第五十四話 押しても引いても駄目なら撒いてみよう
うっすらと花の香りがする。
小さな黄色い花で、淡く香るそれは子供の時によく摘んで帰った。
母さんに見せると『取り過ぎちゃ駄目よ』と言いながら嬉しそうに受け取ってくれて、それを見たくて花が咲いているところを探して回っていた。
「………カルマ……?」
「おや、目が覚めましたか」
パタンと本が閉じる音。
首を横に向ければ、枕元に小さな黄色い花。そして椅子に腰かけこちらを見ている栗色の髪の男。
こころなしか楽しげな様子だった。
起き上がろうとすると、身体が重く『あぁいつものか』と納得した。
納得したが、その事で分からなくなった。
「………カルマ、僕はどうやってここへ?」
「目覚めて一言目がそれですか? 治療した私への感謝とかないのでしょうか?」
「それは感謝していますが……」
災厄の種に祈りを捧げた後は、いつもこうなってしまう。
その度にカルマの世話になっていて、感謝してもしきれない。
「そろそろ魔力を使うのを諦めたらどうです? 焼石に水なのは分かっているでしょう」
「もう染みついてしまいましたから……」
「でもそれだと今回のような場合は危険ですよ? 囚われた者の侵食を防いだり、関係を断ち切ったり、どれだけ力を使ったんです」
もう過去を見たのか。
鈍の民の先祖がえりであろうカルマは触れたモノの過去を見る事が出来る。
その力がなければ今こういう関係にもならなかっただろうけれど、時々それで小言を言われてしまう。
手を握ったり開いたりして力の入り具合を確認していると、顔を大きな手で挟まれ強制的にカルマの方を向かさせられた。
「聞いてます? 人の話」
「はい」
「じゃあ今後、今回のような事が起きた場合はどうする気ですか」
「最低限、意識が残るようにします」
「………それは、私がついていっても良いという事ですね?」
意外と真面目な顔をして言われた。
こんな人物だっただろうかと内心首を傾げつつ、僕は決まった答えを口にした。
「それは無理です」
「駄目ではなく、無理ですか……」
僕が頷くと、カルマは手を放し思案するように顎にあてた。
駄目と言ったところで従うような人ではないと分かっている。
知識欲からだけではなく、僕の身を案じているのは分かるけれどそればかりは出来ようもない。
幸い、カルマが見れるのは過去であって未来ではない。僕の行先に見当を付ける事が出来たとしても遭遇する事は無い。どれだけ彼が魔術に長けていようと、それと同じ事を僕も出来るのだから。
「では、あの青年はどうです?」
「青年?」
「あなたをここまで運んできた青年です。キルミヤ・パージェス君」
「……ここ、まで?」
確かに彼はあの場に居たが、でもカルマの話はしていない。
そもそもどうして彼がという疑問が沸きあがった。
「すごかったですねぇ。あなたを抱えて走天でここまで飛んできて、死ぬんじゃないかって顔をしていましたが治療もきっちり手伝ってくださいましたよ」
「え……」
彼は魔力を封じられたまま。
魔力が使えない状態で魔術を使えば生命力が消費される。走天は間違いなく魔術で、それを彼が理解出来ていないわけがない。結界も出していた水も魔術ではなく魔導をつかっていた事から明らかだ。何故そちらを使わなかった――と思ったところで僕は理解した。
あの辺りの精霊の力は全て僕が搾取した。彼が張った結界もそのせいで壊れ、精霊の力を使う術は何一つ反応しなかっただろう。だから、魔術を。
「何で僕なんか……」
「随分と親しい間柄のように見えましたよ? 彼の封印も一つ解いてあげたのでしょう?」
「それは……」
「それに、どうやら『白の宝玉』が頼んだようです」
…………。
「…………え……え?」
聞き間違えたのかと僕は思った。
けれど、カルマはもう一度同じ言葉を口にした。『白の宝玉が頼んだようだ』と。
僕は反射的に胸に手を重ねた。
意識があるなら誰か返事をして!
「あなたの意識が完全に無くなって出てきました。黒い影のような人型です」
込めた思いはどれだけだったか。少なくともカルマの言葉は耳に入らなかった。
瞬きする事も忘れ、無心に呼びかけ続けたけれど、応えは無かった。
それでも諦めきれず手を重ねたままの僕に、カルマは呆れたように息を吐いた。
「ですから、あの青年を連れてはどうです?」
キルミヤの話に、意識がそちらへと向く。それを追うように視線を巡らせば完全に呆れきった顔があった。
「最初からそのつもりだったのでしょう?」
「……なにを」
「だって、ねぇ? あの青年、緑の民の血を引いているでしょう? あなたが喉から手が出る程欲しい」
欲しい……なんて、思った事はない。
「出会って間もないというのに、古の民の話まで出して。何も知らない者に語るなど、あれはもう禁則事項でしょう。そうまでして引き入れたかったのではないのですか」
「違います。彼には穏やかに生きて欲しいから」
「だから彼が持っている力がどんなものなのかを自覚させたかった?」
改めて言われると身勝手な言い分だなと思う。
けれど、それでもそうしてしまった。そうしたかった。
「それで力を知って、それを振るいたいと思う相手だったらどうしていました?」
「それはないと思います」
「自分の目に間違いないと?」
「彼は緑の民特有の穏やかな気質です」
何を言われても何をされても、道化じみた振る舞いをする事はあったけれど、あの目はいつも穏やかで、少し哀しげだった。あの人みたいに。
彼が自らその力を披露し、売り込むような真似はしないだろう。それは確信を持って言える。
そう思っていると、唐突にカルマがくっと喉を震わせて笑った。
「穏やか。なるほど穏やかですか。
穏やかな緑の民は、何故か同族の者を殺そうとしているみたいですけれどね?」
同族を? いや、その前に緑の民は滅んでいるのか生き残っているのかさえ分からない。現在古の民で固有種が確認出来たのは白の民だけのはず。
「………どういうことですか」
「もう察しているんじゃないんですか?」
関連の無い話を私はしませんし、あなたも私が無駄な事をしないとご存知でしょう?
首を傾げるカルマに、僕はまさかという思いで尋ねた。
「あの封印、二つ目を掛けたのは……」
「ええ。そのようです。おまけに、パージェス領内から一歩でも出れば命は無いと言われたようで、どうして今無事なのか大変興味深い状況にあります」
「え……え!? あ…の、それ、緑の民が? 緑の民がそう言ったのですか!?」
狼狽える僕に、カルマは軽く頷いた。
「間違いなく」
「……………信じられない」
あの緑の民がそんな事を言うなんて思ってもみなかった。
もし緑の民がまだ残っているのなら、キルミヤの事も助けてくれるかもしれないのにとさえ思っていたのに、逆に命を狙うなんて……
「どうして無事だったのか――暇だったので考えてみたのですが、彼はパージェスから学院まで兄君の従卒に引っ張られて来ています。パージェスから出た事など緑の民であれば直ぐに察知しているでしょうから、この移動中に襲われなかったのも不思議です。学院についてからはあなたが仲良さそうにしていましたから手を出すのを躊躇ったとも考えられますが……ひょっとすると人目に付く事を厭っているのかもしれません。今さら表舞台へ出ようとする者はいないでしょうから、その線が濃厚ですね。
しかし、そうなると今後はあちらにとって都合の良い状況でしょう」
「都合の良い?」
半ば戸惑いから脱しきれずに問い返すと、カルマは彼独特の楽しげな笑みを浮かべて頷いた。
「彼、一人で行ってしまいましたから」