568.友人の結婚と腕輪の依頼
・オーディオブック『魔導具師ダリヤはうつむかない』6巻、配信開始となりました。
・『魔導具師ダリヤはうつむかない』13巻、1月23日に発売です。
どうぞよろしくお願いします。
濃い青の空に真っ白な雲。
窓の向こうは夏の見本のようだ。
夏休み最終日の昨日、ダリヤはようやく緑の塔へ帰ってきた。
本日からは仕事だが、王城や商業ギルドへ行く予定はない。
書類や塔の素材在庫の確認をし、ようやく一区切りついたところだ。
「静かね……」
昨日までのにぎやかさが嘘のよう、別邸の部屋よりも狭いはずの居間が、なんだか広く感じる。
今回の夏休みは、スカルファロット家で長くお世話になった。
何かお礼をと考えていたところ、グイードに先手を打たれた。
『魔導具での借り分が重いので、お礼などと考えるのはやめてほしい』、ドナ経由でそう告げられたのだ。
せめて別邸でお世話になった方達だけでも、そう申し出たダリヤに対し、ドナは笑って言った。
『できれば別邸に月一度でも二度でも来ていただければと。賄いが豪華になるので、皆、喜びます。そのときは俺も犬とこっちにきます!』
本当にそれでいいのかと思ったが、隣のヴォルフの笑顔に了承した。
その後、庭で犬達が骨をもらい、尻尾を振りまくっていたのに、ちょっと納得もした。
ダリヤ自身、また別邸でヴォルフと過ごせるのは楽しみでもある。
それでも――ちょっと彼の顔がまっすぐに見づらい。
ヴォルフは自分を友人だと思っているから、安心して気楽に付き合ってくれている。
ダリヤの心変わりを知ったら、困らせることになるか、距離を置かれるか――
暗くなりかかる考えを打ち消し、もう一度、夏空を見上げた。
「結婚式、もう始まったかしら――?」
今日は、魔物討伐部隊員であるカーク・レオナルディの結婚式だ。
レオナルディ子爵家は、王都の周囲の防御壁を守る役目がある。
その次期当主である彼の結婚式には、魔物討伐部隊長、副隊長、そしてカークと近しい隊員、また、貴族が多く参列するそうだ。
ヴォルフは先輩隊員として、グイードは侯爵当主として招かれていた。
ダリヤは、ヨナス、そして他の隊員と共に、別日の祝いの会に参加することになっている。
魔物討伐部隊の相談役、男爵という立場は、参加するにはふさわしい。
しかし、独身なので参列貴族から茶会という名の見合いに持ち込まれたり、少々無理に縁をつなごうとされたりする可能性もある――副隊長のグリゼルダにそう指摘されたためだ。
ダリヤもヨナスも素直に従い、お祝いを先に贈る形とした。
カークと親しいわけではないが、その人となりは、九頭大蛇戦へ共に向かったことで知っている。
王都への帰路では、幼馴染みの婚約者についての惚気も聞いた。
きっといい式になっていることだろう、そう思ったとき、眼下に茶色の馬車が見えた。
「お忙しいところを失礼します、ダリヤさん」
冒険者ギルドの馬車を降り、門を通ってきたのは、イデアである。
その手には大きい鞄が二つ。
ダリヤが一つを預かり、二人で塔の二階へと移動した。
テーブルを挟んで向き合うと、彼女は鞄から分厚い紙束を取り出した。
「こちらがスライムに関する新しい資料です。よろしければ使ってください」
「貴重なものをありがとうございます、イデアさん」
昨年、初めてスライム養殖場に見学へ行ったとき、スライムの成分表を羊皮紙の束で渡された。
その後の研究でわかったことをまとめ、今回、追加でもらう形である。
「いえ、ロセッティ商会からは研究費を多く頂いていますから。グレースライムが増やせたのも、環境が整えられたからだと思います」
イデアはスライムの養殖事業に携わるだけではなく、個人としても研究に打ち込んでいた。
少しでもその応援ができればと思ったが、養殖の速度といい、グレースライムの成果といい、想像をはるかに超えた成果である。
イデアに紅茶を勧めると、ダリヤは受け取った紙束に目を通していく。
それぞれのスライムに向き不向きの環境、餌、加工の注意点などが細かに綴られていた。
紙をめくる途中、目が留まった文をつい確認してしまう。
「脱走試行回数が一番多いのが、ブラックスライム……」
「はい。先日、ウォーロック様がいらっしゃったときには蓋を開けかかって――三重蓋に変更しました」
お世話になっているウォーロック公だが、もしやブラックスライム付きのお仲間ではないか?
一瞬気になったが、とても尋ねられそうにないし、自分も知られたくないので黙っておくことにする。
再び紙をめくっていると、興味深い記述があった。
「レッドスライムが炎龍の脱皮した皮で、活動が活発化すると思われる――こちらは魔力の関係でしょうか?」
「実際の炎龍ではなく、ヨナス先生の皮なので、思われる、という表現になりますが。動きが速くなり、食事量も増え、色艶も良くなります。次はウロコで確認する予定です」
ヨナスが炎龍の代替になっているらしい。
どう会話をつないでいいものかで迷っていると、イデアが続ける。
「ヨナス先生から、鍛錬や自然に抜けたウロコをご提供いただけることになりました。対価はポーションとハイポーションを引換券でお渡しする予定です」
「そうなのですね……」
ヨナスとしてもイデアとしてもいい取り引きになっているようだ。
ダリヤは一魔導具師として納得することにした。
「あと、グレースライムの粉に関しては、『灰宝』と名付けられました。灰のようでも宝のように価値があるからと、フォルトゥナート様の命名です」
「『灰宝』……」
なかなか詩的な命名である。
その名付けが服飾ギルド長であるフォルトというのにも納得した。
「灰宝の成形品の切り落としからできた紐――こちらなんですが、服飾ギルドの方で使いたいということでお渡ししています。力を入れるとすぐ切れてしまうのですが、それでもいいと。もっと伸縮性があり、細くても丈夫にできないか、ナディルが薬剤を調整中です」
イデアから渡されたのは、濃灰の細い紐だ。
引っ張れば伸び縮みするのもわかる。
前世のゴム紐に似ているが、伸縮性は及ばない。
あと、ちょっと硬い。
薬剤調整でゴム紐に近くなれば、服の脱ぎ着が楽になりそうだ、そんなことを考えつつ、手元の紙束をまとめ直す。
そうして視線を上げると、向かいで青藤の目が揺れていた。
「ダリヤさん、その、お知らせが――」
珍しく言いづらそうなイデアに、トラブルが起きたかと心配になった。
「何でしょう、イデアさん?」
「この度、ナディルと結婚しまして、ナディルがニコレッティになりました……」
「おめでとうございます!」
急なことに混乱しつつも、即、祝いの言葉を述べる。
グレースライムの布の技術担当者であったナディル・ロッシ。
彼がイデアに婿入りした形での結婚のようだ。
「ありがとうございます。急なことで驚かれたでしょう?」
「はい。でも、お似合いだと思います。お付き合いは長かったのですか?」
同じスライムの研究員だ。もしかしたら学生の頃からのお付き合いかもしれない。
けれど、イデアは首を横に振った。
「付き合ってはいませんでしたが、今後を邪魔されないようにと決めました」
「安全のための婚姻、ですか?」
安全のための婚姻というのは、偽装結婚のようなものだろうか?
もっとも、ここオルディネには夫婦の実態がなくても、家や仕事の関係で結婚する形はあると聞く。
偽装結婚という概念自体がないかもしれない。
けれど、目の前のイデアは、テーブルの上、両の指を固く組んだ。
「ナディルの生家はカダリオス家、元は伯爵家です。彼の血縁上の祖父であるカダリオス伯が、子供を魔付きにして売る、その指揮を取っていました」
抑揚の減った言葉に記憶をたぐる。
以前、オルディネ王国では魔付きを人工的に作ろうとしていた者達がいたと聞く。
その首謀者が、ナディルの祖父ということだ。
「ナディルは、親戚のロッシ家を継ぐ者がいないからと、赤子の頃に養子に出されました。事件が発覚したことで後継から外され、屋敷からも出されたそうです」
「それは……大変だったのですね……」
血縁だけの家族に振り回されるのは辛い。
家族だと思っていた者達から手を離されたのは、さらに辛かっただろう。
「今後、出自を隠そうとしたところで貴族相手には無理でしょう。真面目で有能な研究者なのに、生家の悪評に邪魔される、もったいないとは思いませんか?」
「ええ、正当に評価されてほしいです。今回のグレースライムの粉――灰宝の開発があれば、悪評は消えるのではないでしょうか?」
安堵を込めてそう言うと、イデアが笑む。
けれど、それは心からのものではなく、一目でわかる作り笑顔だった。
「消えるでしょうね。彼をないがしろにし、傾いているロッシ家が、『我が家の誇れる息子』とすり寄ってくるほどに」
「ああ……」
面倒なことこの上ない。
それでも予測できてしまうのが世知辛いところである。
「迷惑をかけるからとナディルに退職されそうになったので、逃がすものかと思いまして――その場で求婚したところ、ウォーロック様がまとめてくださいました」
「それは、よかったです……」
素晴らしい行動力である。見習いたいほどだ。
そして、さすがのウォーロック公である。
二人に感心していると、イデアがふうっと息を吐いた。
「素直にお祝いの言葉をくださったのは、ダリヤさんが初めてなんです。父は倒れる真似をするし、兄達はナディルに向かって『大丈夫か?』と尋ねるし、ジャン所長には聞き取りをされるし、研究員仲間には『二人とも、相手がスライムじゃなく?』と繰り返されて……すみません、愚痴になってしまいました」
苦笑しつつ言った彼女は、二つ目の鞄をテーブルに上げる。
「ダリヤさんへご相談がありまして、こちらへの付与を依頼したいのです」
鞄から出されたのは白木の箱だ。
蓋を開けると、銀色の腕輪が二本入っていた。
サイズ違いで、大きめの方には水色の石、一回り小さいものには青紫の石がはめ込まれている。
どちらもきらきらと美しく輝いていた。
「婚約腕輪ですが、こちらに氷結腕輪の機能を、強めに入れていただけませんか? 護衛をつけてもらっているので、ないとは思いますが、心の平和のために」
おめでたくうれしい依頼である。
氷結腕輪は氷魔法で身を守るためのものだ。
ここはしっかりと強めに入れようではないか。
「もちろん、お引き受けします。お祝いに大幅割り引きで」
笑顔でそう告げると、イデアからも笑顔を返された。
「では、ダリヤさんが結婚するときに、しっかりお返ししますね」
そんなことはありそうにないが――
それでも自分は、否定の言葉を口にしない。
「もし、そんな日がきましたら、お願いします――」




