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勝手なモンだよなァ、人間ってのは

「ここでもう四件目よ? 本当にこの辺りにいるの?」

 マモンに教えてもらった飲食店を巡り、リリの言うバブちゃんという人物をアタシたちは探していた。ライブハウスを出て通りを一つ挟んだラーメン屋、その向かいの居酒屋、スイーツ専門店、牛丼チェーン店ともう既に四件巡っているが一向に見つからない。

「でもマモマモが言うには、この時間帯はここら辺にいることが多いらしいんだよねー」

「大体、何で飲食店ばかりなのよ」

「バブちゃん、食べるの大好きだから」

 そう言いながら歩いていると、マモンに教えてもらった個人営業の中華料理店に辿り着く。もうここまで来たらいないんじゃないかと思いながら、アタシはリリの後を付いていった。リリが店の扉を開ける。

你好(ニーハオ)! 二人? 好きなトコ座っていいヨ!」

 扉を開けるなり厨房で大きな中華鍋を振るう店主に声を掛けられる。店内は日本語と中国語がごちゃ混ぜに飛び交っており、強火に油が弾ける音と本格中華料理の匂いがアタシの食欲を唆った。時刻は既に夜の十九時半を過ぎている。そりゃあ腹も減るわけだ。

「ねぇリリ、一旦ここで何か食べない? アタシお腹すいたわ」

「えー、でも……まぁリリもお腹すいたし、いーよー」

「タオちゃん! お客サンに水出して!」

知道了(はいはい)

 アタシたちが適当に空いているカウンター席に座ると、丸眼鏡をした二十歳前後に見える少女が店主に言われ、気怠そうにアタシたちの元に水を運んできてくれた。

「注文、決まったら呼んで」

 そう言って彼女は店の奥へ戻っていってしまう。店主や酔った客とずっと中国語で何かを話しており、彼らにとって彼女はこの店の看板娘的な存在なんだろうなと思う。それにしても、アタシたちのような日本語を話す客へは流暢な日本語で会話していて、日本語が上手だと感心した。アタシの母国語は英語だが、日本語を覚えるのには中々苦労した憶えがある。

「エバちゃん何食べるー?」

 アタシはリリが開くメニューを見ながら、そういえば本格的な中華料理って食べたこと無かったなと思い出す。中華料理というとひたすら辛いイメージがあるが、どうなんだろう。

「水餃子とか美味しそうね」

「リリ、炒飯にするー。半分こしよー」

「アタシは水餃子と……小籠包? 初めて見るものね。これにしようかしら」

「エバちゃん小籠包知らないの?」

「ええ。……何かしら」

 リリが嘘でしょ?と言いたげな顔で見てくる。母国で食べる機会が無かったんだから仕方ないだろう。

「エバちゃん。初めての小籠包なら気を付けたほうが良いよ」

 深刻そうなリリの顔を見て、アタシはもしかしてとても辛い食べ物なのかと推察する。リリが表情を変えずに言った。

「めっちゃ美味しいから」

「あ、美味しいのね」

「あとめっちゃ熱い。一口でいったら余裕で死ぬ」

「き、気をつけるわ……」

「……注文、決まった?」

 先程の眼鏡の少女が声を掛けてくる。アタシたちは炒飯と水餃子、それから小籠包を注文し、ついでにリリが探しているバブちゃんのことを彼女に問うた。

「あと、この人知りませんかー? あぁでも、しばらく会ってないからちょっと見た目違うかも」

 リリがスマホで表示した写真を見て彼女が目を細める。しばらく見てから厨房の店主と何やら会話をし、「それ、パパに見せて」と店主を指さした。

「この人を探してるんですー」

 店主は一旦鍋を振るう手を止め、写真を見ると「その人、いつも来るヨ! もうすぐ来る時間ネ!」

「あ、本当ですかー? ありがとうございまーす」

 リリが返事をすると、店主はまた鍋を振るい出しつつ「その人、友達?」とリリに訊く。リリが「友達でーす」と笑顔で返すと、店主は「友達、大切! 友達と食べるは美味しいヨ〜」と何やら上機嫌で料理へと戻っていった。

「そのおにーさん、おねーさんたちの友達なのね」

 そう訊く少女にリリが「そだよー」と軽く返事をする。少女が奥にある大きめのテーブルを眺めて言った。

「そのおにーさん、良い人だからこの店来る人みんな好き。この前も酔っ払い宥めて、最後には皆で一緒に呑んでた」

「あー、バブちゃんらしいね」

「もうすぐ来ると思うから、食べながら待ってて」

「はーい」

 少女が厨房の店主にアタシたちの注文を言いつけ、他の席の空いた皿を運びながら厨房の方へと戻っていく。アタシはリリに「その探してる人、何者なの?」と問うた。

「バブちゃんは皆とご飯食べるのが好きなだけの子だよ。言葉は乱暴だけど、ちょー優しいの」

「悪魔、よね?」

「エバちゃん、リリの知り合いが全員悪魔だと思ってる?」

「違うの?」

「まぁバブちゃんも悪魔だけどね?」

 やっぱり悪魔か……。アタシは頭を抱えた。果たしてこの任務の間に、アタシはどれだけの悪魔と会えば良いのだろうか。それに出てくるのは位の高い悪魔ばかりで、あぁもう胃が痛くなってきた。

「よォ大将! 今日も食いに来たぜェ」

「你好! ……お! オニーサン今日お友達いるヨ!」

 アタシがため息をついていると、店の扉が開かれて若い男の声がする。迎える店主は知り合いに言うような親しみを込めた声で言った。

「ア? 友達(ダチ)?」

 見るとそこには派手な柄シャツと黒いスキニーパンツに身を包んだ、紫色の長髪とサングラスが目立つ男が立っていた。

「あ、やっほーバブちゃん。久しぶり」

「……ンでテメェがここにいんだよ、リリ」

 男がリリを睨みつける。対するリリは笑顔で「まぁまぁ、座りなって」と自身の隣の席を指で軽く叩いた。

「おにーさん、食べるなら早く座って」

 明らかに酒が入った色のグラスを持った少女に言われ、男は「お嬢、奥とか空いてねェか?」と訊く。が、少女に「? ……友達なんでしょ? 隣に座りなよ」と言われると諦めたように「わァったよ……ったく」と大人しくリリの隣に座った。

「ハイこれ、いつもの紹興酒ね。おにーさん、今日は何食べる?」

 少女がグラスを置くや否や、すぐさまその中の酒を飲み干してはメニューも見ずに「天津飯、炒飯、麻婆豆腐丼、海鮮あんかけ焼きそば、炸醤麺(じゃーじゃーめん)、全部大盛り。あと単品で回鍋肉と油淋鶏。酒も追加で頼むわ」とその細身からは想像もできない量を注文する。それを聞いていた少女はまるでいつものことと言うように手元のメモに書きつけ、「酒はまた紹興酒? どうせ飲みきるなら瓶ごとでいい?」と問う。

「ああ、それで頼むわ。お嬢」

「ん」

 短い返事をして書き終えると、少女は店主に注文を言いつけながら厨房へと戻った。リリと男の間に沈黙が生まれる。アタシは気まずいなと思いながら料理が運ばれてくるのを待った。

「ハイ、小籠包と水餃子。炒飯もう少し待って。……おにーさん、酒」

 アタシとリリの間に見るからに熱そうな水餃子の皿と小さな蒸し籠が置かれる。隣の男の前には大きな酒瓶がドンと置かれた。

「ありがとな、お嬢」

「グラスいる?」

「このまま呑んでいいなら、いらねェかな」

「じゃあそのまま。洗いもの減る」

「あいよ。いつもありがとうな」

 男は少女が立ち去ると、すぐに瓶のまま酒を飲み始めた。まるで流し込むような勢いで飲み進める男に若干引いていると、リリが「食べたら?」と言う。

「そ、そうね。食べるわ」

「水餃子ちょっとちょうだい。あ、小皿取ってー」

「ええ、いいわよ」

 アタシは蒸し籠を開ける。すると中から一気に湯気が立ち、晴れると小籠包が六つ並んで見えた。リリが「めっちゃ熱い」と言っていたのを思い出し、息を吹きかけて冷ましてから食べる。

「あつっ……」

 噛むと中から熱々の肉汁が溢れ、あまりの熱さに口の中を少し火傷した。ハフハフと息をしながら咀嚼する中、熱さを緩和するために水を飲もうとグラスへ伸ばした手が止まる。

 美味しい。――その一言だった。熱さに耐えかねて水を飲もうとしたが、この味が薄まってしまうのは嫌だった。白い皮に包まれた中の肉の旨味、噛むたびに溢れ出る肉汁はまるでスープ。アタシは小籠包を飲み込み、やっと言葉を発した。

「……美味しい」

「でしょー? エバちゃんの初小籠包、美味しかったようで良かった〜」

「アナタも食べる?」

 アタシが訊くと、「じゃあ貰うー! ……あちち」とリリが冷ましながらゆっくり食べる。美味しそうに小籠包を食べるアタシとリリを横目で見て、男は少女に「お嬢! 俺にも小籠包頼む!」と注文した。

「なにバブちゃん。リリたちが食べてるの見て、食べたくなっちゃった?」

「ッるせェよ。……で、何の用だ。テメェ、中華食いに来るようなガラじゃねェだろ」

 男がリリに見向きもせずに言う。リリは小籠包と水餃子を食べながら「バブちゃんに会いたくてねー」と返した。

「テメェが俺に会いたいだァ? アホ抜かせ。ンなときはロクなことにならねェ」

「話だけでも聞いてよ」

「断りてェンだが?」

「だーめ」

「クソッタレが」

「……喧嘩してるの?」

 両手に料理を抱えた少女が次々と料理を置いていく。リリの炒飯を置いたあと、男の前に明らかに一人前では無い大きさの炒飯と麻婆豆腐丼を置いた。男は「別に喧嘩じゃねェよ。……料理、ありがとうな」と少女に微笑む。

「喧嘩じゃないならいい。……他のはもう少し待って」

 少女が去ると、男は添えられたスプーンを手に取って丁寧に「いただきます」と言ってから食べ始めた。勢いこそあれど綺麗なその食べ方にアタシは見入り、リリは「ほんとに美味しそうに食べるねー」と微笑む。

「まァ美味ェからな。……用件を話せ。飯食ってる間だけ聞いてやる」

「結局聞いてくれるの優しいよね、バブちゃん」

 男は「うるせェよ」と言いながら炒飯を食べ進める。それを見ながらリリは、アタシの姿が男から見えるように少し身を反らして言った。

「見て見て! 今世のエバちゃんと会えたんだー!」

「え? あ、どうも……」

 アタシが会釈すると男は手を止めてアタシを見る。睨みつけるような眼差しではあるものの、そこに敵対心は感じられなかった。男が言う。

「……仕事は?」

「えっと……祓魔師をやっているわ」

「またか。お前も懲りねェな。……テメェ自身の魂についてと約束についてはどこまで聞かされている?」

「約束は『アタシがリリを殺す』というやつよね? それは聞いたわ。魂については、アタシの前世とリリに関わりがあるというくらいしか」

 アタシの返答を聞くと、男は「そうかよ」と言って再び食べ始めた。少女が男の残りの注文を運んでくると、男は少し急いで炒飯の残りを全て食べ切り、空いた皿を渡した。

「あなたたち、本当におにーさんの友達? 仲良く見えない」

 少女がアタシたちに言うと男は「大丈夫だお嬢。特別仲が良いワケとは違うが、悪い奴らじゃねェよ。だからそう睨んでやるな」と麻婆豆腐丼を食べながら言った。男に言われると、少女は「……まぁ、いいけど」とやや不満そうな顔をしながら戻っていく。

 二人のやり取りをニヤつきながら見ていたリリが言う。

「バブちゃん、随分とあの子に懐かれてるんだね〜? ねぇねぇ、どこまで行ってるの?」

「アホか。俺ァただの客でタオのお嬢はここの店員。それだけだ。……ッたく、これだから色魔の類は面倒くせェ」

 とか言いつつ満更でも無さげな男を見ていて、だいぶ人間くさい悪魔だなと思った。早くも麻婆豆腐丼を食べ切らんとする男が言う。

「……で、結局何の用だ。惚気を聞かされるだけなら御免だぞ」

 リリは炒飯を自分の分とアタシの分で半分に分けながら「バブちゃんに手伝ってほしいことがあってね」と話し始めた。

「今世のエバちゃんもリリとの約束を果たそうとしてくれてる。でも今のままじゃ弱すぎて話にならないから、ちょっと力を貸してあげてほしいんだー」

「そういうことなら断る。その女の魂がイヴなら、放っといてもそのうちある程度の力は獲得できるはずだ。わざわざ俺が手を貸してやる必要も無ェ。……小籠包ありがとうな、お嬢」

「ん。おにーさん、酒の追加は?」

 小籠包を運んできた少女に、男は「もう一瓶追加で頼むわ」と言って空瓶を手渡す。少女がそれを受け取って戻ると、リリが男に言った。

「エバちゃんの修行を兼ねて、アスモデウスを祓いに行こうと思うの」

 急に聞こえた悪魔の名前に、アタシは思わずリリに「ちょっと待ってリリ。聞いてないんだけど?」と言う。リリは「言ってないからねぇ?」と笑顔で返してきて、アタシは頭を抱えた。

「アスモデウスって、序列も位も高い悪魔じゃなかったかしら? 昨日のデカラビアだってリリが助けてくれたから何とかなったけれど、アスモデウスなんて……」

 アスモデウスとは七つの大罪の一つに数えられる『色欲』を司り、古代の祓魔師であるソロモン王が祓除した際の文献では序列八位の王と記録がある大悪魔だ。

 序列六九位の侯爵デカラビアに苦戦したアタシに王位の悪魔など祓えるわけがない。そう思っていると、男が酒を飲みながらリリに言った。

「デカラビアを自力だけで御せねェ奴がアスモデウスを? おいリリ、正気かテメェ。……そいつ、死ぬぞ?」

「だから、バブちゃんに手伝ってほしいの」

「……具体的には?」

「バブちゃんの権能をエバちゃんに貸してあげてほしいんだー」

 男は少し考えて、「いくらイヴの魂だからといえど、無償(タダ)で貸してやる気は無ェぞ」と低い声で答える。アタシの意思に関係無く話が進められているが、どうやらリリはこの男の力を借りてアタシにアスモデウスを祓わせるつもりらしい。悪魔の力を借りるには代償が何かしら必要だが、何を要求されるのか分かったもんじゃない。魂を要求されることだってよくある話だ。

「エバちゃん、払えるよね? 代償くらい」

 笑顔で言うリリにアタシが「悪魔に代償として払う魂は無いわ」と返すと、リリは一瞬キョトンと呆けてから笑い出した。

「あはは! 魂って、そんなわけないじゃん」

「……え?」

「大体、リリが他の奴にエバちゃんの魂に指一本触れされるわけ無いでしょ?」

 リリが目を合わせて言う。笑顔だが目が笑っていない彼女にやや圧倒されながらも「じゃあ、何を……」とアタシは問うた。リリが笑顔のまま続ける。

「バブちゃんへの代償は、んー……ねぇバブちゃん、何が良い?」

 訊かれると男は回鍋肉を食べながら考え、やがて「俺が腹いっぱい食った飯代」と言った。

「え? ……ご飯を奢ればいいってこと?」

 予想外の条件にアタシが困惑しながら問うと、男は「人間はカネが命の次に大切なんだろ? まァ現世(こっち)で暮らしてると身に沁みて分かるがな。俺の飯代は満腹になるまで食おうとすれば安い飯屋でも万札が何枚あっても足りないが、その覚悟はあるか?」

 男がアタシの目を見ながら言う。アタシが困惑しているとリリが「食べ放題とか行こうよ」と言い、男が「あァ、それでも構わねェよ」と返した。

「食べ放題ならバブちゃんがどれだけ食べても値段変わらないもんねー。じゃ、交渉成立ってことで良い?」

「腹が満たされるまで飯食えるなら俺ァいいぜ」

「エバちゃんもそれで良いかなー?」

「え? え、ええ……」

 アタシは流されて返事をしてしまう。それを聞くとリリは「やったー!契約成立だねー!」と言った。そうだ、悪魔の力を借りるために代償を払う約束をする。これは悪魔との契約行為に当たる。祓魔師が悪魔と契約する際には聖教会の司教たちから許可を得ないとならなかったはずだ。

 許可を取るまで契約は待ってくれ。そう言おうとしたときアタシの左手の甲が焼けるように痛み、見ると既に契約が成立したことを示す紋章が刻まれていた。

「契約しといたから、よろしくな」

 酒とともに油淋鶏を摘む男が言う。悪魔との契約の紋章は悪魔が人間に求められたことを成し遂げ、人間が悪魔に求められた代償を支払う。この二つが履行されるかどちらかの魂が消滅しない限り消えることは無い。聖教会の人間にこの紋章が見つかる前に、どうにかして契約を履行する他アタシには無かった。

 アタシは諦めて炒飯を掻き込み、水で流し込んでから男に向き直る。男はそれを察したのか箸を置いてアタシを見た。

「アタシは祓魔師エバ・ヘヴンラック。祓魔の際に主に使うのは拳銃よ。アナタは?」

 男は瓶に口を付けて酒を流し込むと、瓶を置いてアタシに言う。

「俺は序列一位、蝿の王ベルゼブブ。貸してやれる権能は『豊穣』と『暴食』の二つだ。よろしく頼むぜ、エバ」

 ベルゼブブ―――『蝿の王』『頂きに座す者』と呼ばれ『暴食』を司る王位の大悪魔。地獄での序列に該当せず頂点に君臨する魔王サタンの次に偉く、また強いとされる。

 食べ放題の代金のみで力を借りられるという条件から想像していた位よりも遥かに上位、それもサタンさえいなければ魔王になっていたであろう悪魔と契約してしまったという事実に、アタシは目眩がした。そもそもそんな大悪魔が普通に現世にいることに頭痛がする。このことを聖教会に報告したらアタシはどうなってしまうんだろうか……。全部祓ってこいとか言われそうだな。面倒なことになるから、報告するのはやめておこう。

「権能の内容を教えてもらってもいいかしら」

 食事を奢る代わりに権能を借りるという契約なので、権能の内容を知らないことには使いようが無いと考える。ベルゼブブは食事を再開しながらアタシの問に答えてくれた。

「まァ実際に使う時にまた詳しい扱い方は説明するが、『暴食』は全てを喰らい尽くす悪食の権能だ。目視で指定した範囲にある万物を、その魂ごと齧り取り喰らう。もう一つの『豊穣』。これは本来、枯れた作物や実る前の作物に生命力を与えるものだ。それを転用して、使用者が死なない限りはどんな傷も治癒できる力に作り変えたものだ。こんなもんでいいか?」

「ええ、ありがとう。でも豊穣って……暴食は分かるけど」

 暴食を司るベルゼブブの権能に暴食の権能があるのは分かるが、もう一つの豊穣の権能とは何に由来するものなのだろうか。疑問に思うアタシにリリが答えた。

「バブちゃんは昔、豊穣の神さまとして人々に愛されてたんだよ。その名残りだよねー」

「え? ベルゼブブって、元々は神なの?」

 驚くアタシに、ベルゼブブが「神じゃねェよ。俺はずっと俺だが、お前ら人間が勝手にそう捉えただけだ」と言う。ベルゼブブが続ける。

「大体なァ、人間の言う神とか悪魔の定義は俺らからすりゃア適当なモンだし人間が勝手に言ってるだけだ。本来、神ってのはこの世を創った創世神ただ一人で、他の奴らは現代の人間が悪魔と呼ぶ存在を昔の人間たちが祀っていたに過ぎない。自分たちに利をもたらせば神と呼び、都合が悪くなりゃア悪魔と呼ぶ。勝手なモンだよなァ、人間ってのは」

「え? 神ってこの世界を創った神の他にも宗教や神話によって色々といると教わったのだけれど、違うの?」

 ベルゼブブの言葉にアタシは疑問を感じた。宗教や神話ごとに神の名は違う。キリスト教であればイエス・キリスト、仏教ならば仏陀や釈迦。更に言えば神話で例えると、それこそ数え切れない数の神の名が挙げられる。故に神というのは様々存在するとアタシは教わった。だが彼が言うには、この世に神は創世神ただ一人らしい。

 アタシが理解できずにいると、ベルゼブブが加えて説明してくれる。

「人間たちにどう伝わってンのかは知らねェ。が、神という存在はこの世界を創った名前のない神ただ一人だ。神はこの世界を組み上げた後、三つの階層に分けた。上から神が住む楽園、いま俺たちがいるこの現世、そして悪魔とされた奴らがいる地獄だ。神が世界を創ったり階層分けした理由は、全部アイツの自分勝手な都合に過ぎない。人間からしたら現世がメインで善行を働けば死後は楽園へ、悪行を為せば死後は地獄へ逝くと定義されてンだろうが、結果としてそうなっただけであって神はそんなこと考えちゃいねェ。神からすりゃア楽園には完璧で美しいモノのみを置き、現世は捨てるかどうするか保留、地獄が焼却炉って感覚だろうな。元々は自分の世話をさせるために人間を創り出した奴だ。創ったはいいが思い通りじゃなかったり飽きたりすれば楽園から投げ捨てる。そうして楽園を追われたモノを見た昔の人間たちが「天からの遣い」だとかと勘違いして崇め、廃棄された先でチヤホヤされて気を良くしたモノが人間たちに知恵と恩恵を授けた。お前らの言う神ってのは、大体そんなモンなんだよ。……まァ、人間のまま神のいる楽園に里帰りした野郎も一人だけいたがな」

 ざっくり言うとそんな感じだ。と話し終えてベルゼブブは残る食事を食べ切った。

 アタシはベルゼブブの話について考える。彼の話が本当なら、アタシたち人間が長らく信仰してきた神という存在は神ですらないことになる。それに、リリが神を嫌う理由も今の話に関係しているのかもしれないと思った。

「リリはどうして、楽園から現世に?」

 アタシが訊くと、リリは炒飯を食べる手を止めて「……『天使』の失敗作だから、だよ」と表情を曇らせる。やはりこのことについて問うのは不味かっただろうか。

「……ごめんなさい。話したくないことなら、無理に話さなくていいわ」

「そうだね、ちょっと話したくないかな」

「……悪かったわ」

「いいよ、気にしないでエバちゃん。……エバちゃんの炒飯、食べちゃお!」

 リリが笑ってアタシの皿から炒飯を一口食べる。無理に明るく振る舞っているのが分かってしまって、アタシは「食べたいだけ食べていいわよ」と彼女の方へ皿を寄せた。

「もしかして、悪いことしちゃったとか気にしてる?」

「……少し、ね」

「気にしないで良いのにー。……って言っても、エバちゃんそういうの気にするよね。じゃあ許す代わりにリリのお願い聞いて?」

「何かしら」

「炒飯、一口でいいからあーんして♡」

「え……」

 既にスプーンを置いて食べさせてもらう気満々のリリ。恋人でも無いのに人前でそんなこと、いや恋人でも人前ではやらないけど、そんな恥ずかしいこと出来るわけ無い。アタシは心の中で羞恥心と罪悪感を天秤に掛けた。その結果、罪悪感の方に秤が傾く。……あぁもう、やってやるよ。何でもやってやる。大魔女と前世から繋がりのある魂を持ち、富の悪魔から名刺を受け取り、嫉妬の悪魔に気に入られ、更には上の許可無く暴食の悪魔と契約もしてしまった。何かもう、それに比べたら人前であーんしてやるくらい何とも無いわ。エバ・ヘヴンラック、もう何でもやっちゃうもんね。――と、ヤケになったアタシは意を決してスプーンを握った。

 スプーンで一口分の炒飯を掬い取り、リリの方に向く。

「早く口開けなさいよ」

「え、マジでやってくれるの?」

「はぁ? アンタがやれって言ったんでしょ? ほら、あーん! 早くしろ!」

 アタシは恥ずかしいのを我慢してスプーンを向けると、リリは照れながら「あ、あーん……」と口を開ける。アタシはすぐにリリの口の中に炒飯を入れてやり、彼女が口を閉じたのを確認してすぐにスプーンを抜き取った。

「……ありがと、エバちゃん」

「……二度とやらないから」

 互いに赤面して顔を背けるアタシたちに、ベルゼブブが「イチャつくなら他所でやってくれねェ?」と呆れた顔をしていた。

「い、イチャついてないわよ! バッカじゃないの!?」

「ア? テメェ契約者だからってデカい口叩くと食い潰すぞコラ」

「り、リリはもっとエバちゃんとイチャイチャしたい……よ?」

「はぁ!? アンタ何言ってるのよ! この大魔女!」

「だからイチャつくなら他所でやれってンだよ。……お嬢、酒もう一本持ってきてくれ」

 呆れたベルゼブブが店員の少女に酒を注文すると「おにーさん、呑みすぎは良くない。もう二本呑んでるでしょ」と淡々とした調子で返した。

「コイツらには付き合いきれん。もう嫌だ。俺ァ呑む」

「駄目」

「……わァったよ。お嬢が言うならやめとくわ」

「それでいい。呑みすぎで早死されるのは困る」

 酒を止められるベルゼブブと表情一つ変えずに言う少女を見て、「夫婦みたいね」とアタシは無意識に言ってしまった。リリも「ホントにねー。他人にイチャつくなとか言っといて、バブちゃんも人のこと言えないじゃんね〜?」と煽る。

「アァ? 何言ってンだコラ」

「別にそういうのじゃない。おにーさんはお客さんの中で一番お金使ってくれる人。いなくなったら困る。それだけ。……他意は無いから」

 やや早口で言って「私、仕事に戻る」と去っていってしまった少女の背を見て、ベルゼブブが「な? だから言ってンだろ。俺はただの客でお嬢はここの店員。それだけだって」と呆れた調子で言った。

「このニブちん。ニブちゃんって呼ぶよ?」

「は? 何がだよ」

「さすがに今のは、アタシもリリと同意見だわ」

 別にそういうンじゃねェだろ。とため息をつきながらベルゼブブは「話が済んだなら、俺は帰るからな」と席を立つ。スキニーパンツのポケットから財布を取り出して会計へと向かおうとするベルゼブブをリリが引き留めた。

「あ、待ってバブちゃん」

「ンだよ、まだ何かあんのか」

「明日、メーやんの喫茶店に来て。作戦会議しよ」

「時間は?」

 ベルゼブブに訊かれると、リリがアタシに「エバちゃん、何時くらいなら明日大丈夫?」と問うてくる。明日は特に予定は無いので「何時でも大丈夫だけど……」と返した。

「じゃあ十三時に!」

「あいよ。じゃあ、また明日な。……お嬢! 会計してくれ!」

 そう言って会計を済ませ、ベルゼブブは退店する。その背を眺めながらアタシは、何だかガラは悪かったものの彼からは敵対心を一切感じなかったなと思う。魔王に匹敵する力を持つ悪魔のはずなのに、何だかただの青年のような印象を彼からは受けた。

「そういえばアナタ、何でベルゼブブのことバブちゃんって呼んでるの?」

 何気に気になっていたことをリリに問う。するとリリは「あだ名だから割と適当なんだけど」と言ってから話し始めた。

「バブちゃんが昔は豊穣の神さまとして人々に愛されてたって言ったじゃん? そのときの神としての名前が『バアル・ゼブル』だったんだよねー。それを略してバブちゃん」

「あぁ、なるほど」

「でも最初の頃は「なァんかバカにされてる気がする」とか言ってバブちゃんって呼ぶたびにちょっとキレてたなぁ。あは、懐かしい〜。あ、そうだ。バブちゃんのことを何で呼んでも良いけど、神さまだったときの名前で呼ぶのはダメだからね? バブちゃんがブチギレて、暴れたあとにめっちゃ鬱になるから」

 わかったわ。と返事をしつつ、まぁ、色々とあったんだろうなぁと思慮を巡らす。悪魔なのに神と崇められ、今は再び悪魔として生きるベルゼブブ。彼の過去に何があったのかは知らないが、少なくとも人々に恩恵を与えていたらしいことや今もこうして現世で人間たちと好友的に暮らしていることから、彼が人間を愛していたらしいことは察せられた。一度は自分を讃えてくれていた民に悪魔と呼ばれ忌避されるのは、どれほどの苦痛だったろうか。そんなことはアタシには計り知れないが、きっと耐え難いことではあったのだろう。

 そんなことを、手の甲に刻まれた契約の紋章を眺めて思った。

「バブちゃん」のイントネーションは、「落胆」と同じイントネーションです。

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