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第十幕『ジャックの苦悩』

 星空を背景に少年ジャック・ジンは、船の甲板で浮かない顔をしていた。その瞳は虚ろに、光のない夜空の色を映し出す。

「くそっ……なんで僕が――」

 夜の闇よりも暗い影が、黒服のその背中に渦巻いていた。それは少年の苦悩を物語っているものなのだろうか。それとも、自分の運命を呪っているのだろうか。時々こうして独りになり、丸眼鏡の奥で自分の生まれについて考える。忌まわしい記憶の一つを、こうして辿っていくのだった。


 少年には生みの親の記憶がない。ただ一つわかっていたことは、母親に捨てられたということだった。まだ計算も教わらないほど幼かったジャックは、雨の降る空港に一人、置き去りにされた。

 親を探す術を知らず、この場がどこなのかさえもわからず立ち尽くしていたことを、少年は茫然と思い出すのだ。こうして独りになり、考え事をすることで。

 今のジャックに声をかけられる者は、団員の中で一人としていなかった。それもそのはずである――先ほど重大な役に指名をされたジャックは、女嫌いを理由に悪態をついた。



――



「今回は俳優、姫の誘拐をどちらもしてもらわなくちゃいけない団員がいる。それはアンタよ、ジャック」

団長の言葉を聞いてジャックは耳を疑った。自分が女嫌いなのに、どうしてそんな事が言えるだろう。団長もそれを知っているはずだ。この役は自分は適任ではない。

 そしてジャックのした返事は――

「いやだ」

当然その場の空気は荒れた。「どうしてジャックに?」「ジャックよりもシドの方が向いてるんじゃ」「ジャックには無理だぜ」団員たちは口々に言う。それを聞くや否や、団長ライラはジャックを諭す。

「アンタしか、姫に近づける役はいないのよ。今回の演目を考えてごらん」

 オレリアで上演予定の演目は、『少年と小鳥』という話だ。今回ジャックは、その主演の少年を演じる。ジャックはこの盗賊団の最年少。この役をできるものはジャックしかいなかった。

「“少年と小鳥”――この演目は、オレリアの王女レナ姫が大そう好んでいらっしゃる、とのことで国からのリクエストだよ。主役の少年役は、舞踏会でレナ姫の隣の席に招待されているのよ」

だからレナ姫を誘拐するのはジャックが適役、というのが団長の言い分だった。

 しかしジャックは簡単にはその言葉を受け入れる事が出来ない。蒼の瞳は冷たく、団長の方を睨む。

「僕は王女を誘拐するなんて嫌だ」

 それはまるで駄々をこねる子供のような様でしかなかった。ほかの団員は皆、これには冷や汗ものだった。この中でこんなことを言えるのは唯一ジャックだけだろう――団長ライラは生物学上の男ではあるが、普段は女言葉を使う。しかし、それにはどこか品があり、その人の味となっていた。しかも抜群の統率力で団員をまとめている事から、その人格や人柄は、尊敬はしても軽蔑するような者は決していないのだ。

 一方、団長の方は表情一つ変えずに――

「それじゃあ好きにしてもらうよ、ジャック。アンタは盗賊失格よ」

その言葉は、団からの追放を意味していた。周りの者は息を飲む。

「……やんのかやんないのか、港に着くまでに外で頭冷やして来な!」

そして厳しく、団長はジャックに言い放った。受け取り方によっては考えるチャンスを与える言葉だが、ジャックは納得いかないといった顔をしたまま、部屋を後にした。

「さて……。と、なると代案を考えないと行けないわね。演目は、変更ね」

 ――盗賊団の会議は夜更けまで終わらない。


「くそっ……なんで僕が。なんで……僕なんだ」

 盗賊団を辞めるか、辞めないか。……でも――自分にはどうしても女性に触ることができない。どうすれば、一体どうすればいいんだ……。

独り、ジャックは夜風に当たりながら、己の運命を苦悩していた。



――



 港に着くまでに、僕の決心は固まりそうにない。いや、揺らぐには到底何が起きようと不可能だ。姫を抱きかかえようとした瞬間無様な姿に成り果て、大悪人として首を刎ねられること以外想像できない。

「…………っ!?」ジャックの頭は突如として、割れるような痛みに襲われた。そこからの出来事をジャックは――自らの知る術を失った。


 お母さん! お母さん! ここはどこなの? どこに行っちゃったの? 僕のことを置いて行っちゃったの?



 僕はどうしたらいいの? お母さん。ねぇ、お母さん? どこ? どこにいるの? ――失われた意識の中で、幼き日の少年の声がする。

(僕は……どうしたらいい? また、ひとりになってどうするんだ?)

 ジャックは夢の中で、自らの人生をかえりみる――幼い頃。母親に捨てられて以来、女が嫌いになった。

 自分が女だと思う人物には、触れることも触れられることも恐ろしい。感覚でだが、半径1m以内に女の気配を感じただけで、とてつもない寒気に襲われる。

 その度に心は氷のように鋭くなり、その対象に対して嫌悪感を感じる。触れたり触れられたりすると、体中に起こるかゆみ、頭痛や吐き気などの症状に苦しむことになる。

 なにも、母親に捨てられたくらいでそこまでなるものかと、そんな風に言われた事もあった。だったらなぜ僕は、そんな風になってしまったんだろう。

 盗賊団『マスカレード』に拾われた後の苦労は、生半可なものではなかった。人を殺すような行為こそしなかったものの――今はこのことは忘れよう。思い出すだけで頭が痛くなる…………。もうこれ以上ここにいることは無理みたいだ。僕は思い出してしまった。意識を失っている最中ということを――


 目覚めたとき、少年はその場から姿を消した。



                                -第十一幕へ-

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