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【受賞】聖女は死の円環を解く  作者: 干野ワニ@受賞作6/15発売
番外編

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33/40

【発売記念SS】幕間 城壁の街の夜市

※時系列は第二幕前半、イルネーロ領で医術の勉強をしている間の出来事です。



 夏至を過ぎた辺境の日は長く、宵の口を迎えても、なお空の半分が茜色に燃えていた。それに文字が見えづらくなって気づいた私は、レポートを揃えて書庫を出る。


 そのまま施錠して鍵を返しにいくと、公爵家の家令が言った。


「そういえば、今日から夜市が始まりますよ。週に一度、夏の間だけ開かれるのですが……ファウスティナ様も、たまには息抜きなどされてはいかがでしょう」


「それは楽しそうだけど……先生にお伺いを立てた方が良いかしら?」


「閣下は先ほど伝令を受け、急ぎの視察に出られました。お戻りは夜半になると伺っております」


 先生が夜半までいないなら、今夜はもう添削も返ってこないだろう。ならば少しぐらい息抜きをしても、罰は当たらないだろうか。


(……ここに来てから、夜市なんて初めてだわ)


 王都でも年に何度かは夜市が立つけれど、私が知っているのは貴族向けに整えられた、どこか取りすました催しばかりだ。辺境の夜市がどんなものなのか、純粋に興味がある。


 家令に礼を言って自分に宛がわれた部屋へ戻ると、私は姿見の前に立った。着替えるべきか一瞬迷って、いつもの実用的な服のままにする。あまり綺麗な格好をしたところで、スリに狙ってくれと言うようなものだろう。


(それに、おしゃれをして見せたい人もいないし……)


 そのとき。ふと先生の怜悧な眼差しが頭をよぎって、私は邪念を払うようにかぶりを振った。


(今はそんなことを考えている場合じゃないの!)


 私は気を取り直して夏物の薄い外套を取ると、城館を出た。




 イルネーロ領下で最も大きなこの街は、国境付近という土地柄か、ぐるりと高い城壁に囲まれている。領主である公爵の住まう城館のお膝元であることも相まって、宵の一人歩きも表通りだけなら怖くない。


 夜市が立っているという大通りが見えたところで、私は思わず足を止めた。


(わ……思っていたより、すごい人!)


 通りの両側にずらりと並ぶ露店から、香ばしい煙が夜空へ立ち昇っている。炭火の上で焼ける肉に、よく煮込まれた温かいスープ。そして甘い焼き菓子の香り――それらがふわりと混ざり合い、なんとも言えない幸せな空気を作り出していた。


 人波に背を押されるようにして大通りへ足を踏み出すと、素朴な屋台が目に入る。木組みを布で覆っただけの台に、飾り気のない器たち。王都の夜市とは比べものにならないほど簡素で、でもどの店も活気に満ちていた。


「お嬢ちゃん、焼きリンゴ食べるかい? 今年は蜜がよく乗ってるよ!」


 声をかけられて顔を向けると、飴色に良く焼けたリンゴが、かがり火に照らされてツヤツヤと輝いている。


「そうね、一つもらえるかしら」


「あいよ!」


 私がお財布から硬貨をつまみ出していると、後ろで作業をしていたおかみさんが振り向き声を上げた。


「あんた何やってんだい、このお人は小聖女様じゃあないか! どうぞお代はいりませんから、お好きなやつを持って行ってくださいねぇ」


「そんな、悪いわ。はいお代」


 恐縮するおかみさんに笑顔で銅貨を押し付けて、私はひときわ艶やかなリンゴを受け取った。周りの人にならって露店の脇にある背の高いテーブルに向かうと、思いきって立ったまま一口かじる。


 焦がしたハチミツに、バターの香り。じっくり焼かれた果肉からは凝縮された甘みがあふれ、私は思わず目を細めた。


 もくもくと味わっていると、通りがかりの親子連れから「小聖女さま、こんばんは」と笑顔で声をかけられる。


 そう呼ばれるのは未だに少しくすぐったいけれど、久方ぶりの平和な空気に嬉しくなって「こんばんは」と笑みを返した。


 私は少しばかり回復法術が使えるだけで、先生のような実力の裏打ちは何もない。ただの押し掛け弟子にすぎなくて、お城の居候も同然だ。そんな私のことをこの地の人たちは小聖女様と呼んで、親しんでくれている。


 焼きリンゴをぺろりと一つ食べ終えて、再び通りを歩き出す。ぶらぶらと陳列台をのぞいていると、小さな露店が目に留まった。他と比べてずいぶん静かな雰囲気の店で、手づくりの小物を並べているらしい。


 台の上には色とりどりの小さな房飾り(タッセル)の付いた栞が、いくつも並んでいた。本体にはそれぞれ違う花の模様が銀糸で細やかに刺繍されていて、素朴だけれど丁寧な仕事がうかがえる。


(きれい……先生は本をたくさん読まれるようだから、これなら使ってくださるかしら)


 迷ったのは、一瞬だけだった。深い緑の房飾りと同色に染められた生地に、銀糸で灯花とうかが刺繍された一本を選び出す。数枚の銅貨を払って栞を受け取り、大切に懐へ入れた。


 私は再び、人波に沿って歩き出す。通りの奥に進むにつれて、賑わいはいっそう増していた。広場には多くのかがり火が焚かれ、音楽に合わせて踊る人々の輪ができている。


 その喧騒の中に、ふと目立つ長身を見つけた。


(……あれって、先生?)


 目を凝らせば人混みの切れ間に、黒衣の背中が見えた。見間違えるはずがない。あの姿勢の良い背中と、周囲より頭ひとつ分は高い背丈――。


(でも今は、先生は視察で不在のはずだったけど……)


「これは領主様、今年も来てくださいましたか!」


 野太い声と共に、恰幅のいい男が先生に駆け寄った。周囲より一段良い身なりをした男は、嬉しそうに帽子を取って胸に手を当て、略式ながら臣下の礼をる。


「ああ。別件が思いのほか早く終わった」


 先生は愛想のない口調で応じていたけれど、そもそも公爵位にあるほどの御方が直接領民と言葉を交わすなど、他所ではありえないことだろう。


 私が驚いていると、今度は数人の幼い子どもたちが、話を終えた先生の足もとに群がった。一人が外套の裾をつかみ、もう一人が腕に飛びつくようにしてぶら下がる。


「だから、銃があるから危ないと言っている」


 先生の声には強く咎める響きがあったけど、無下に振り払おうとはしなかった。腕にぶら下がる子を軽く抱え直して、ストンと地面に下ろす。


 その光景を、私は少し離れた場所から目を丸くして見つめていた。


(これが、『屍公爵』ですって……?)


 口に手をやり、思わず小さく笑ってしまう。


 社交界で囁かれる噂では、彼は人の心を持たない冷血漢で、夜ごと死体を弄ぶ悪魔だということになっている。でも今ここにいるのは、領民に慕われ、子どもたちに纏わりつかれて困った顔をしている――ただの一人の、心優しい青年だった。


 先生が子どもたちをなんとか引き剥がして歩き出したところで、私は意を決して駆け寄った。


「先生!」


 振り向いた先生は、私の顔を見た瞬間、わずかに目を見開いた。


「ファウスティナ嬢? なぜここに」


「家令より、今日から夜市が立つと教えてもらったのです。先生は視察に行かれ、お戻りは夜半になると伺ったのですが」


「早く片が付いた。……護衛はどうした。まさか、ここまで一人で来たのか?」


 先生は周囲を見回して、眉をひそめる。


「はい。でも、皆さんとても親切にしてくださって――」


「この壁内の治安は王都と遜色ないとは確かに言ったが、ご令嬢が日暮れに護衛も連れず出歩くものではない」


 それは、お叱りの言葉だったのだろう。でもその声の調子から心底心配してくれたのだとうかがえて、私は素直に謝罪する。


 すると先生はしばし黙ったあと、「来い」とだけ言って歩き出した。その背中を慌てて追うと、歩調がわずかに緩められたのが分かった。


(……もしかして、同行させてくださるのかしら)


 先生の斜め後ろについて歩く通りは、ついさっき一人で歩いたものと同じ道を引き返しているだけだった。でも一歩先を先生が歩いているだけで、露店の灯りも、人々の声も、全部少しだけ違って見える。


 行く先々で、先生は領民たちから声をかけられていた。果物売りの老婆が「今年の桃は格別でございますよ」と笑顔で差し出し、鍛冶屋の若者が「領主様、ご依頼の金型ができておりますんで」と頭を下げる。


 先生はそのどれにも短い言葉で応じていたけれど、決して邪険にはしなかった。差し出されたものは受け取り、仕事の報告には「明日、人をやる」と簡潔に返す。


(先生は、この土地の人々の暮らしを、ちゃんと見ているのね……)


 華やかな夜会の場で裏のある微笑を交わす貴族たちとは、全く違う。この方は確かに、この地に生きる人々の一部となっているのだろう。




 夜市の外れまで戻って来た頃には、空には星が瞬いていた。城館へ向かう道を進むにつれて市場のにぎわいが遠ざかり、いつしか夜道は静かな虫の声に包まれている。


「先生」


「なんだ」


「あの、これを……」


 私は懐から栞を取り出すと、振り向いた先生に勇気を出して差し出した。緑色の生地に輝く、銀色の花。


 先生の、足が止まった。


 差し出された栞を見下ろす燈火色ともしびいろの瞳が、わずかに揺らぐ。でもそれは一瞬のことで、すぐにいつもの彼に戻った。


「これがどうした?」


「先生は、たくさんご本を読まれるでしょう? だからこの栞を、さきほどの夜市で見つけて……その、よければですけれど、もらっていただけませんでしょうか……」


 話すうちにだんだん自信がなくなってきて、語尾が消え入るように言う。先生は栞と私の顔を交互に見てから、ゆっくりと手を伸ばした。


 長い指が栞を受け取るとき、指先がほんの少しだけ触れる。


 医術を実地で学ぶ際には手を添えて教えてもらうなんて、よくあることだ。でもいつもと違う雰囲気に、心臓が小さく跳ねる。


 先生は栞を手のひらの上で一度ひっくり返して、細工を確かめるように眺めた。


「……良い仕事をしている。有り難く使わせてもらおう」


 そう小さく言って、先生はそれを自らの懐へ入れた。


(よかった!)


 それが彼なりの大賛辞であることを、もう私は知っている。


「そろそろ遅い、行くぞ」


「あ……はい!」


 先生は再び、前を向いて歩き出した。相変わらず一歩だけ先を行く背中は、夜の闇に溶けてしまいそうなほどの黒。でもその懐には、私が選んだ栞が入っている。それだけで、月光がいつもより少しだけ明るく見えた。


 やがて城館の大扉を過ぎ、廊下を進み、とうとう私が借りている部屋の前に着く。


「次に街へ行くときは、必ず私に一声かけるように」


「……はい!」


 一人で行くなと言っていたのだから、当然の注意だ。それ以上の意味なんて、きっとない。

 でも私はしばらく眠れずに、寝台の上から窓の月を見ていた――。

 





 了



おかげさまで、書籍版が富士見L文庫さんより本日発売になりました。

応援いただいた皆さま、本当にありがとうございます…!

とても美しい二人の装画は、「聖女の魔力は万能です」の藤小豆先生に描いていただきました♪

https://www.kadokawa.co.jp/product/322601000510/


明日からは本編の後日談を投稿予定です。

謎解きありじれじれありの全7話となっておりますので、ぜひ読んでみてください!



(2026.06.19追記)

異世界転生の新連載も始めました!

よければ読んでみてください。


◆前世の記憶で搾取に気づいた元王女、婚約破棄もされたことだし、男装して宝石工房始めます

https://ncode.syosetu.com/n6743mi/

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