第二十章 恩人
意識を取り戻した浦辺は、そのまま両目を開けずにいた。得体の知れない巨大ななにかが、すぐそばに迫っている気配を感じたからだ。
それは浦辺に近寄ると、ニオイを嗅ぐように鼻を鳴らした。
(打ち首よりも魔物のエサにする気になったのかな?)
それならひと思いに食ってくれ、と浦辺は投げやりになった。どうあがいたところで、魔物には勝ち目がないと踏ん切りが付いていたからだ。
そんな彼の顔に、強い熱風が勢いよく噴きかかった。
〈いつまで気を失ってるフリをするつもり? いいから、早く起きなさい〉
聞き覚えのある声に浦辺はハッと目を開いた。
巨像のように佇む瑠璃色のドラゴンの顔が目の前にあった。
「…リヴィア?」
〈あら、ちゃんと名前で呼んでくれたわね。てっきり、最初に会ったときみたいに驚かれると思っていたんだけど〉
「…なんでキミがここに?」
〈そんなことより、みんなを心配させたまま起きないなんて罪な人ね〉
と、リヴィアは仕方なさそうにため息を吐いた。
浦辺が体を起こすと、彼の周りをイザベラとテオ、そしてルミウスたちグリフォンが取り囲んでいた。
浦辺が目を覚まして真っ先に喜んだのはテオだった。
テオは浦辺に近寄ると、容赦ない頬ずりを始めた。
「大丈夫だったか、テオ?」
浦辺が聞くと、テオは元気そうに頷いた。
〈父さんが治癒魔法をしてくれたからもうすっかり元気だよ。それと、ウラベの傷はボクが治したんだ。どこも痛くないでしょ?〉
テオに言われて、浦辺は気を失う前に体の節々に走っていた痛みが和らいでいることに気付いた。騎士との格闘でダメージを受けたり、後頭部を強打されたりしたのは夢だったのではと思えるほど、体の状態はすこぶるよかった。
〈ウラベの傷は自分が癒すと聞かなかったんだ。私がやろうとしたが、どうしてもやると言ってね〉
と、ルミウスは苦笑した。
「そうだったのか。テオ、ありがとう」
と、浦辺は感謝を込めてテオの頭を撫でた。
〈えへへ〉
褒められたテオは無邪気な子どものように笑った。
それを見て本当にもう大丈夫なんだな、と浦辺は安心した。
「…ところで、ロディルたちは?」
浦辺は立ち上がると、里の周辺を見回した。いつの間にか、ロディルたち騎士団の姿は消えていた。
「オスニエルへ引き上げて行きました。間一髪だったんですよ」
イザベラが言うとルミウスも頷いた。
〈私の結界魔法も時間経過でほとんど効力を失っていたから、リヴィアが現れるのがもう少し遅かったら間違いなくキミは首をはねられていただろう〉
「それじゃあ、気絶する前に聞いた鳴き声は…」
〈そう、私よ。ウラベに渡したい物があって里に向かっていたら、騎士たちと睨み合っているあなたたちが見えてビックリしたのよ。しかも、今にもあなたが殺される寸前だったからもなおさら驚いてしまったわ。なにが起きてるのか事情はまったく掴めなかったけど、あなたが殺されるのを見過ごせなくて私はとっさに吠えたの。里に降り立った私を見たときの騎士たちの顔ときたら、あなたにも見せてやりたかったわ〉
と、リヴィアはそのときを思い出してクスリとした。
聞くところによると、ドラゴンのリヴィアが突然現れたことでロディルたち憲兵騎士団は揃って驚愕し、ウラベを殺せと命じられたロイスは剣を落として腰を抜かしてしまったという。
リヴィアはあえて敵意をむき出さず、ドラゴンとしての威厳に満ちたオーラをひしひしと漂わせてロディルたちを牽制すると、浦辺たちを解放しろと彼らに言い放った。
怯んだロディルは、グリフォンたちに拘束魔法をかけているレインに向かって、今度はリヴィアの動きを封じるように命じた。
しかし、牙を剥いたリヴィアが口の端からわずかに炎をちらつかせると、彼はなにも出来ないまま銅像のように硬直してしまったという。
旗色が悪くなったと悟った途端、ロディルは苦虫を噛み潰したような表情で騎士たちを連れ引き上げて行ったという。
〈それにしてもあのロディルとかいう騎士団のまとめ役ったら、この私に魔導士ごときの魔法が効くと本気で思っていたのかしら? 曲がりなりにもドラゴンの私に向かって拘束魔法をかけろだなんて、魔物への知識の乏しさを自ら露呈させていておかしかったわ〉
〈それだけ狼狽えていたということだろう。まさか、ドラゴンが助っ人として現れるとは彼らも思わなかっただろうから〉
〈私はウラベに渡したい物があっただけで、別に助っ人に来たわけじゃないわ。…それはそうと感謝しなさいよね、ウラベ。彼がさっき言ったみたいに、私が後一歩遅かったらあなたは殺されていたかもしれないんだから。二度も私に助けられてさぞ僥倖に恵まれてるとお思いでしょうけどーー〉
「分かってるよ」
〈え?〉
「キミが助けに来てくれなかったら、ボクはロディルたちに殺されていた。リヴィアのおかげでボクは命拾いしたんだから、感謝しているよ。本当にありがとう」
と、浦辺は笑顔で礼を言った。
〈…どういたしまして〉
リヴィアは照れ臭そうに顔を背けたが、巨大な尻尾は嬉しそうにユラユラと揺れていた。
その様子を見て、ルミウスはフッと笑った。
その後、リヴィアは浦辺に渡すつもりで持って来た布地の衣類とズボンを差し出した。故郷であるヴァンハルト王国の服屋で見付けた物らしく、不自然な身なりで目立つ浦辺に気を使って購入した物らしい。
リヴィアが翼で作った囲いの中で浦辺は着替えた。
シャツとズボンもサイズはピッタリとフィットしており、初めて着用する異世界の衣類ながら浦辺は着心地のよさに満足した。
〈どう? 気に入ったかしら〉
「うん。カジュアルで着心地もいいし動きやすいから、むしろ普段着より満足だよ」
〈それはよかったわ。あなたが着ていた服だけど、元の世界に戻るまでは私が預かっておいてあげるわ。戻るときになったら、私に教えてちょうだいね〉
「なにからなにまで感謝するよ。ただ、服のお金だけど…」
と、遠慮がちに言う浦辺をリヴィアは笑って遮った。
〈無一文のあなたに請求なんてしないわよ。私からの贈り物だから気にしないで受け取ってちょうだい。その代わり、近いうちに異世界の話を詳しく聞かせてよね。丁度、明日から兄たちと交代勤務で私はしばらくお休みだから、時間が出来たらここにお邪魔するわ。構わないでしょう?〉
と、リヴィアはルミウスに聞いた。
〈キミはウラベの命の恩人なんだから、もちろん構わないさ。いつでも遊びに来るといい〉
〈それを聞いて安心したわ。…それじゃあ、最後の一仕事が残ってるからそろそろ行かなくっちゃ。それじゃあね〉
「リヴィアさん、ありがとうございました」
〈ありがとう、ドラゴンさん!〉
お礼を言ったイザベラとテオにリヴィアはニッと笑みを向けてから、大きな翼をはばたかせて空高く舞い上がった。
〈まさかドラゴンに助けられる日が来るとは思いもしませんでしたね〉
と、一頭のグリフォンがルミウスに言った。
〈人間と魔物、異なる種族が労わり合っている世の中なのだから、魔物同士で助け合うのもあってしかりだろう。それでも、貴重な体験をした気分だ〉
どんどん小さくなっていくリヴィアを眺めたままルミウスはつぶやいた。
そのとき、テオがルミウスのそばに歩み寄った。
〈どうした、テオ?〉
〈父さん。さっきの怖い人たち、どうしてボクたちを連れて行こうとしたの? 赤い髪の男が『けがらわしい魔物』とかって言ってたけど、あの人たちは魔物が嫌いなの? 人と魔物が仲良く一緒に暮らしているんじゃなかったの?〉
〈それは…〉
と、ルミウスは口ごもってからイザベラを見た。
イザベラがコクリと頷いたのを見たルミウスは意を決すると、テオには隠していた事情を正直に打ち明けることにした。魔物を未だに邪悪な存在として疎ましく思っているグリンメル王国のこと、共存社会が実現した今でも魔物を脅威と見て恐れている人間が少なからずいることをである。
〈…そんなのウソだ〉
聞き終えたテオの口から発せられた第一声はそれだった。
〈認めたくない気持ちは分かるが、それが真実なんだ。この世界は広い。言うまでもなく、グリンメル王国と同じく今でも魔物を恐れ憎む人間は必ずいるんだ〉
ルミウスは優しく諭したが、テオは何度も首を横に振った。
〈ボクはそんなの、絶対に認めない。ね、母さん。母さんも、父さんの話は信じないでしょ?〉
と、テオは母親に期待の眼差しを向けて近寄った。
そんな彼を、イザベラは身を屈めてそっと抱き寄せた。
それが、認めたくない答えを表しているとテオは悟った。
抱き締める母親の肩に顎を乗せながら、テオは呆然とした。
ふと、彼はあることを思い立った。
しかし、テオはそれを誰にも打ち明けず自身の胸中にとどめた。




