第1話:本日も不採用
靴底に穴が空いている。 濡れた石畳を歩くたびに冷たい水が入ってきて、足の感覚がもうほとんどない。
今朝、父はキッチンで今にも泣きそうな顔をしていた。
「頼むからミナ、今日は大人しく『はい』って言うんだぞ。相手の言葉遣いなんて直すなよ。うちには金がないんだからな」
分かってる。分かってるってば。 ハートウェル家は名ばかりの貧乏男爵で、明日のパンすら危うい状態なのだ。
今日の面接は、織物商会の事務員。 支配人の太った男――ギュンター氏は、私の履歴書をつまらなそうに眺めていた。
「へえ、帝国語ができるのかね」 「はい。祖父が生前、教えてくれました」
ここまでは順調だった。 愛想笑いも完璧。あとは頭を下げていれば採用されるはずだった。
余計なことをしたのは、彼の方だ。
「これを見てみたまえ」 ギュンター氏は机の上に、金ピカの額縁をどんと置いた。
「先週、金貨二十枚で買ったんだ。帝国の貴族が我が商会の生地を絶賛してくれた推薦状だよ。すごいだろう?」
見なければよかった。 本当に、見なきゃよかったのだ。
その手紙は、信じられないくらい雑な偽物だった。 まず、『絹』のスペルが間違っていて、これじゃただの『雑巾』だ。
おまけに内容は推薦状どころか、「シラミ持ちの疑いがあるため、倉庫街への立ち入りを禁ずる」という国境警備隊の警告文だった。
深呼吸、深呼吸。 家の借金を思い出しなさい、ミナ。 黙ってなさい。 ただニコニコしていればいいの。
「どうだね、ミス・ハートウェル。素晴らしい文書だろう?」 得意げな顔で聞いてくるギュンター氏。
我慢しようとした。神に誓って我慢しようとした。 でも、私の口が勝手に動いてしまったのだ。
「……これ、金貨二十枚もしたんですか?」 「ああ、そうだが?」
「これ、褒め言葉じゃないですよ。衛生管理の警告文です。『害虫を持ち込むな』って書いてあります。ついでに言うと、句読点の打ち方もめちゃくちゃです」
ギュンター氏が固まった。 まばたきを二、三回して、顔がみるみるうちに真っ赤になっていく。
「な……んだと!?」
「完全に騙されてますね」 もうどうにでもなれと思って、私は続けた。 「最後のサインなんて、インクをこぼして指でこすっただけに見えますし」
二分後。 私は商会の前の水たまりに、見事なお尻餅をついていた。 放り投げられた鞄から、履歴書が泥の中に散らばる。
バタンッ! と扉が壊れそうな音を立てて閉まった。 「二度と来るな、この無礼者が!!」
雨が強くなってきた。 濡れた靴を見つめながら、私はぼんやりとその場に座り込んでいた。
「……お父様、ごめんなさい。ダメだった」
ため息をついて立ち上がり、泥を払って歩き出す。
これで今週五回目の不採用。理由は全部同じだ。間違った外国語を見過ごすことができない。自分でも嫌になるくらいの悪癖だった。
帰り道、橋のたもとにある掲示板の前で足が止まった。 雨除けの屋根の下、見慣れない紙が貼られている。上部には、ヴァルトマルク帝国の鷲の紋章。
【急募:帝国大使館員】 ・職種:通訳および雑務 ・条件:帝国語の読み書き、会話が正確にできること
・特記事項:オウレル全権大使の専属業務となります。(怒鳴られても平気な方のみご応募ください)
・給与:日払い、現金支給
立ち止まって、三回読み返した。 オウレル大使。 王都では有名な男だ。今月だけで何人も通訳を「使い物にならない」とクビにしたという、気難しくて冷酷な歩く氷山。
誰も行きたがらない職場だ。
私は自分の穴の空いた靴を見た。 それから、もう一度「日払い・現金支給」の文字を見る。
「……まあ」 冷たい雨を手の甲で拭った。 「怒鳴られるくらい、飢え死にするよりはずっとマシよね」
明日の朝、行ってみよう。




