到着しているかと」


「少々お待ちください」


 門衛の一人が奥へ消えると、間もなく大きな門扉が開かれた。


「どうぞこちらへ。閣下がお会いになります」


 思いのほかすんなり通された接見の間の奥には、黒髪の青年が長い足を組んで座っていた。全身を黒衣に包み、右腕を悠然とひじ掛けについている。猛禽を思わせる燈火(ともしび)色の瞳をすがめる彼と、一度まっすぐに目線を交えてから――私はすっと目を伏せ、淑女の礼を取った。


「お初にお目にかかります。わたくしはアンブロージオ子爵が第一女、ファウスティナ・ロッタ・デ・サルヴァレッツァと申します。イルネーロ公爵フィデンツィオ閣下におかれましては、ごきげんうるわしゅう存じます」


「堅苦しい挨拶は不要だ。わざわざこんな辺境まで訪ねてくる貴族のご令嬢がいるとはな。道中、危険に遭わなかったか?」


 その端正な顔立ちは一見冷たそうに見えるけど、初対面の私を自然に気づかってくれている。突然押しかけたのにすぐに会ってくれたし、思っていたより怖くない人なのだろうか。


「は、はい。念のため護衛を多めに連れておりましたが、幸い道中つつがなく参ることができました」


(フィデンツィオという名には、確か古代語で「信頼」や「誠実」という意味があったはず。名前の通りの人なのかもしれない……)


 少しだけほっとして微笑むと、彼も眉間をほんの少し緩めたようだった。


「そうか。要件を聞こう」


「あ、ありがとうございます! どうか私を、閣下の弟子にしていただきたいのです!」


 つい勢い込んで言うと、彼は再び眉間に力を込めた。


「……は? 貴族のご令嬢が、唐突に何を言う」


 だが、ここで引くわけにはいかない。私はさらに食い下がった。


「正確には、医術、特に検屍術を教えていただきたいのです。私はどうしても、一年以内に遺体から下手人を手繰り寄せる方法を学びたいのです……!」


「……検屍術を? 何か事情があるようだが、検屍術を手に入れるためには、まず医術を学ばねばならない。医術の現場は、回復法術の使用に慣れた貴族には過酷なものだぞ」


「もとより、覚悟の上です」


 本当に唐突に、それも無茶なお願いをしていることは、自分でもよく分かっている。でも、真っ直ぐに訴えるしかない。私には、もう()はないのだ。


「ならば――」「閣下! テルツォ地区で大型の魔物に結界を破られたと伝令が!」


 そこに飛び込んで来た兵士の言葉に、私は心底驚いた。


「結界が、破られた? あの、大結界が!?」


「セスト地区までに駐屯する全ての兵を向かわせよ!」


 公爵閣下は立ち上がると、驚愕に固まったままの私に声をかけた。


「私もここを出る。そなたの名はファウスティナ嬢、だったか。回復法術は使えるか?」


「はい、ひと通り使えます」


「身の安全は保障できない。だが遊びではなく本当に学ぶつもりがあるならば、ついて来い」


「……っ、はい!」



 * * *



「まさか本当に、大結界に綻びができるなんて……」


 私は公爵閣下に連れられて、医師だという人たちの隊列と共に移動していた。見通しの良い丘陵にさしかかったところで、一行は足を止める。ここで、一旦伝令を待つらしい。


 その丘からは結界の破れた場所がよく見通せて、私は身を震わせた。


 王都にいると聖樹の存在感は大きいが、国中を覆っているという大結界を認識することはあまりない。『覆う』という性質上、結界には端や根元があるのは知識の上で知っていたけれど、それはシャボン玉のような仄かに虹色に輝く薄膜で、あまりにも頼りなく感じるものだった。


 その大結界の向こうには、真昼でも闇深い森が広がっている。だが今は薄膜の一部に紫に輝く亀裂ができていて、その手前で(そび)えるほど大きな蛇の異形が暴れていた。


 だが列をなして立ち向かう兵士たちが手にする槍はごく短く、片腕ほどの長さしかないように見える。ハラハラしつつ目を奪われていると、彼らは次々と地に膝をついた。


「た、大変!」


 何か、見えない攻撃を受けたのだろうか。私は思わず声を上げたが、次の瞬間、破裂するような音の連撃が、空へと響き渡った。猛然と上がった煙が薄れると、轟音と共に地面に倒れ伏したのは、あの大きな蛇の方である。


 とはいえ、まだ息絶えてはいないらしい。近づく兵士を長い尻尾が薙ぎ払い、さらに結界の亀裂からは、小型の魔物が漏れ出している。続く戦闘から目が離せないまま、私は声を上げた。


「あの兵士たちは一体……あれは、魔術なの!?」


 すると近くにいた公爵閣下が、事もなげに言った。


「あの兵士たちは銃士隊(マスケティエーリ)だ。魔術ではなく、砲術を扱う」


「砲術……?」


 そのとき、周囲にどよめきが走った。皆が指差す方へ目をやると、一羽の大型の鳥が猛然とこちらへ飛んでくる。


(あれは、普通の鳥じゃない……!)


 私はとっさに手を振り上げ、魔術の構成を開始する。だがそれが発動する前に、背後で大きな破裂音が響いた。すぐに鳥は失速し、地表へと落ちてゆく。


 音の方へ振り向くと、公爵閣下が右手に構えた鈍色の筒から、煙がたなびいていた。


「今の攻撃は、それで!?」


「ああ、これは短銃という。本来この国では、『銃』はご禁制の品だがな。イルネーロ領はこの現状ゆえに、国王陛下より特別に使用の許しを得ている」


 身体を鍛え抜いた周回で、私は少しだが魔物との戦闘も経験していた。例え非力な女でも攻撃魔術の心得があれば、屈強だが魔術を持たない兵士たちより、対魔物の戦力になるためだ。


 だがこの『銃』を魔法力を持たない閣下が扱っているということは、平民の兵士たちでも、魔術を上回る戦力を持つことができるということではないだろうか。


「魔物の害は他の地域でも発生しているのに、なぜ解禁されないのでしょう? そうすれば、誰もが魔物と戦う力を持てるのに……!」


「それは――」


 しかし閣下が口を開きかけたところへ、伝令が駆け込んできた。何やら報告を受けた閣下は、大きく手を振り上げる。


「いったん村に入る。進め!」


 一行が再び進み始めると、閣下はこちらを向いて言った。


「すまないが、話は後だ」


 私は「はい」と言ってうなずくと、粛々と一行についてゆく。やがて結界のほど近くにある村に到着すると、そこは完璧な厳戒態勢が取られていた。


 怯え、逃げ惑う人など一人もいない。子どもの泣き声すら聞こえてこない。


 その避難の手慣れた様子に、私は胸を締めつけられた。きっとこの村では、幾度も同じような災難に見舞われてきたのだろう。


(それにしても、有事の対応でここまで統制が取れているなんて、王都の民でもありえないわ。やはりフィデンツィオ閣下はとても有能で、何より領民から信頼されているのね……)


 ついつい物珍しく辺りを眺めながら閣下に付いていくと、村の中心にある広場に着いた。そこには大きな天幕(テント)がいくつも設営されていて、臨時の救護所となっている。私が辺りを観察している間にも、続々と負傷兵が運び込まれていた。


「そなたはこちらだ」


 閣下に声をかけられて、私はその長身の背中を小走りに追いかけた。ようやく追いついたところで、私はこらえきれなくなって疑問を口にした。


「そもそも大結界が破れるなんて初耳です。一体どういう状況なのですか?」


「結界のほころびから、通常では抜けられないような大型の魔物が漏れ出てくることがある。特に聖樹が枯れ始めてから増加しているが、ままあることだ」


「まさか……大神殿は、把握しているのですか!?」


「当然。だが、それだけだ」


「そんな、なぜ……」


「今はそんなことより、目の前の対処に集中しろ。状態によって負傷者を死者・重傷者・軽症者の三つに振り分けるから、そなたは重傷者の中でも特に状態のよくない者から回復法術をかけてくれ。術をかける間、余裕があるなら周囲で何を行っているかを観察しておくといい。私は前線の指揮を取る」


「あ、待っ……」


 私は思わず呼びかけたが、閣下は振り向くことなく立ち去った。


(行っちゃった……でも、ただの邪魔者の私にもっと説明してくれだなんて、甘えたことを言う権利はない。何でも、自分で考えて動かなきゃ!)


 これまでの周回で得た過酷な経験も、どうやら無駄ではなかったらしい。私はすぐに覚悟を決めて顔を上げると、救護所の中を見渡した。


「すみません、私は回復法術が使えます! 重傷者はどちらですか!?」


 今にも息絶えそうな者ばかりの中で、術師はどうやら私一人だけらしい。声をかけられすぐに治療を始めたが、負傷者は次々と増えた。


(こんなの、術師一人きりじゃぜったいに間に合わないじゃない!)


 だが周囲を見ると、次々と治療が進んでいる。


「まさか、術を使わなくても血が止まっているの!?」


 驚いて声を上げると、傍らで止血の処置をしていた初老の男性が応えた。


「はい。とはいえ今は応急処置ですので、後ほど正式な治療を行います」


「なるほど、後で術をかけるのね。いま術師の方は、他の天幕にいらっしゃるのかしら」


 私が当然のように所在を問うと、彼は処置の手を動かし続けながら、首を横に振った。


「おりません」


「え、では、他の地区には……」


「おりません。我々平民のためになど、貴族である術師が力をふるってくださる訳がないでしょう」


「あ……」


「ああ、申し訳ございません、貴女のような慈悲の心を持ってくださる方も、皆無というわけではないのです。ただ、そもそも術師は圧倒的に少ない。それだけです」


「そうね……」


 自分は貴族で手軽に回復法術が使えるから、民衆にこれほど法術による治療が届いていないとは気づかなかった。イルネーロ領が辺境という理由もあるけれど、全体的に見ても人数が足りるはずがないのは明白だ。


 だが法術が足りない場所で、医術がこれほど役に立つなんて。しかも生まれつき魔法力がなければ使えない法術と違って、医術は誰でも学ぶことができるのだ。


「ああ、この者は、もう……」


 救護所の向こうで、負傷者の見極めを行っていた者の声が聞こえた。『死者』に区分されたらしき青年は、そのまま幕舎の外に運び出されてゆく。日常で起こった殺人という青天の霹靂(へきれき)に、私は強い衝撃を受けていた。だがこの地に暮らす人々は、常に理不尽な死と隣り合わせなのだ。


 その日は無心に法術をかけ続け――産まれて初めて、私は魔法力の使い過ぎで気を失った。



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