576.緑の塔の朝
・FWコミックスオルタ様、彩綺いろは先生、『服飾師ルチアはあきらめない』
赤羽にな先生『魔導具師ダリヤはうつむかない ~王立高等学院編~』
最新話更新となりました。
・『魔導具師ダリヤはうつむかない』13巻、公式Xまどダリグッズ、1月23日発売です。
どうぞよろしくお願いします。
「セネレ、ちょーっと俺に状況を教えてくれない?」
「ヒヒン!」
夏の早朝、ドナは緑の塔の前にいた。
門を隔てた向こう側には、スカルファロット家の騎馬であるセネレ。
地面に体を伏せ、首をこちらへ向けている。
昨日、別邸に戻る予定のヴォルフが、日付を回ってしばらくしても戻らなかった。
馬場からセネレが引き出されていたので、ダリヤのところだろうと思い、庭を見て安堵した。
塔の一階の明かりは点いていたので、また魔導具作りか飲んで盛り上がっているのだろうと朝まで待ち――朝食の時間をすぎた。
「ランタンを消すのを忘れたならばいいが……二人そろって倒れるということはないだろうし……」
自分の後ろ、ぶつぶつとつぶやいているソティリスは、御者の格好だが帯剣している。
そんな彼が爪先を動かした。
「一応、周りを一周してくる」
「わかりました。俺はここで待機します」
ソティリスが音もなく歩き去る。
ドナはそれを途中まで見送ると、再びセネレに向き直った。
つり目気味の黒い目を見つめ、二つ目のリンゴを与えながら問いかける。
「ヴォルフ様達は無事だよな?」
「ヒヒン」
「お泊まりなさっているだけ?」
「ヒヒーン」
返事らしきいななきは返ってくるが、翻訳はできないので判断に困る。
害意ある侵入者がいたら、このセネレが蹴り倒しているから、その点は心配ないはずだ。
ヴォルフとダリヤがこう、幸せな感じになっていればと祈りたいところだが――
どうにもそう思えないのは、これまでの二人を見ているからか。
飲んで語り明かした、ひたすら魔導具開発に打ち込んで徹夜した、などと言われても、一切驚かない自信がある。
緑の塔は西区の外れにある。
自分が背にする道には、人も馬車もそう多くはない。
とはいえ、大きな馬が門の向こうにいるのはちょっと目立つ。
一度、門の内側に入ってセネレを出し、馬場で水と朝食を与える方がいいだろう、そう判断したとき、耳が悲鳴に似た声を拾った。
ドナは迷いなく、門扉を飛び越していた。
「ふきゅっ!」
ダリヤは潰れたスライムのような声を出してしまった。
もっとも、そう大きく響くことは無かったが。
先ほど馬のいななきで目が覚めた。
寝相が悪かったようで、あちこちミリミリする。
眠気で重い目をようやく開くと、すぐ目の前に、彫刻もかくやというほどに美しい寝顔があった。
「ヴォルフ……?」
夢だと思ったのは三秒。
昨日を正確に思い出すのに三秒。
見とれたまま呆然として四秒。
十秒後、ダリヤはようやく我に返った。
床の上、彼は左向き、自分は右向き、寒さからであろう抱き合うような形だ。
ヴォルフは遠征の疲れからか、自分より眠りが深そうだ。
ここは彼を起こさぬようにそっと離れ、二人それぞれにただ床で眠っていた、何もなかったということにしなくては――ダリヤはそう思い、彼の腕を離れ、後ろに下がろうとする。
起こさないように慎重に体をずらしていると、ヴォルフが大きく身じろいだ。
起こしてしまったかと慌てて顔を見れば、その目がうっすらと開いた。
自分を見る金の目が、ハチミツのように甘く溶けた色に変わる。
そうして、ヴォルフは、それはそれは幸せそうに笑った。
「なんて、いい夢なんだろう……」
そうつぶやいた彼は、腕を伸ばすと、ダリヤを捕まえた。
そのまま抱き寄せられ、彼の胸板に顔をつけ、あせりの声を上げたのが今である。
ヴォルフは一体、どんな夢を見ているのか?
いや、今、考えるのはそこではなく。
呼吸がしづらいので、顔の向きを変え、どうにか胸板から顔を離す。
心臓がバクバクし、まだ酸素が足りていない気がする。
呼吸困難の危険はとりあえず去ったが、今度は心の危険を感じる。
この状態でヴォルフが目を覚まし、気まずくなったり、今後、距離を取られたりしたら嫌だ。
だが、そっと離れようとしても、その両腕はしっかりと自分を捕まえて離さない。
彼は安堵しきった寝顔で、まだ起きそうにない。
そういえば、先ほど馬のいななきが聞こえた。
すでに通りを馬車が行き交うのであれば、それなりの時間かもしれない。
太陽の高さでわかるかと窓を見れば、青空を背にする、ドナとセネレが見え――
「お、おはよう、ございますっ!」
ダリヤは全力で、ヴォルフの腕を逃れて飛び起きた。
直後、自分の背後で彼も起きたらしい。
え、とか、あ、とか、大変混乱を感じさせる声が聞こえる。
床で眠っていた、それだけなので一切気にしないでもらいたい。
ダリヤはそのまま、玄関へ向かった。
「本当にごめんっ!」
「いえ、私こそ、ごめんなさい!」
「申し訳ありませんでした!」
「ヒヒン!」
ドアを開けると、三人と一頭で謝罪合戦となった。
最早、誰が何を謝っているのかがわからない。
どう説明というか弁明をすべきか、そう混乱しているところへ、ソティリスがやってきた。
「お二人とも、ご無事ですね?」
「ああ、大丈夫」
「はい」
厳しい表情の彼を前に、ダリヤとヴォルフは同時に答える。
そして、交互に昨夜からのことを細かく説明する形となった。
「昨夜、ヴォルフ様がこちらへ出向き、その後、お二人で魔剣の材料で実験。予想より睡眠効果が遅く出たことで、それぞれ床で眠って今まで、ということでよろしいですか?」
「はい、その通りです。私の不注意で、申し訳ありませんでした」
ソティリスに流れを確認され、ダリヤは背筋を正して謝罪する。
「いや、ダリヤのせいじゃない。俺が落ち込んでいるのを心配して、試作してくれたんだから」
「いえ、ヴォルフ、それは違うわ。材料を用意したのも、付与したのも私だから」
全面的に自分が悪い。
魔導具師としての予測を誤り、ヴォルフを巻き込んだ形だ。
しかし、彼がそうではないと言い返す途中、明るい声に遮られた。
「横から失礼します! ヴォルフ様、少し酒臭いので屋敷でお召し物の替えを、ロセッティ会長は少々髪が乱れているようなので直されてから、それからのお話の方がよくないです?」
「ああ、そうだね……」
ドナはいつの間にかマントをとってきてくれたらしい。
それを受け取り、ヴォルフがうなずく。
そんな二人を見ていたソティリスが、自分へ向き直った。
「ロセッティ会長、本日午後のお茶の時間以降、ご予定はありますか?」
「いえ、空いております」
「では、午後のお茶の時間にお迎えに上がります。ヴォルフ様とのお話を、別邸でお願いできればと」
その申し出を素直に受ける。
ヴォルフだけではなく、確認に来てくれたドナとソティリスにも、あらためてお詫びを言うべきだろう。
「では、ヴォルフ様、参りましょう」
「ダリヤ、また午後に――」
マントを両手で抱えたヴォルフが、自分に言う。
その金の目は少し困惑をたたえているが、避けられるようなことはなさそうだ。
自分が先に目覚めてよかった、今さらだがそう思う。
「はい、また後で――」
朝の身支度をしていないせいか、玄関ドアまでの見送りでと、ドナに言われた。
真面目に寝癖が気になるところだ。
そうして、まだ気が動転しているダリヤは、ドアを隔てた声を聞き取らない。
「ドナ、別邸までヴォルフ様をお送りしろ。私はセネレで本邸へ行く」
「わかりました」
「早駆けを頼むぞ、セネレ」
「ヒヒン!」
首筋を叩かれた騎馬が、機嫌よくいなないた。




