第九十七話 笑えるのか
ぎり一ヶ月内?
本当すみません。遅くなりました。
内心胸を撫で下ろしていると、強い視線を感じた。下がった視線を戻せば、じっとこちらを見ているグランと視線が合う。
「王とは象徴、御輿です。多くの視線にさらされ拘束され、自由などどこにもありません。
大きな権力はそのまま大きな責任を問われ、都合の悪い事は全て責任を押し付けられます。
それでも貴女の望みは叶えられますか?」
真剣な、少し強い口調で尋ねるグラン。
私の望みはセントバルナ王国の安寧。
それはまぎれも無い想い。けれど……それだけではない。本当はそれだけでない方を何よりも望んでいるなんてことは気が付いている。見たくないないけれど、心の奥底ではそれが居座り続けている事を冷静な私が理解している。
「いえ、答える必要はありません。
ただ頭の片隅にでも置いておいて欲しいのです。貴女は貴女という存在であって、その存在を貴女は自由にしていいのだと。豊かさを求めるのが人の性であるのなら、貴女にとっての豊かさを追い求める事を躊躇する必要はどこにもないのだと。
他人は所詮、他人。自分の事を決めるのは自分です。少なくとも、私はそれを否定しません」
言葉にならないが、グランが伝えようとしてくれた事は分かった。
どうしてこうもグランは望む言葉をくれるのだろうか。
昔からそうだ。グランは出会った頃から私が欲しがっていた言葉を惜しげも無くくれた。
「大丈夫です。私は、私の望みを叶えるために動いています。それは確かだから」
仮面ではなく、私自身の笑みが出る。
「杞憂でしたか」
グランは表情を緩め苦笑していた。
「ここまで話すと人によっては反感を抱かれる方もおられるでしょうから……そちらも杞憂だったみたいですね」
グランの視線を受けたティオルは相変わらず反応しない。
まぁグランの言葉ももっともだと思う。
グランの話した国の定義で考えれば、王も貴族も支配階層は望みを叶えてくれるなら誰でもかまわないと言ってしまっているようなものだ。手にした権力に固執する者であれば自分自身を否定されたかのように錯覚する者がいてもおかしくはない。
「誰彼かまわず話したわけではないのでしょう?」
「えぇそれはもちろん。
私の直属の上司にしか話していません。ですから、少し疑問なんですよね。どうしてあの方が知っていたのか……」
グランは私の教育係になる前もなった後もノランが関わっていた。表向きには財政を司る部署の一つ、農部から入り、七吏、六吏、五吏と順序よく役職を得て行き、今は財政全てを管理する財務部に所属しているが、直属の上司という言い方をするとしたら、おそらくノランただ一人だろう。直接聞いた事は無いが、グランはノランの指示を受けて動いているともっぱらの噂だ。
ノランにしか話していないという事は、そこから広まる事はないと思うのだけれど、何故かリダリオスが知っていても納得できてしまうのは不思議だ。
「さて、基本的な考えは以上になりますが、本題はここからです。
私がこれまでしてきた事というのは、ほぼ調査です」
「調査?」
「現状を知らなければ民が何を望んでいるのかも、どんな環境に居るのかも何もわかりません。
そして比較し検証するものが無ければ何をして効果があるのか客観的に判断する事は難しい」
「それは、確かにそうね」
「では最初は何から調査したと思われますか?」
最初……
私はグランの言葉を反芻した。
「食糧、住居……生活の基盤?」
「ご名答。相変わらず理解が早いですね」
前もって国が出来た理由、人が望むものを話したのだから、それだろうと思って言えば拍手が返ってきた。
茶化したり媚のそれでない純粋な称賛に、若干面映ゆくなる。私が特別頭が良いというわけでなく、誰でも少し考えればそこまで考え付くだろう。
「調査の前提となる人口と年齢割合については、改めてこちらで確認して」
「人口と、年齢?」
思わず浮かんだ疑問に、私は聞き返した。
それはそれぞれの領主から――
「国に報告済みではないのか」
私の疑問をティオルが継ぐと、グランは「そうですね。報告は確かに上がっています」と答え、続けて否定の言葉を口にした。
「けれど、それが事実であるという保証は?」
「逆に事実でなければおかしい」
それを元にして税も定められたりしている。それが違うとなれば体制として成立していない。
そういう意味を込めてティオルは言ったのだろうが、グランは首を横に振った。
「それは組織ありきの視点です。
実際には、間引きされる子は報告されません。それに余所から流れてきた者もほとんど報告されない。小さな集落であればそれもまだ分かりますから確認している領主の方も居ますが、規模の大きな街となってくると決まった手順で上がる報告で実数を掴むのは非常に難しい」
「間引き……セントバルナは近年豊作とまでいかないまでも不作ではなかったはずです。それに食糧不足という話は聞きませんが」
「間引きは必ずしも貧しさから起こるものではありません。例えば、生活水準を保つためにも行われています」
……つまり、本当に飢えてどうしようもなく、というのではなく………
ティオルを見やれば、表情に変化はないが心なし不機嫌そうに見えた。
「その辺りの意識については地域別なのでまたの機会にしましょう」
正直、詳しく聞きたいところではあるがそれを繰り返しているときっと話があちこちに飛んでしまうのだろう。
私は頭に留め後程確認する事にして、続きを促した。
「生活環境の中で最重要は水です。その確保方法と管理について、農耕に使用する農業用水と生活に使用する生活用水、あとは下水とわけて調査しました」
「用途別ですか?」
「えぇ、用途別です。必要となる処理が違いますからね。
農村部ではその辺りの管理は厳しいですが、都市部になってくると少々異なります。人が密集する場所はどうも下水の管理が追いつかない傾向にあります」
「土地が持つ自浄作用以上のものが発生するので仕方がないといえば仕方ないんですけどね」と言って、小さく苦笑を浮かべるグラン。
「じじょー、作用? とは何です?」
「あぁそうか……自浄という言葉も今はあまり使われていませんでした。
意味は自然に汚濁が取り除かれ、きれいになる働き、と言えばよいでしょうか。
例えば河川などが汚濁された場合、時間の経過にともなって元の清澄な水域にもどる現象です。その働きの因子はいくつかありますが、土地によって限界がありそれを超えると生活環境に跳ね返ってくる場合があります。
せっかく下水という概念があるのですが……その処理というのはそこまで重要視されていないのです。とても不思議な事に」
「不思議?」
「下水の目的は何でしょう」
「それは……」
言いかけて、言い淀んでしまった。
汚いからという単純な理由をここで口にするのは何かが違う気がした。
「衛生管理。感染病防止」
迷い口を閉ざした私を置いて、ティオルが言った。
「エフさんはどこでそれをお知りになられたのです?」
「知っている者は知っている」
淀みない返答に「なるほど」と呟くグラン。
「おっしゃる通り、それが目的です。ですので、下水はきっちりと処理まで管理しなければ意味がありません。セントバルナでは国土面積に対する生活面積が他国に比べて高いので、余所よりも神経質にならなければならない所なのです。
ですが、その意識が薄い。そこまで考えるのが普通だと思うのですが、不思議な事に王都や北東、南西の都市ではそれを疑問に思う者が居ないようでした。南東では、完璧でしたが」
南東……と言ったら女侯爵、サイリス侯爵の辺りだろうか。
そういえばティオルの家、エバース家はサイリス侯爵と南西のサーハルト侯爵の間に位置する。
サイリス側の影響を受けて、という事なのかもしれない。
ティオルの顔を伺えば、笑っていた。
……わ、笑ってる!?
純粋に興味を抱いたというような顔をして、笑っていた。
驚きは何とか仮面の下に隠したものの、驚き過ぎてたっぷり三秒程凝視してしまった。