606.疑似タンクと勉強不足の職人
コミック『魔導具師ダリヤ ~王立高等学院編~』4巻、9月18日発売です。
どうぞよろしくお願いします!
「ダリヤ、俺がコンテさんと聞き取りをしっかりするから、任せて!」
「お願いします、ヴォルフ」
ダリヤはそう答え、魔物討伐部隊の訓練場に背を向けた。
夕暮れの中、少し足早に歩きだす。
「ここはグラート隊長が一番でしょう」
「ありがたく試させてもらおう。だが、なかなかの広さだ。グリゼルダも一緒にどうだ? 二つあるのだし、希望者が交代で入ればいい。意見は多い方がいいだろう」
「俺、入ってみたいです!」
「儂もぜひ!」
幌型風呂を試そうという隊員達の会話が、背後からにぎやかに聞こえてくる。
訓練場はウロスの名で使用許可をとったとのことで、グラート達が見学にやってきて、実際に試す、つまりは入浴へと進むことになった。
よって、ダリヤは迅速にこの場を離れることとする。
「み、皆様、どうぞよろしくお願いします。ご、ご意見はご遠慮なく……」
「俺もしっかり伺います!」
聞き取りはコンテとヴォルフが行ってくれるので、自分は移動して問題ないだろう。
「遠征だとお湯が汚れそうだな」
「こっちの防水布が袋になってるヤツ、これに洗剤液を入れて汚れをとって、その後に幌型風呂に入ればいいのでは?」
早速いい案が出ているようだ。
しかし、ダリヤは振り返らぬまま、マルチェラと共に訓練場から遠ざかった。
そのまま向かったのは、王城魔導具制作部の一課だ。
少し前、手空きの者は見学に来るよう、部長のウロスから知らせをもらったので、従った形である。
事務員に案内されたのは広い作業室だ。
ただし、本日は魔導具師達が多く、狭く感じられた。
「では、三つ目の『疑似タンク』を作ります――」
「金属の平面化と丸みの付け方をよく見ておけ。一度見た者は初めての者に前を譲れ」
作業室の奥で実演をしているのはジャンニ、説明をしているのがウロスである。
『疑似タンク』と呼ぶ通り、横にある二つは風呂桶ほどの大きさのタンクを、半分に切った形だ。
次が三つ目となるのだろう。
ジャンニの額の汗は続く作業のせいか、それとも緊張か。
それを拭うことなく、彼は金属板を手にした。
銀色の金属板は、魔法の付与も加工もない。
作業テーブルの上にあるのも、木槌、数本の板金用の金槌、形違いの当て金、そして古びた木の台と、よくある工具だけだ。
ジャンニは金属板を斜めにし、窓からの夕暮れ、そして魔導ランタンの灯りを表面に滑らせる。
そして、親指と人差し指で挟みこむと、大きくしならせ、戻す作業を繰り返した。
同じ金属板でもクセが違ったり、一部に傷が入っていたりすることもある。
それを確認するためだろう。
そうして、木の台に金属板を置くと、ようやく木槌を手にした。
コン、という、軽い音が響く。
そのまま、縁に近いところをコン、コン、コン、と音は続いていく。
金属を変形させるには弱い、そうも思える音だった。
けれど、木槌はきっちりと力を伝えている。
曲がりが目視できるようになったとき、音が一段強くなった。
コン、コン、コン、と心地よいリズムを刻みながら、木槌が金属板に丸みをつけていく。
ひたすらに音が続き、金属板の片側が立ち上がったところで、木の台ごと床へ移される。
木槌が再び動き出した。
打った瞬間、金属面が弾み揺れ、それが緩やかな丸みにつながっていく。
一打ごとに叩く位置が変わり、同じ一点を続けて叩くことはない。
「これほど時間がかかるものなのか……」
「ウロス部長であれば、あの丸みもすぐだろうに」
ダリヤの近く、若手の魔導具師達がこっそりと話す。
魔導具師は魔法を使って形を作るので、そう思えるのも仕方がないだろう。
けれどダリヤは、ジャンニの手に父の手が思い出されてならなかった。
金属板であったものが、タンクを半分に切った形に近くなった、そう見えたとき、コン、コン、という繰り返しの音が止まった。
何人かの魔導具師は、作業が終わったと思ったのだろう、姿勢を戻しかけている。
けれど、ジャンニのつぶやきを、ダリヤはしっかり聞き取った。
「これで半分、と」
彼は疑似タンクを真横から見つめると、立ち上げた面へ指三本を滑らせる。
そのまま上下を撫でるように繰り返すと、途中でぴたりと止めた。
その目に、魔導ランタンの光が赤く映って見えた。
ダリヤが目をこらしても、何があるのかまったくわからない。
けれど、彼は目と指でわずかな歪みが見えるのだろう。
次に手にしたのは、頭の細い金槌だ。
左手に当て金を持ち、疑似タンクの面を挟んで打つ。
キン、という音は木槌のものとは違い、硬く、短かった。
そこからも、目と指で確かめ、金槌と当て金で整える作業は続く。
キン、キン、という音は大きくはない。
それなのに、作業室の者達は皆、声を消していた。
どれほど音が続いたものか、ジャンニはようやく金槌と当て金を手から離した。
代わりに布を手にすると、内側と外側の両面を拭き上げる。
次に持ったのは、足元の水桶、そこに入れていた刷毛だ。
彼は水のしたたる刷毛を、疑似タンクに向けて勢いよく振る。
ピシャ!と、細かな水滴がタンクの内側へ散った。
金属の上だ、水滴はそのまままっすぐ下に流れ、細い筋を作っていく。
どれも途中で曲がることはなく、ただまっすぐ、左右に分かれる筋は一つもない。
丸みをつけられたところも水滴が留まることはなく、底の部分まで流れた後、ゆっくりと左に流れ、床に落ちた。
それを布で拭き取ったジャンニは、疑似タンクの向きを変えると、外側に再び刷毛で水を散らす。
水の筋はどこにも留まることはない。
ただまっすぐに、床へ落ちる。
浅くうなずいたタンク職人が、こちらへ向き直った。
「これで、できあがりで――」
「すばらしいです! タンクはこのように作るものなのですね!」
「見事な補正でした。ぜひ、その見分け方を教えて頂きたく!」
完全に言い終える前に、感嘆と願いの声が重なった。
魔導具師も職人なのは同じだ。
技術のすごさは物でわかる。
ダリヤも拍手を送りたい思いだった。
「ふむ、やはりこの丸みは魔法で成形するよりも歪みがない――ということは、私ではここまでできぬということか……」
既にできている疑似タンクを撫でながら、ウロスがつぶやく。
目が合うと手招かれたので、近くで実物をみせてもらうことにした。
「失礼します」
許可を得て、ダリヤも触れさせてもらう。
冷たい金属だが、滑らかな丸みは指に優しく感じられた。
そして、近くで見れば面の滑らかさがよりわかる。
これが鏡面仕上げであれば、寸分違わずこちら側が映っただろう。
「ダリヤさん、どうだった?」
歩み寄ってきたジャンニに、小さい声で聞かれた。
「すばらしい技術だと思います」
「ありがとうよ。でも、じつはあがってて説明が一言もできなくてな」
こそりと言われた言葉に笑みつつ、ダリヤは首を横に振る。
「あがっている人はこんな見事な物を作れません。あと、手で語っていたので問題ないです」
そう返すと、ジャンニは職人の表情で笑った。
「礼を言う、ジャンニ殿。無理を言って、三度もすばらしい作業を見せて頂いた。私には届かぬ出来映えだ」
「ええと、魔法では補正ができないんでしたか?」
「ああ、魔法成形は一気に仕上げるのでな」
ウロスの答えに、ジャンニは首をひねった。
「その後に手作業で補正すればいいだけでは?」
「――腕のいい職人をぜひ確保したいものだな、ジャンニ・コルトラ殿」
ウロスの朱色の目が、一瞬、猛禽類のそれに見えた。
いや、気のせいではなかったらしい。
ジャンニが狙われたウサギのように怯えた目をした。
「いや、俺はこれしかやってこなかっただけですから! 八本脚馬の入れる強度計算もできなければ、表面処理の薬品も不勉強で――」
「そちらは私がわかる。だが、私は金属の補正を見る目も叩いて直す技術もない。共に教えあいながら作ればよりよいものが作れそうだ」
「教えあう……?」
まだ理解できないという表情の職人の前、王城魔導具制作部長が真顔となった。
「ジャンニ・コルトラ殿、王城魔導具制作部長ウロス・ウォーロックよりお願い申し上げる。我が部の客員技師としてお招きしたい」
「ぎゃ……」
おかしな声を止めようと口を押さえたジャンニが、呼吸まで止めそうだ。
青い顔で助けを訴えかけてくるのは、よくわかる。
昔の己ととても重なるが、ダリヤに止めることはできず――
ただ、言えることはあった。
「ジャンニさん、きっと、もっとすごいものが作れると思います」
「もっと、すごいもの……」
「材料もいろいろと使えますし、予算も多いと思いますし、新しいことも覚えられますから」
待て、自分。
それよりもまず、王城魔導具制作部の客員技師の待遇について説明してもらえばいいのだ。
ウロスに願おうとしたとき、ジャンニが目を輝かせて尋ねた。
「たまにでいいので、ミスリル、紅金を叩かせてもらえないでしょうか? あと、表面処理の薬品について教えてもらいたいです。本の題名だけでもかまいません」
「もちろんだ。むしろこちらから願いたい。あと、それらに関しては来る度に叩くことになるから覚悟した方がいい」
「ひゃ……う」
ひゃっほう! と言おうとした口を再び押さえ、ジャンニが身を震わせる。
タンク職人は希少金属で、食いつきよく釣れるらしい。
「うむ。ジャンニ殿、この疑似タンクに、硬質化の魔法を付与してもかまわんかね? この形状での強度を試しておきたい」
「どうぞ。あとは鋳つぶすしかないでしょうから」
高魔力のウロスによる硬質化である。
ダリヤはジャンニと共に壁際へ移動することにした。
周囲の魔導具師達はそれなりに魔力が高いが、ダリヤは届かず、ジャンニは魔力がない。
二人とも魔力酔いを起こしては困る。
「大きめだから、少し強めに入れるか」
ウロスは緊張感のない声で言うと、右手を疑似タンクへと向けた。
すぐ魔力のゆらぎが感じられ、白い光が疑似タンクを包む。
数秒かと思ったそれは終わらず――代わりに始まったのはウロスの高笑いだった。
「あははは! そうか、そういうことか!」
理由のわからぬそれに、周囲は声をかけられずにいる。
魔力のゆらぎはさらに大きく、白い光はよりまぶしくなり、つい目を閉じてしまう。
思いがけぬ長い付与は、ようやく終わった。
「付与すると、色が変わるのか……」
ジャンニは面白そうに言うが、ダリヤは初めて見た。
一体どれだけの魔力を入れられたものか。
疑似タンクは鈍い銀から完全な白銀へ、艶やかに色を変えていた。
ウロスは袖から銀色の短杖を出すと、軽く当てる。
リン、と高く澄んだ音が響いた。
ミスリルを思わせる音に、ダリヤは思わず息を呑む。
「ウ、ウロス部長……?」
「魔力なしで作ったものには、魔法の付与がより入りやすくなる……ははは! 魔法の上掛けが手間なのは当たり前ではないか。このようなことを五十年も使いこなせていなかったとは……」
笑っていたはずのウロスの声に、昏さが混じる。
悔しさか、後悔か、それを尋ねることはできない。
だが、魔力なしで作ったものに、より付与が強く入れられるとしたら、ここからの魔導具づくりは大きく変わるかもしれない。
周囲の魔導具師達もそれに気づいたのだろう。
作業室の温度が、じりりと上がった気がした。
「ジャンニ殿、魔法なしでの成形を覚えるのは時間がかかるものだろうか?」
「人によりますが、叩きに五年、形に五年と言われています」
壁際からダリヤと一緒に戻りつつ、彼は答える。
「最低十年か。もっと若いときからやれたらよかったが、私では間に合わんか。お前達はまだ間に合う、希望者はしっかり学べ」
「「はい!」」
若い魔導具師達が目を輝かせる中、小さいつぶやきが落とされる。
それは、話の隙間、思いがけなく通った。
「こっから学んでもいいだろ、楽しいんだから」
こぼした言葉にようやく気づいたかのよう、ジャンニは本日三度目、口を押さえる。
しかし、周囲から集まる視線に、あわてて一礼した。
「すみません! 俺は叩けなかった金属を叩くのも、表面処理を知るのも楽しみすぎて、つい……」
「楽しい、か――その通りだな。楽しいのだから、年など放り投げてやればいい、それだけのことだった」
うなずいたウロスは、大きく笑う。
その朱の目が、今度は楽しげな光で満ちた。
「さて、いつから王城魔導具制作部に来てもらえるかね、客員技師殿?」
「明日からでも!」
即答したジャンニも、しっかり笑い返す。
二人を見ていたダリヤ、周囲の魔導具師も、いつの間にか笑顔となっていた。




