593.青月漆と隣室の来訪者
ナレーター梶山はる香様、オーディオブック『魔導具師ダリヤはうつむかない 10』5月29日より配信開始となりました。どうぞよろしくお願いします!
「名残惜しいですが、今日はこれで解散としましょう」
いろいろとあった小箱作りだが、夕刻、セラフィノの声で区切りとなった。
ほっとしつつ、フェルモ達と帰路につこうとしたところ、名が呼ばれた。
「ロセッティ、約束していた青い染料が届きましたので、持っていってください。ヴォルフ君が運び役ですね」
以前言われた東ノ国の染料だろう。
ダリヤは礼を言って受け取ることにした。
フェルモとコルンはスカルファロット家の馬車で先に戻り、ダリヤ達はグイードが三課へ来たら共に帰ることとなった。
そうして向かったのは、地下一階にある素材保管室だ。
ダリヤとしては、以前の首無鎧のある部屋ではないことに安堵した。
入ってすぐ、ベガが複数の魔導ランタンを灯す。
明るくなった素材保管室はそれなりに広く、壁には天井まで、床には人の背よりもやや低い棚がみっしりと並んでいる。
棚の上部の物を取るためだろう、脚立も二つあった。
棚は大きな引き出し式で、それぞれに名札がつけられている。
ダリヤも使っている各種スライムの粉、セイレーンの髪、一角獣の角の他、ワイバーンの牙、骨、森大蛇の牙、皮、心臓、首長大鳥の嘴、魔核など、様々だ。
引き出しを開けて確認したい思いがひしひしする。
その中でふと目が止まったのは、変異種と赤い文字で入れられた『一角獣・赤目:角』の表記である。
そういえば、ヴォルフが幼い頃にさらわれそうになったのも赤目の変異種と聞いたが――
つい隣を見れば、金の目をちょっと嫌そうに細める彼がいた。
これは素材としてどんな効果があるのだろう、そう思ったとき、セラフィノが振り返る。
「ロセッティ、どれか欲しいものはあります?」
「いえ、これは王城魔導具制作部の貴重な素材だと思いますので」
自分がもらったら業務上横領になってしまう、そう思いつつ答える。
「三課のストックで私の管理品ですから、研究用として使っていいですよ。こちらを使いきっても問題はありません」
予算が豊潤、素材が豊富というのは、とてもありがたいことである。
しかし、三課の場合、魔物寄せともなるセラフィノの血が担っているのではないかという一抹の不安を感じてしまう。
「ありがとうございます。お気持ちだけで――探すものがあるときにご相談させてください」
「わかりました。その時はご遠慮なく」
鉄板の答えを返すと、セラフィノは再び歩み出した。
彼を先頭に、そのまま部屋の奥へ進む。
棚と棚の間、木製のドアがあった。
それを通り抜けると、ベガが再び壁の魔導ランタン二つを灯す。
こちらの棚には大型のガラス瓶、床には樽や箱がみっちりと並んでいた。
ガラス瓶の中身は粉末であったり液体であったり、本体――植物や魔物の皮や爪のある足などのアルコール漬けなど、様々だ。
視線がそちらに釘付けになりそうなのをこらえ、前を見る。
セラフィノは部屋の奥、紺色の樽に向かった。
なかなかの大きさで、中に人が入れそうだ。
ベガがバールで樽の蓋を開ける。
魔導ランタンの光に照らされたのは、夜空を思わせる墨色だ。
「こちらが東ノ国の染料で、『青月漆』というそうです。青月樹の樹液を加工したものですね」
セラフィノは横の大きなガラスの柄杓を手にすると、樽に入れる。
表面の墨色がすらりと切れ、艶やかで深い青が見えた。
柄杓で掬い上げられた染料は、もったりとしている。
斜めに角度を変えると、深い青の線がゆっくりと樽へ戻っていく。
漆と名がつくだけあって、質感は似ている。
ただ、でろりと粘度は高く、表面から薄い魔力を感じる。
「青月樹は植物型の魔物だそうです。夜に動いて、他の植物を糧にするとか」
もしや、本体は草食の食虫花のような感じだろうか。
それとも樹木魔のようなものだろうか。
素材もだが、青月樹自体も興味深い。
「金属や木材に塗りつけるときれいな青になります。そのあたりは染料の漆と同じですね。一定以上の魔力を入れると強化と、幻覚耐性がつくそうです」
「幻覚耐性、ですか」
その単語を繰り返したのはヴォルフである。
今回の討伐で変異種の二角獣が出たそうなので、それを思い出しているのだろう。
「ええ。幻覚魔法に惑わされづらく、魔物や敵が魅力的に見えることがなくなります。東ノ国ではこれを兜の裏に塗っている騎士――『侍』がいるそうですよ」
「侍……」
今度繰り返してしまったのは自分である。
前世の時代劇が思い出されたが、かの国の本を見る限り、髷や日本髪を結うようなことはないらしい。
それでも東ノ国に味噌や醤油があることなど、前世の日本との共通点は多い。
ぜひ、いつか行ってみたいところだ。
もっとも、隔てる海には大型の魔物もいるので、難しいのだろうが。
「ヴォルフ君、魔物討伐部隊で、確かそういった魔物がいましたよね?」
「はい、今回の遠征でも変異種の紫の二角獣が出ましたので、そういった魔物の対策になればありがたいです」
二人の会話に、ダリヤは意識を戻した。
「ぜひ試してみたいと思います」
「魔物討伐部隊の鎧や兜に付与するときは、ウロス部長かカルミネ副部長に声をかけてください。手伝いの魔導具師を――本人がいらっしゃるかもしれませんが」
多忙なお二人だが、魔導具師は新しい素材とお試しには心躍るものだ。
いらっしゃる気がとてもする。
「あと、私を呼ぶのも忘れないでくださいね」
「わかりました」
笑いを堪えつつ答えると、セラフィノが柄杓を手渡してきた。
「ロセッティの必要なだけ、半分までならいいですよ」
待っていただきたい。
王城魔導具制作部でも使うものなのだ、そんなには頂けない。
「いえ、それほどは――」
「では、こちらでお持ちになってはいかがでしょうか?」
ベガにガラス瓶を勧められたが、それもとても大きい。
気遣いはありがたかったが、礼を述べつつ、中型のガラス瓶に替えてもらった。
ヴォルフがガラス瓶を傾けて持ってくれたので、ダリヤはガラスの柄杓で青月漆をすくい、慎重に移し始める。
もったりと粘度のあるそれは、なかなか落ちきらない。
青く伸びる線を見守っていると、手前の部屋でノックの音がした。
セラフィノがベガへ視線を向けると、彼が隣の部屋へ向かう。
けれど入室の了承の声を返さぬうち、ドアは勢いよく開いた。
「セラフィノ兄様!」
叫びにも似た声に、セラフィノが苦笑する。
「誰でしょうね、国境に魔鳩を飛ばしたのは」
ダリヤも声で、入ってきたのが誰であるかがわかった。
作業を止めて挨拶を、そう思ったが、セラフィノに片手を上げて止められる。
「あなた方は手が空いていないのですから、こちらにいなさい」
確かに、青い粘体は柄杓からぬったりと流れ続けている。
それに、急な知らせなどで自分達が聞いていいことではないかもしれない。
はい、とヴォルフと声をそろえ、目の前で閉まるドアを見た。
「セラフィノ兄様、ご無事ですか?! 冤罪をかけられたと!」
隣室から、息の乱れた強い声が響く。
ここは倉庫のためか、防音はあまりないらしい。
「ストルキオス、先触れはどうしました? お行儀が悪いですよ」
「しかし、セラフィノ兄様の身に何かあってからでは!」
「この通り、何もありませんよ。魔導具の効果で些細な行き違いがあっただけです」
第二王子であるストルキオスが国境からやってきた理由がわかった。
彼は、セラフィノを心配して帰ってきたのだろう。
「しかし、セラフィノ兄様を罪人呼ばわりなど許せることではありません! 父上付きの者達も何を愚かなことを――」
声と一緒に一気に漂ってくる魔力に、背筋が冷える。
隣のヴォルフも身構えたのがわかった。
柄杓が少しだけ震え、細く伸びる線が揺れる。
「落ち着きなさい、ストルキオス。魔力が揺らいで、呼吸がしづらいです。あと、成人したのですから、私室以外で兄呼びはやめなさい」
同じ王族で、セラフィノも王城育ちだ。
ストルキオスは子供の頃、セラフィノを兄と呼んでいたのだろう。
「申し訳ありません、セラフィノ殿……」
謝罪の声と共に魔力の流れが止まった。
セラフィノは何事もなかったように言葉を続ける。
「強めの睡眠効果のある小箱ができて、叔父上が眠っただけです。王という立場なのですから、近衛が騒ぐのも、小箱を持っていた私を疑うのも当然でしょう」
「そもそも父上の危機管理がなっていないのが原因ではないですか。それに、近衛であってはならない者と、セラフィノ殿を軽んじる者がいるなど! 家ごと処分を――」
「そんなもったいないことはしませんよ。謹慎後は二人とも私がもらいますから」
「セラフィノ兄様っ!」
「セラフィノ様っ!」
不満の声が二つ、きっちり重なった。
ベガも知らなかったらしい。
「そのような者を近くに置くのは危険です。それに厳しい処分をしなければ、セラフィノ殿が軽んじられます!」
「今とたいして変わりませんよ。二人には能力も魔力もあるのです。王城騎士団は駄目でも、私の実験協力や魔石作りはできるでしょう。内々にしてご家族に話をすれば、王家に対し惜しみない協力も得られます。取り立てられる恩は、どれだけ売りつけてもいいものです」
これぞオルディネ大公と言うべきだろう。
ダリヤはひたすらに感心すると共に、近衛騎士の家族に咎が及ばぬことに安堵した。
声を出さぬが、目の前のヴォルフもこくりとうなずく。
「ところで、ストルキオス。情報は内々にしているはずですが、誰から聞きました?」
「――父上から『今日の夕食を一緒に』と手紙を。こちらに来て、内容を伺いました」
王がストルキオスに知らせたらしい。
息子だから知らせたのか、王族だからか、ダリヤにはわからなかった。
「わかりました。この話はここまでにしましょう。ですが、小箱を試したかったら夕食後に貸し出しますよ。ダフネ大叔母上もよく眠れ、寝酒がいらなかったそうですから」
切り換えた明るい声に、王子の返事がなかった。
少しばかりの沈黙の後、吐息のような声が響く。
「セラフィノ殿は本当に――王族の鑑だと思います」
「買いかぶりですよ。私は好きにやっているだけです」
「いいえ、我々ではどうやっても及びません。本来であれば、次の王はあなたが――」
「口を閉じなさい、ストルキオス!」
身を斬るような冷えた声がした。
それがセラフィノのものであると理解するまで、一瞬の間があった。
「冗談でも口にしていいことと悪いことがあります。それと、万が一そんな話が出たら、私はバケツで毒杯を飲みますよ」
「申し訳ありません……」
消え入るような声が響く。
それに続く声は、いつものものに戻っていた。
「それより、国境のワイバーンと空奏の魔剣の実験結果を教えてください。楽しみに待っていたのですから。あと、月光蝶について教えてもらいたいことがあります」
「はい、実験結果は持ってきていますし、月光蝶ならたくさん標本にしていますので、お任せください」
「まず湯を浴びて着替えなさい。夕食をとりながら話しましょう」
「はい!」
そうして、ストルキオスは部屋を出て行ったらしい。
人の動く気配と、ドアの閉まる音がした。
ダリヤはつめていた息をようやく戻す。
青月漆は柄杓からきれいにガラス瓶に移っていた。
隣のヴォルフは無言のまま、ガラス蓋を閉めた。
魔導ランタン昼型、錬銀術師――それはセラフィノの二つ名だ。
昼に要らぬ灯りをつけるもの、金を銀に変える愚か者。
外部魔力無しでありながら大公という地位は形だけ、姉の子だからという王の情けによるもの。
有能な本人に似合わぬそれらは、故意に作られたものではないか。
王家に軋轢をもたらさぬため、王位継承で国を揺らさぬため――
その考えは、ドアが開く音で止められる。
「はぁ……あなた方には、どうしてか、内緒話が増えますね」
セラフィノは少し疲れたような表情で言った。
けれど、ダリヤはそれにうなずくことはしない。
「作業に夢中で、何も聞こえませんでした」
「同じく、作業に夢中でした」
「ロセッティは本当に男爵が板につきましたね。ヴォルフ君も間もなく男爵らしい言葉です」
そこからは誰もストルキオスについては口にしなかった。
ダリヤはガラスの柄杓から固まりかけた指を離し、ベガに樽の蓋を閉めてもらう。
青月漆の入った瓶は木箱に入れられ、ヴォルフへと預けられた。
「貴重な染料をありがとうございます、セラフィノ様」
「足りなくなったらいつでも言ってください」
自分にそう言うと、彼は水色の目を隣へ移す。
「ヴォルフ君は近いうちに近衛に望まれるかもしれません。叔父上かアルドリウス殿下付けで」
「――失礼ながら、そのお声がけは、お断りしてもよろしいものでしょうか?」
「かまいませんよ。面倒になるようなら、先にこの私に声をかけられていたと言って、しばらく私付きになりなさい。次の就職先までのつなぎになりましょう」
「お気遣いありがとうございます。自分は近衛にはふさわしくなく……」
王族の一人、オルディネ大公を前に、近衛になりたくないとは言えない。
濁すヴォルフだが、目はしっかりと語っていた。
「近衛になりたくないなら、魔物討伐部隊で役付けを目指していると言えば通るでしょう。あとは、グイードが一時的に病になるとか、大事な人の病で付き添うというのも方法ですね。その後、心配で隣にありたいとすれば美談にできますよ」
仮病を使って逃げろと言われているようだ。
その場合、ヴォルフは魔物討伐部隊を辞めることになる。
いつか、彼が隊を辞め、ロセッティ商会に入ってくれればいい。
そう願ってきたが、それは騎士である彼が望むときであってほしい、そうも思える。
相反する思いを、ダリヤは口にできない。
「――考えてみます」
ヴォルフの声が重く聞こえた。




