序曲 舌封刑
「この者を舌封刑に処す!」
真昼の日差しが照り付ける広場に、この地の領主でもある裁判長の野太い声が響いた。
見世物となっている処刑場には、多くの領民と少しの旅人たちが集まっている。興味深げに目を輝かせる商人、厭いた眼の老いた農夫、固唾を呑んで見守る貧しい少女。彼らに取り囲まれ、木の杭と縄で隔てられた中央には、被告人——吟遊詩人が衛兵に背後に繋がれた腕を掴まれ、膝立ちにさせられている。
「オグと名乗る浮浪者は、虚偽と詐術により、領地を混乱させた大罪人」
犯罪者呼ばわりされているというのに、顔は少しも俯いていない。つぎはぎのある粗末な外套を羽織っているが、土埃でくすんでいるはずの髪は遠目でも砂金のように輝いている。少し垂れ下がった眼尻にはどことなく色気があり、正面の領主を見据える蒼い瞳は、不思議と澄んでいた。
「我らの血と汗の銀貨を奪っ損害を補填させるため、奴隷とする」
損害を受けたのは領民ではなくお前の財布だろ、とオグは内心毒づいた。
一段高い所にいる領主は肥え太り、誂えられたらしいリネンの衣服は、腹の真鍮のボタンがはち切れそうだ。
この男、こう見えてオグが持ち掛けた架空の埋蔵金話を信じ、偽の地図と金属探知が載った魔法書を高値で買いとった、少年のように純真な心がある。本来なら国に報告すべきなのに、利益を独り占めしようとする欲深な心も持ち合わせているが。
「全ては貴様の口から始まったこと。もはやその舌は災いを招くばかり。故にその口を封じ、永遠に沈黙させる。汝の舌に封印を刻み、一生、語ることを禁ず」
「舌封刑なんて珍しいな」
オグを拘束する衛兵の一人が小声で呟いた。
人が話す言葉というのは、喉奥の声帯で振動させた音を口の腔内で変化させた音の羅列だ。舌が位置や形状を変えることで様々な母音や子音が生まれる。舌封刑というのは、重要な発音器官である舌に、音の発生を阻害する魔法印を刻む。すると刻まれた者は一生言葉を発することができなくなってしまう。
言うまでもなく、犯罪者に複雑で貴重な魔法を使ってやるより、犯罪者の生命を奪ったほうが早い。
「詐欺師ならしばり首だろ」
命が助かるだけ良いと思えば良いのかもしれない。しかし、対人のコミュニケーションが阻害される厳しい罰。さらにオグにとっては……一本弦によって叙事詩を語る吟遊詩人にとって、その罰は翼を捥がれる鳥も同じ。存在意義を奪われ、この先どうやって生きていけばよいのか。
「損害を少しでも補填させるためかもな。可愛い顔をしているから」
もう一人の衛兵は、無遠慮にオグの尻を一撫でした。
そういう性癖が世にあるのは知っているが、生憎自分にそんな趣味はない。唾を吐いてやりたかったが、猿轡をされているので無理だった。裁判中、あまりに聴衆を攪乱させるような証言をするので、途中から物理的に口を封じられたのであった。
皮肉なことに、猿轡は彼の舌を守る最後の砦でもあった。
焼き鏝が、傍らの炉の中で赤く輝くのが、誰の目にも見えている。領主の合図で猿轡が外された。
「何か言い残すことは?」
泣き喚いて慈悲を乞うことでも期待したのか、せいいっぱい慈悲深い顔を作った領主が問いかけた。
オグはその大根役者っぷりを薄っすらと笑った後、大業にため息をついた。
「あ~あ。価値がわからない奴らばかりで残念だ。この舌があれば、国を一つ亡ぼせるのに」
とんでもない大口だ。嘘をついてこうして刑にかけられようというのに、失敗から何も学んでいない。オグは自分でも嗤ってしまった。
「この偽りだらけの舌を焼け!」
領主が唾を飛ばしながら真っ赤な顔で木槌を振り下ろす。
どうやら、さっきの発言が生涯最後の言葉になりそうだ。衛兵たちがオグを石台に押し倒す。
顔を背けようとしたが、その程度の抵抗、ないも同じ。頭を押さえつけられ、口を閉じないよう木の棒をつっこまれ、えずく。しかし衛兵はお構いなしに馬乗りになり、食いしばる歯をこじ開け、舌を引っ張り出す。
赤熱した刻印が炉から取り出され、じわりと空気を焦がす。観衆の中には息を呑む者もいた。焦げた鉄の匂いがする。真っ赤に輝く焼き鏝が近づいてくる。聴衆たちの中には目を背けるもの、逆にもっと見ようと身を乗り出すもの、様々いたが、誰もがこの吟遊詩人の命運は尽きた、と思っていた。
「面白いわ」
鈴の如き可憐な声が刑場を震わせた。
数秒後、オグの低くなった視界に丸太のような二本の足首が着地した。
震える瞼を持ち上げれば、背丈は二メートルをゆうに超えるであろう、ガーゴイルのように厳つい人間がそこにいた。服の下に着込んだ鎖帷子の音、腰に差した剣が、その人物が兵であることを示していた。
「なんだお前!」
衛兵たちが突き出す鉄の槍を、飴細工のように片腕でへにょりと曲げる。
だが人々の視線を奪ったのは、その逞しい兵ではなかった。
その隆々とした肩に、まるで大木にかけるが如く軽やかに腰を下ろす、一人の女。
彼女は額に手をかけ、薄汚れた頭巾を下した。途端に、アプリコット色の豊かな髪が広がった。夕陽さえ呑み込みそうな円環は、風にそよぐたびに絹の波紋を描く。十代だろうか、少女から淑女へと変わるあわいを感じさせる可愛らしい容貌に、近くの衛兵が息を飲む音が聞こえた。
「なんだお前は!」
「なんだとはなんですの? この国で、わたくしに向かってそのような口を利くとは」
お淑やかな物言いとは裏腹に、その声は高慢さを秘め、場を支配する。
「わたくしのご尊顔に見覚えはありませんの?」
女は、キッと卵の先のように尖った顎を上げる。
「馬鹿な……そんなまさか!」
その面相を見定めていた領主は目を見開き、狼狽えて後ずさる。
「このような場にお越しとは、存じ上げず……!」
領地で一番偉いはずの男がへりくだる。聴衆たちはその様子を訝しがり、どよめきが交差する。
「この方の身柄はわたくしが預かりますわ」
ようやく話が通じるようになったと、女は明るい声で宣言した。
「しかし奴は債務のため奴隷となり……」
「では彼の料金を、わたくしがお支払いします。これで彼のの身柄はわたくしのものです。異存は御座いませんね?」
「しかし……」
自分に損害を与えた人物を何としても自分の手で罰したい。言いよどむ領主に、少女は困ったように淡く微笑んだ。
「まあ! わたくしの気の短さは周知のことかと思っていましたが、とんだ自惚れでしたわね。わたくしに逆らった者がどうなったか、あなたの身で再現して差し上げてもよろしくってよ?」
「滅相もございません!」
領主が泡を食って地に擦らんばかりに頭を下げた。いつの間にか衛兵も遠巻きにしている。巨大な兵は屈みこみ、被告人の口から拘束具を外し、手首の縄を切った。
自由の身になったというのにオグは起き上がりもせず、ぽかんと女を見上げている。
「えっと、お嬢さん、どちら様?」
「あらごめんなさい、初対面でしたわね」
女は巨身の兵の肩からすとん着地すると、ドレスの裾を掴んでお辞儀をした。
「この国の最高権力者をしております、イストバンネと申しますわ。以後、お見知りおきを」




