589.赤ブドウジュースと素直な雑談
・『魔導具師ダリヤはうつむかない』14巻9月25日、15巻10月23日発売です。
(アクリルスタンド付属の特装版もあります)
どうぞよろしくお願いします。
ドアの閉まった音に、ダリヤは少し長めに息を吐く。
王と近衛騎士達が部屋を出て行くと、薄かった空気がようやく戻った気がした。
「さて、私達も移動しましょうか」
椅子から立ち上がったセラフィノに対し、同じテーブルのグイードが続く。
「ここからは私も立ち会うよ」
「グイード、あなたは中隊長と当主の仕事があるでしょう。ここからは私の仕事ですから」
「セラフィノの仕事の心配はしていないよ。私はダリヤ先生の貴族後見人だからね、見届ける権利と義務がある。王城での仕事が終わり次第、三課に来ても?」
「いいですとも。茶菓子を持ってきてくれるならコーヒーで歓迎しますよ」
軽い声でのやりとりに、それまで黙っていたカルミネが手を上げた。
「私も同席させてください」
「叔父上、いえ、カルミネ副部長は、食事とベッドが先です。明日からご一緒しましょう」
昨日は徹夜だったであろうカルミネへ、セラフィノが答える。
だが、藍鼠の目はそらされることがなかった。
「私は何も問題はありません。ここからも――」
「では、ベッドに横になって、こちらの効果を確認してください。明日、報告を聞きますよ」
セラフィノは蓋をした小箱をカルミネに預ける。
さらに抗議をしようとしたのか、その口が開きかけたとき、言葉が続けられた。
「付き添いは要りますか、叔父上?」
するりと隣に立ったベガに、カルミネがあきらめの表情をする。
体が一番なので、ここは休んでもらいたい。
「わかりました。ですが、明日は絶対にご一緒させてください」
「ええ、もちろんです」
カルミネはセラフィノ、そしてダリヤ達に一礼し、部屋を出て行った。
そこからは、セラフィノについていく形で、皆で移動する。
着いた先も同じく地下。両開きの木のドアを通れば、部屋の中央に円卓があった。
以前、ヴォルフや三課の者達と、『おいしいポーション』の試飲をした場所である。
今日は他に人はいない。
大きな円卓をセラフィノ、ダリヤ、フェルモ、コルンで囲む形となった。
「私は名ばかりの大公で、五要素魔法もありません。二つ名にいたっては、『錬銀術師』に『昼型魔導ランタン』、王城の無駄飯喰らいですので、気楽に話していいですよ」
セラフィノらしい気遣いだが、それができたら苦労はしない。
隣のフェルモが膝の上で拳を握り、その先のコルンは肩に力を入れている。
ダリヤも落ち着いてはいないが、セラフィノに関しては多少慣れたので表情は取り繕えた。
「そうは言っても、いろいろと気になるでしょうから――」
セラフィノは内ポケットから黒革の手帳を出すと、さらさらと書き始め、途中でペンを止める。
「ガンドルフィ君、ちょっと名前の綴りを教えてもらえます?」
フェルモが固い声で返すと、ペン先が再び動き出す。
書き終えたセラフィノはページをびりりと破くと、ベガに渡した。
ダリヤは何度か見た光景である。中身もほぼ想像できる。
「……フェルモ・ガンドルフィの言動に不敬を問わない……あ、ありがたく、頂戴します……」
フェルモの声が少し震えている。
書かれた一文の後ろにあるのは、おそらくセラフィノ・オルディネ・ザナルディの名。
文面は短いが名が重い、それはダリヤがもらったときに感じたことだ。
「ロセッティとコルンバーノ君にも渡していますから。これで楽に話せますね」
確かに、これで三人共、文面上は不敬を問われなくなった。
好んでやるようなことではないが、うっかりということもありえるのでありがたい。
楽に話せるとは到底思えないが。
「失礼します」
メイドのモーラがワゴンを引いて入ってきた。
セラフィノが視線を動かすと、ワインらしき瓶とグラスがテーブルに並べられる。
「ワインで乾杯といきたいところですが、私もコルンバーノ君も飲まないので、赤ブドウジュースにしました」
お茶の時間ならぬジュースの時間になるのだろうか、ダリヤがそう思ったとき、彼がどこからかガラス瓶を取り出した。
小ぶりのその中身は赤ブドウジュースよりも赤黒く――なぜか背筋がぞくりとした。
「最初の一杯には九頭大蛇の血を入れます。これには短時間、子供のように心の声がこぼれる効果があります。今のところ、完全に防げる魔導具はありません。これを飲んで、『オルディネ王国と王族に害意なし』、と言ってもらっていいです? それ以外は何を喋っても不問にしますよ」
セラフィノの言葉に、またも三人そろって沈黙する。
正面から自白剤を飲ませると言われたら、返す言葉など浮かばない。
こういう場合、こっそり飲ませるのが普通ではないのか?
いや、自白剤の普通がわからないので判断ができないが――
ダリヤが混乱していると、コルンが口を開いた。
「失礼ながら――我々は、国への害意を疑われているのでしょうか?」
「私は疑っていませんが、近衛の方は疑うのも仕事のうちなので。今後のあなた方の邪魔をさせないよう、私の名で証明書を作りたいのですよ」
セラフィノらしい気遣いに思えた。
王も近衛も眠らせる箱なのだ、仕方がないだろう、そう思うダリヤの向かい、コルンが立ち上がる。
「申し訳ありません、ザナルディ公。お気遣いはありがたく、しかし、私はスカルファロット家の守秘を話す可能性のあるものを飲むことはできません」
「グイードからコルンバーノ君の安全に関わる場合として、許可は得ています。あなたが望むなら、話した内容によっては神殿契約をしましょう。それでいいです?」
「――はい」
一拍遅れたが、コルンがうなずく。
それに満足したらしいセラフィノもうなずき、グラスに手を向けた。
モーラが無言で三つのグラスを満たすと、大公がガラス瓶から九頭大蛇の血を注ぎ入れる。
わかるのは赤ブドウジュースの甘い香りだけだが、どうしても肩に力が入った。
「では、私からいきましょう」
「セラフィノ様!」
ベガが止める間もなく、セラフィノがグラスを傾ける。
そして、一気に飲み終えると、腕輪とペンダントを外し、テーブルの上に置いた。
そして、四つ目のグラスに手ずから赤ぶどうジュースと九頭大蛇の血を注ぐ。
三つのグラスは、ダリヤ、フェルモ、コルン、それぞれの前に置かれた。
「ベガ、モーラ、魔導具師と職人の内緒話をしますから、部屋を出なさい」
「ですが――」
「二度言わせる気ですか、ベガ?」
ベガは不満をなんとか隠し、モーラは無表情に部屋を出て行く。
二人が廊下に出るのを見届けると、セラフィノはポケットから盗聴防止の魔導具を取り出した。
テーブルの上にそれを置くと、三人に笑いかける。
「グラスの中身は毒ではない、ここの話は外に漏れない。これでよろしければ、皆さんもどうぞ」
ダリヤはフェルモとコルンと、つい視線を交わしてしまう。
飲まないという選択肢はないが、それぞれの目には困惑が深い。
この中で最もセラフィノと接点が多いのは、おそらく自分だ。
ダリヤは覚悟を決めてグラスを持ち上げる。
不敬になるようなこと、おかしなことを言わない、絶対に! そう自分に三度言い聞かせた。
「頂きます」
息を止め、一気に飲む。
ブドウジュースに混じる生臭さに唇をきつく引き結んでいると、セラフィノが新しいグラスで赤ブドウジュースを渡してくれる。
それで口を洗うように飲んで、ようやく落ち着いた。
ダリヤに続き、コルンとフェルモもそれぞれに飲む。
同じく追加の赤ブドウジュースを飲むことになったので、やはり生臭かったらしい。
「効くまではしばらくかかりますから、その間に作業を――ロセッティはガラス瓶へクラーケンテープを貼り、ガンドルフィ君はぴっちり閉じる金属の蓋を、コルンバーノ君は検品を頼みますね。もちろん、後でしっかりお支払いしますよ」
今日呼ばれた理由は、正しく現実になるようだ。
ワゴンの最下段にある箱が、円卓に載る。
九頭大蛇の血が入っているのと同じ大きさのガラス瓶が一ダース、金属蓋、クラーケンテープが入っていた。
この場で喋るより、作業をしている方が気持ちが楽である。
ダリヤは早速、ガラス瓶とクラーケンテープを手にした。
フェルモも同じだったのだろう、金属蓋を手に、ガラス瓶の口を確認し始めた。
することはいつもと同じ、細いクラーケンテープを瓶の口に合わせ、薄い円形に成形するだけ。
その上から蓋を閉めれば、中身の漏れないパッキンのできあがりである。
「私は、それがどうしてもうまくできません」
「コルンさんは魔力が高めですから、仕方がないかと……」
「作業の幅を考えてできるようになりたいのです。近くで手元を見せていただいてもよろしいですか?」
「どうぞ」
向かいのコルンが隣に来て、二枚目のクラーケンテープ貼りを見学する形になった。
いつもより少し距離が近いが、円卓なのでそういうものだろう。
ダリヤの付与をしばらく見て、コルンは眉を寄せた。
「細く魔力を絞るのは、どうやったらできるものでしょうか? ダリヤさん程ではなくても、今より少しでも絞る方法が知りたいんです」
「コルンさん、一度やってもらっていいですか?」
ダリヤがそう願うと、彼はガラス瓶を持って、人差し指をそっと近づけ――クラーケンテープに指先をぐるりと包まれた。
「やっぱりできないです……」
口元は引き結ばれ、こちらを見る目はうるりとしている。
悔しいのはわかるが、まだたった一個、あきらめないでもらいたい。
ダリヤはこのところの付与で気づいたことがある。
指を変える――日頃、付与に使っていない指だと、より細い魔力を出せることがあるのだ。
ただし、制御はより難しいが。
「コルンさん、薬指で試しませんか?」
「薬指、ですか?」
「慣れていない指だと魔力を出しづらいので、少し細く絞れるかもしれません。ただ、その分、魔力が揺れやすいですが」
「やってみます!」
前のめりになったコルンが、丸まったクラーケンテープをハサミで切り、再び手にする。
薬指から出た魔力はやや細く――しかし斜め上に進む。
クラーケンテープの端がちりちりと丸くなり、手のひらにもっていた部分がべったりとくっついてしまった。
「くっ! なぜ斜めに! しかも手のひらまで!」
「あせっちゃ駄目です! 付与は回数だと父も言ってましたから。十回百回は当たり前です!」
「ええ、何度でもやりますとも! 薬指で駄目なら、小指の先で試しましょう!」
コルンはとても努力家である。
自分も負けないように頑張らなくては、ダリヤはそう思いつつ、付与を見守った。
「隣でみせてもらってもいいです?」
「どうぞ」
コルンがダリヤの隣に来たように、作業中のフェルモへ、セラフィノが椅子を引きずって行った。
フェルモは小型の金属ハンマーを手にすると、蓋の端をコツコツと叩いていく。
しばらく小気味よい音が響くと、一度ガラス瓶に合わせ、軽く閉めた。
きゅっという小さな音の後、再度、蓋を開ける。
魔導ランタンの光、その角度を変えて内側を見れば、アタリの強い部分が少しだけ白く濁る。
その部分へ、極細の丸ノミを当てて調整する。
フェルモが再びガラス瓶を閉めかけたとき、セラフィノが口を開いた。
「見事なものですね。ちょっとの違いできっちり閉まるのは――」
「作業中は声をかけんな。音が確かめられなくなる」
「ああ、お邪魔を。蓋がきっちり合うのに興味があるので、区切りがついたら質問していいです?」
「いいとも」
セラフィノが口を閉じ、フェルモは作業を続ける。
蓋をきっちり閉めた後、再び開けて調整し、ようやく口を開いた。
「で、質問は?」
「ガンドルフィ君は、こういった金属成形を何年ぐらいやってます?」
「子供の時分からだから、四十年くらいだな」
「この蓋を合わせられる金属加工って、何年でできるようになります?」
「筋のいい奴なら一年、不器用な奴で三年、極めるのは天井知らずだ」
「極める? 蓋がきっちり閉まって水漏れしない、それ以上に何を?」
「締めたときに気持ちよく閉まって、開けるときに気持ちよく開く、使い続けても歪みづらい、そこまで目指せば底無しさ」
「天井知らずに底無し……奥が深いですねぇ」
フェルモがセラフィノに対して職人論を展開している。
その興味深さに、ダリヤはコルンと共に手を止めて聞き入る。
「大公様は金属成形に興味が?」
「ええ。魔導具師を名乗っていても、私は外部魔力がないので、ちょっとした小物の加工もできませんから」
「小物の加工なら魔力はいらねえよ。手と工具、時間とやる気がありゃあいい」
「え……?」
フェルモは蓋と小さなハンマーをセラフィノに手渡す。
そして、ガラス瓶の口と蓋を交互に指差し、説明を始めた。
「蓋を閉めたときにアタリが強いのがここ、それを軽く叩く。ああ、初心者は手を叩かないようにテーブルに置いちまった方がいい。持ち方はそう、軽めに叩いて――いいじゃねえか」
フェルモの指導で、セラフィノがハンマーを動かす。
おっかなびっくりではあるものの、なかなか楽しそうだ。
「それで、一回締め直してみるといい」
「ぎしぎしする音がなくなりましたね」
「ああ、見た目と、音と、指で確認するんだ」
「勉強になります、ガンドルフィ君」
楽しそうな二人に、ダリヤは思いきり笑顔になってしまう。
やっぱり物づくりは楽しい。本当に楽しい。
それを噛みしめていると、セラフィノがぽんと手を打ち合わせる。
「うっかり忘れるところでした。さっさと言っておきますね。オルディネ王国と王族に害意なし! 自分が王族なので説得力がないですがね」
軽い声の大公に続いたのは、その横のフェルモだ。
「オルディネ王国と王族に害意なし! あるわけねぇだろ、むしろ平和でありがてぇと思ってる」
「叔父上が聞いたら喜びますね。ロセッティ君は?」
名を呼ばれたので、ダリヤも即答する。
「オルディネ王国と王族に害意なし! フェルモさんと同じで感謝してます!」
「不満はないです?」
「不満……生活必需品扱いで、魔導具にかかる税金を下げて欲しい!」
「私もそれは常々。今、冷風扇や給湯器のない屋敷なんてないでしょうにねぇ」
「ええ、私もそう思います!」
セラフィノに続き、コルンにも声高く言われた。
魔導具師共通の希望であった。
ぜひ実現して欲しい。
「次はコルンバーノ君の番ですよ」
「オルディネ王国と王族に害意なし! ただし、スカルファロット家、グイード様と敵対する場合はその限りではありません」
「当然でしょう。あなたはスカルファロット家の次期筆頭魔導具師であり、グイードの部下なのですから」
その言葉に、コルンが晴れやかに笑った。
そうして、話はさらに続く。
「ガンドルフィ君は、王から直接依頼を受けましたよね。王城魔導具制作部相談役と王族御用達商会、どっちがいいです? 私としては両方がいいんですが」
「いや、どっちも駄目だろ。あの箱を組んだ腕で相談役にしてもらえるなら、俺の先輩も候補になる」
「でも、王から直に声をかけられた上、商会持ちでしょう? 商会経由の納品になりますから、どうやっても王族御用達商会ですよ。あとは、私の希望で王城魔導具制作部相談役になってもらいたいですね」
「なんだ、さっきの続きか?」
「ええ。小箱まではいかなくても、歪みぐらいは叩いてマシにできるようになりたいので、また教わりたいです」
セラフィノがフェルモの袖をちょっとだけつかむ。
なんだろう、彼がいじらしい子供に見えてならない。
それはフェルモも同じだったのだろう。
「お断りする道が見えなくなりつつあるんだが……」
困り顔になった彼に思い出す。
王城魔導具制作部相談役――王城の相談役は通常、男爵になる。
ということは、フェルモも男爵仲間になるではないか!
「フェルモさんなら、『職人男爵』になれるわ!」
「いや、ダリヤさん、人にはふさわしい場所があるだろうよ。俺なんかじゃ――」
「私でも男爵になれたから大丈夫!」
魔導具しかわからぬ自分がこうしているのだ。
王も大公も納得した腕、職人のフェルモが男爵になるのもありだろう。
「フェルモさんの腕であればふさわしいかと思います。私も男爵を目指して頑張ります、グイード様のために!」
「いいですとも、コルン君。疾風船の功績もありますからね、殿下達の推薦で、来年あたりどうです?」
「ぜひお願いします!」
きっぱりと言い切ったコルンに、ダリヤは心から言う。
「男爵仲間ができてうれしいです! いえ、全員仲間ですね!」
「そうですね、こういった話ができるのは貴重な仲間です」
「大公は話のわかるお人だったんだな」
「私も、もう少し怖い方かと思っていました」
四人そろって笑いながら、席に戻る。
赤ブドウジュースをそれぞれのグラスに満たし、誰からともなく持ち上げた。
「オルディネ王国の繁栄と、三人の男爵に乾杯!」
「王国の繁栄と、大公と俺ら、仲間に乾杯!」
「王国の繁栄と新しい仲間に乾杯!」
「王国の繁栄と仲間に乾杯!」
それぞれが乾杯の言葉を口にし、赤ブドウジュースを口にする。
その甘さに楽しい時間が溶け込んだようで、よりおいしい。
ダリヤはしみじみとその甘さを味わい――耳の下を冷えた風が吹き抜けるような感触を覚える。
待て、自分は一体、何を言った?
大公もいる中で常の口調、男爵仲間ができて大喜び、加えて全員仲間扱い。
全部覚えていなかったことにしたいが、ヴォルフという前例がいるのでそれもできない。
不敬を問わぬとはいえ、流石にセラフィノも気を悪くしているのではないか――
ダリヤが不安を抱いて彼を見れば、すでにとてもいい笑顔が自分へ向いていた。
「いやー、仲間と話すというのは楽しいですね。毎回これを飲んで話したいぐらいです」
弾んだ声に、何と答えていいかわからない。
向かいのコルンはうつむき、額を指で押さえている。
言葉もなければ動きもない。
左を見れば、フェルモが円卓にべたりと突っ伏していた。
「帰りてぇ……」
聞こえたつぶやきに、ダリヤは深くうなずきたかった。




