この大魔女をどうにかしてくれ
キラキラと光の粒が舞う。ルシフェルが裂いた雲の隙間から射す夕焼けの斜陽が、アタシが出したイヴの光と交わり地上は黄金の光に照らされていた。
「ルシフェル、アナタの魂に安らぎのあらんことを」
「痛ってて……いやぁ、エバちゃんすげぇわ」
絞り出すような声に驚いて、アタシは目を開ける。見ると、ボロボロのベリアルが無理に身体を起こしながら笑っていた。アタシは急いで彼のもとに駆け寄る。
「ベリアル!」
「ちょっと無理が過ぎたかなぁ……でもまっ、ルシフェルの野郎ぶっ飛ばせたし、結果オーライ的な? 痛っ……た……」
ルシフェルとの戦闘に夢中で、正直ベリアルのことを忘れていた。どうしよう。ベルゼブブ亡き今、アタシに彼の傷を癒やす手立ては無い。イヴの光でアタシ自身の内臓の破れたところを塞いではいるが、それだって応急処置に過ぎない。付け焼き刃の力を直感で操っているだけだ。いつこの力が解かれるとも分からない状況は、怒り狂う魔王を退けたとてアタシに油断を許さなかった。
「どうしよう……今のアタシじゃ……」
「大丈夫。ルシフェルの気配が消えたんだ。だったら、オレたちが死ぬのはここじゃ無い。そろそろ……ほら。オレの勘はねぇ、当たるんだよ」
「エバちゃぁぁぁぁぁん!!」
「エバ! それとベリアル! 無事かよ!」
急速にこちらへ迫ってくる大きな声に振り返ると、リリが黒く大きな蝙蝠の羽を羽ばたかせてレヴィを抱えながら、急いでアタシたちの方へ向かってくるのが見えた。
「リリ!」
「エバちゃん! 大丈夫だった?」
アタシたちの元まで来ると、リリは優しくレヴィを降ろしてから羽をしまい、すぐにアタシに抱きついた。アタシは「内臓が破れているけれど、何とか」と答えたあと、「それよりもベリアルを!」と彼の治療を促す。
「うん! ……待って内臓!? ヤバいじゃんそれ!」
言われてみて「確かにヤバいわね」と冷静になる。冷静になった途端に痛みが蘇ってきた。不味い。戦いの熱で誤魔化されていた痛みがぐんぐん込み上げてくる。
「痛……たたた……」
「リリちゃん、エバちゃんの内臓だけでも先に治してあげて。オレはその後でいいよ」
「ごめんベリりん、エバちゃん治したらすぐベリりんも治すから!」
そう言うとリリは、アタシの背に触れて魔力を込め始める。ベルゼブブの『豊穣』にも似た魔法陣が展開されると、アタシの内臓の痛みは取り除かれた。
「あ、ありがとうリリ。でもアナタ、いったいどれだけの魔法が使えるの?」
アタシが問うと、リリはベリアルに治療を施しながら答えてくれる。
「リリにも権能はあるんだけど……その一つが『魔術』。他の悪魔たちみたく一つに特化した力じゃなくて、一応すべての魔術をそれなりに使えるみたいな。広く浅くって感じだね」
治療を終えて傷が全て癒えたベリアルが「ありがとうリリちゃん」と一息つくと、レヴィが「傷が治ったらさっさとお姉さまから離れろや」と厚底ブーツでベリアルを蹴った。ベリアルは「え〜! オレ頑張ったよねぇ? エバちゃんが覚醒するまでルシフェルと戦ってたのオレだぜ? もうちょっと、こう、さぁ……手心というか何というか……無いわけ?」と頬をブーツの底の形に歪ませながら言う。
「無ぇよ! 離れろ、この!」
「まぁまぁレヴィ。ベリりんだって頑張ってくれたんだから……ね?」
リリに言われるとレヴィが「お姉さまが言うなら……チッ」と舌打ちをしてから足をどけた。その顔は納得など微塵もしていない様子で、すぐさまその視線がこちらに向いてきたのでアタシは咄嗟に目を逸らす。
「おい、エバ。なぁに目ぇ逸らしてんだぁ〜?」
「い、いやぁ……何のことでしょうかレヴィさん……」
「お前、さっき私の許可無くお姉さまのもちもちほっぺにキスしたの忘れてねぇからな?」
「ひっ………」
静かにそう言うレヴィの眼光は、ルシフェルよりも昏い怒りに満ちていた。その様子を見兼ねて「レヴィ、だめ」とリリが制する。
「だってお姉さま〜!」
「レヴィも頑張ってくれたもんね。レヴィには……ね?」
リリがそっと優しく、それでいて艶やかにレヴィの首筋にキスをした。レヴィは一瞬呆けた後、茹でダコくらい顔を赤らめて飛び上がる。声にならない声で叫び、やがて「お姉さま、しゅき……」と言って気絶してしまった。
「リリ、これ……」
「可愛い子でしょ、レヴィ」
「お、おおおオレも頑張ったんだ……けど……」
ベリアルが吃りながら言うと、リリは「仕方ないなぁ」と言って、先程までレヴィの厚底ブーツに躙られていた頬に軽くキスをした。
「えっ、わっ……マジでしてくれるの……」
「ベリりんも、ありがとうね。頑張ってくれたご褒美くらいあげるよ」
「やっぱりリリちゃんは最高だぜ……」
呆けるベリアルにリリは小悪魔、いや、大悪魔的な微笑みを見せる。アタシは「この大魔女は……」と思いながらその光景を眺めていた。
「あ! アンリちゃんたち待たせてるんだった!」
「ちょ、何よ急に大きな声出して……」
急にリリが大きな声を出すので、アタシは驚いて言う。するとリリは「ヤバい忘れてた!」と焦った様子で続ける。
「ルシフェルと戦う直前に約束してたじゃん! アンリちゃんとネムっちと一緒に、メーやんのカフェ行くって!」
そういえばそうだった。不味い。完全に忘れていた。今は何時だろうか。アタシは慌てて腕時計を見るが、ルシフェルの『落日、明けの明星』を食らったときに既に針がひしゃげて止まってしまっていた。
「いま何時かしら!」
「えっと……十八時! だから……」
リリがスマホの画面を見せてくれる。その時刻を見て、アタシは彼女たちと別れた時間までを逆算する。
「ってことは、一時間待たせてるわ! 急がないと! あと言い訳……どうしよう……!」
「とにかく急いで行こっ! 鞄……は教室だね! エバちゃん、掴まって!」
リリが蝙蝠の羽を広げてこちらへ手を伸ばす。アタシはその意図を察して彼女の手を握った。すると強く身の方へ引き込まれ、いつかみたくまたお姫様抱っこの形でリリに抱えられる。
「ベリりん! レヴィのこと頼んだ! マモマモに連絡すれば迎えに来てくれると思うから! またね!」
「え? あー……何かよく分からないけど、任せといて!」
「じゃ、行くよ! ちゃんと掴まっててねエバちゃん!」
「わかってるわよ!」
アタシの返事を聞くとすぐに、リリは大きな羽を羽ばたかせて飛び立つ。置き去りにされたベリアルは「マモマモ……マモンの連絡先知らねぇんだよな……おーい、レヴィ。起きろー」と未だ幸せそうな顔で気を失うレヴィを揺さぶっていた。
出ていったときと同じく、教室の窓からアタシたちは入る。アタシが先に入り、その後すぐに羽を畳むリリの手を引いて彼女を教室内へと引き入れた。
「ありがとエバちゃん」
「さ、急ぐわよ! っと、その前に結界を解いて」
そうだった、と思い出したようにリリが指を弾く。すぐさま結界が解かれ、現世と隔絶されていたアタシたちは元居た現世への帰還を果たした。校庭から運動部が後片付けをする声が聴こえた。
「リリの鞄……あった! エバちゃんは職員室に戻るんだよね?」
「そうね。でも、その前に傷を治してくれる?」
急を要するということで破れた内臓だけは治してもらったが、他の擦り傷などはそのままだった。なので、リリに他の傷も治してもらうべく言う。が、リリが取った行動は全く別のものだった。
「? アナタ、何を――」
「ねぇ、エバちゃん」
アタシたちは再び現世から除外される。次は、アタシとリリの二人だけが。――結界だ。
「何でリリが、祓魔師しか使えない結界魔術を使えると思う?」
「何でって……まさか」
アタシの中に、一つの予感が生まれる。それは――
「リリの権能その一つ、『魔術』。浅く広く、効果は強くないけれど、一応すべての魔術が使える権能」
「――祓魔師に結界魔術を教えたのは、リリ……?」
アタシが言うと、リリは満面の笑みで「大正解〜! エバちゃん名推理〜!」と答えた。リリが続ける。
「元は悪魔から同胞を護るべく設立された祓魔師って組織。大昔のエバちゃん――つまりイヴちゃんは、リリの魂を消滅させる手段を探すべく、その祓魔師の一員となった。祓魔師の懸念の一つとして、現世での悪魔との戦闘において他の人間を巻き込んでしまったり、街を損壊してしまうというものがあった。それをイヴちゃんから聞いたリリは、祓魔師にこの結界魔術を教えたの。そうすれば、どれだけ派手に戦っても街は壊れないし、関係の無い人間たちが巻き込まれることもないから」
リリは原初の人間であり、原初の悪魔。『大魔女』なんて呼ばれているが、遥か古より人類の味方だったんだ。
「そう、だったのね。ありがとう。アナタのお陰で、対魔戦での被害は最小限に留められているわ。……でも、どうして今?」
何故いま再び結界を張ったのか。その意図が知れなかった。アタシが問うと、リリは微笑んでこう言った。
「ねぇ、エバちゃん。イヴちゃんから楽園の光を受け継いだ今のエバちゃんなら、リリのこと……殺せるんじゃない?」
「えっ……」
アタシは言葉を失う。確かに、アタシの目的はリリの魂を消滅させ、リリの魂に組み込まれた神の呪いを解くこと。そうしてリリの魂を救うことだ。
でも――
「でも、そうしたら……」
「ほら、どうしたのエバちゃん。リリのこと、救ってくれるんでしょ?」
――アタシはまだ、リリと共に生きていたいと思ってしまった。
「……仕方ないなぁ。ほら、これならどう?」
リリが宙に時計のような魔法陣を描き、指先で弾いた。すると、その時計の針がゆっくりと進みだした。
「これは時間魔術の応用。この時計の針が一周すると現世の時間で約一分に相当する時間がこの空間で経過する。現世の時間は、この時計の針が三周――つまりは今リリたちがいるこの空間で三分経過するまで、時間が停止した状態にしてある」
「なっ……」
リリは現世の時間を止めたという。そんなことが可能なのだろうか。……いや、『大魔女』と呼ばれ『魔術』の権能を持つ彼女だ。時間を止めることくらい可能だろう。
「現世では時間経過無しの、リリとエバちゃんの二人ぼっちのこの世界。……三分間だけあげる。だから、今のエバちゃんが持ち得る全てでリリを殺して見せて。ちなみに嫌だとか言えば、今度はリリが現世に地獄の門を開くから」
やっぱり、こういうところはしっかり悪魔だ。アタシは弾倉を開いて空薬莢を捨て、ポーチの中から残る弾丸を全て装填する。残弾数、ジャスト六発。アタシは歯を食いしばって決意する。
「――やってやるよ、リリ」
「そうこなくっちゃ♡」
そうだ、思い出せエバ・ヘヴンラック。アタシの目的を。アタシの魂が受け継いだ約束を。
「いくよ、リリ!」
アタシはリリの魂を消滅させ、リリの魂を真に救う使命がある。
アタシは引き金を引き、リリを撃つ。轟々しい銃声を響かせて放たれたのは、イヴの光を纏わないただの銀の弾丸だった。
「え? ちょ、何でー!」
リリが弾丸を指先で軽々と弾き飛ばす。不満そうにリリが言う。
「ただの弾丸じゃリリを殺せないでしょー!」
「あれ……ええ、そうね。そうよね……何で」
アタシは再び照準をリリへ合わせて、引き金に掛けた指に力を込めた。が、またも放たれたのはただの弾丸だった。
「あ、れ……」
「……エバちゃん、やる気ある?」
僅かに怒気を込めた声色でリリが言う。アタシは体内に巡っているはずのイヴの光を辿った。
「待って、まさか……」
――イヴの光が、出ない。そこに在るのに、出し方が分からない。何故。アタシは焦りながらリリが作った時計を見た。針は既に二周目を回り始めた。
「まさかエバちゃん、光を上手く出せないの?」
「……そうみたい」
アタシが答えると、リリは「はぁ〜? ……んもう、何でそうなるかなぁ……」と呆れた表情でため息をつく。アタシは考える。何故イヴの光が出ない。イヴがリリの魂を撃つことを拒んでいる? いや、それは無い。誰よりも強く、誰よりも永くリリの魂の救済を願った者だ。彼女がこの土壇場で拒むはずが無い。この願いは、そんな安い覚悟じゃあ無かった。
ならば何故。何故使えないのか――。違う。使えない理由を探すんじゃない。逆だ。光が使えたときを思い出せ。
アタシは必死になってルシフェルとの戦闘を思い出す。あのときに考えていたのは、願っていたのは――
「……あ。なんだエバちゃん。やればできるじゃん」
――ただ単に、リリの救済を願っていた。
「……これって!」
アタシの体が、あのときと同じく黄金の輝きに包まれた。そうか、この光はアタシの想いに呼応するのだ。リリを救いたい。ただそれだけの願いに応えて輝く黄金だった。
「……いくよ、リリ!」
「いいよ。でも……」
引き金を引く。次に放たれた弾丸は、確かに黄金の光を纏っていた。
「タダじゃ殺られてあ〜げないっ♡」
リリが軽やかに弾丸を躱す。彼女の頬を掠めることすら叶わなかった弾丸は輝きを失い、ぽとり、と虚しく教室の床に落ちた。
「な、何故避けるのよ……」
「え〜、だって〜。確かにリリはエバちゃんに救って欲しいけど、もうちょっとエバちゃんと生きたいってのもあるんだよね〜。だから、ちょっとだけ抵抗しま〜す!」
「なっ……アナタって人は……」
この大魔女め……。アタシは考える。ここで彼女を仕留めなければ、アタシの任務延長が確定する。任務初日から立て続けに名だたる悪魔たちと邂逅し、更には魔王すら討ち果たした。正直、しばらく休暇が欲しい。来月の初めに控える中間テストとか作ってられるか。アタシは教師ではなく祓魔師だ。
「ガキのお守りなんざ……やってられるかぁ!」
感情に任せて、アタシは引き金を引いた。その瞬間イヴの光は解け、ただの弾丸が射出される。
「ちょ、だからさぁエバちゃん」
ただの弾丸をリリは安々躱し、またも苦言を呈してくる。
「光、使って! ただの弾丸じゃ何も意味無いから!」
「分かってるわよ!」
深呼吸をして自分を落ち着かせ、再び願う。
――アタシは、リリを救うんだ。その為に力を貸しなさい、イヴ――!
「よし、来た! 避けるんじゃないわよ!」
黄金の光を纏い直し、リリを狙って撃つ。リリはニヤリと笑って宙に魔法陣を描き、教室の机を壁のようにして並べた。
「避けはしないよ。……えいっ★」
机の表面に弾丸が当たる直前、机がまるで鏡のように煌めき出す。すると、黄金の弾丸はその鏡面に吸い込まれていった。アタシが困惑していると、机の壁の向こうから「ぼーっとしてないで、避けないと当たるよ」といたずらっぽいリリの声がした。
「は? ……ぅおっ!?」
鏡面の世界の内から、アタシ目掛けて黄金の弾丸が戻ってきた。ギリギリ躱したが、いきなりすぎてその弾はアタシの頬を掠めた。頬から一直線に赤い血が滴る。アタシはそれを指で拭い、銃を構え直した。
「そんなのも使えるのね……ズルくないかしら?」
「へっへーん、リリはちゃんと大魔女なのだー! ん? 待って今のって――」
アタシは右手を前に突き出して、指を弾く。その瞬間、リリの魔術で作られた鏡面は砕け散り、机たちは規則正しく元の場所へと並び直した。
アタシの手を見て、リリが「……レヴィ、契約は完遂してるんだから解いとけよな」と悔しそうに言う。
「レヴィの『嫉妬』、まだ残ってたから使わせてもらったわ」
権能の使用を感知して契約を解くのを忘れていたことを思い出したのか、右手の甲からレヴィの契約紋が消える。……もうこの手は使えないか。
「次で……ッ!」
「――夜より冥く、夜より蒼い宵の空。夜闇を練って、聖者の心臓を貫く兵士。―――『夜十器 第一式貫型 ロンギヌス』!」
照準を合わせ直そうとしたとき、リリの手に見たことの無い武器があるのを視認した。それはまるで、夜の闇を練って固めたような美しくも冥い、一本の大槍だった。
「それは……」
「リリの権能は、『魔術』だけじゃないんだな〜」
リリの目が鋭く光る。ちょっとだけ本気を出す、ということか。ならばこちらも――。
「残り一発。覚悟なさい」
「エバちゃんも、死なないでね?」
リリが夜闇の大槍を構える。あれを食らったらヤバい。本能がそう警告していた。時計の針は既に最後の一周を回り始めた。
「死ぬつもりなんて、無いっての!」
「あはっ、最高♡」
リリが姿勢を落として大槍で突いてくる。アタシはその槍先真っ直ぐに引き金を引いた。
――閃光。眩い光と共に、黄金の銃弾はリリの夜闇の大槍を包み込み、温かな光の粒へと還した。大槍を砕かれたリリが「あ〜あ」と残念そうに言う。
「ロンちゃん砕かれちゃったかぁ〜。でも、エバちゃんも最後の一発だよね? 今ので六発目。違う?」
リリの言う通りだ。今ので最後の一発。力が抜け、アタシの身体からイヴの光が解けていく。
「あと四十秒ってとこかぁ。あと少しだけ、二人ぼっちの世界を楽しもっか」
「……そうね」
アタシはくたびれた声で返事をしながら腰のポーチを触る。銃弾も尽きた。なら、もう銃をしまおうと考えたのだ。
「ねぇ、エバちゃん?」
指先に何か鉄のような冷たさを感じた。恐る恐る、アタシはそれを摘んで見る。
「本当にそんなんで、リリのこと殺せるの?」
それは銃弾だった。もう全て使い切っていたと思ったが、ポーチの奥底に一発だけ残っていたのだ。
「この……クソ魔女が……」
アタシは今、教卓を一つ挟んでリリと対峙している。腰のあたりは、丁度よく教卓がリリからの視線を遮ってくれている。やるなら今しかない。
「クソ魔女だなんてひっどーい。同じ楽園で生まれた者同士なのになぁ」
教卓に肘を着いて、リリは頬杖をつく。アタシはリリから見えないように教卓の引き出しの下で、指先の感覚だけで残る弾丸を装填した。
目の前で楽しそうに笑う彼女から目を離さず、正真正銘最後の一発を込めた拳銃を彼女に突き付ける。
「――地獄へ帰れぇぇぇ!」
残り三十秒。リリの魂の消滅とまでは行かなくとも、ただの弾丸でだってリリを地獄へ送還するくらいのことは出来るだろう。休暇を、せめて休暇をくれ。アタシに休暇を――
「嫌でーす」
アタシが引き金を引く瞬間、銃はリリの手に軽く払われて最後の弾丸は虚しくも天井を撃ち抜いた。
「あっ……」
任務の延長が確定し戦意を喪失するアタシの襟を引っ掴み、リリが強引に顔を引き寄せて――
「………!?」
「ん……はっ。まだまだよろしくね、エバちゃん♡」
唇に優しくキスをされた。そっと柔い唇を離して妖しく笑うリリだったが、すぐに恥ずかしくなったのか顔を真っ赤にしてその場にしゃがみこんだ。
「〜〜〜〜〜! え、えええエバちゃんにキスしちゃっ……ぴゃ〜〜〜〜〜!」
時計の針が三周する。時計の魔法陣が消滅し、同時に結界も解けた。アタシは気恥ずかしさよりも「自分からキスしておいて、何なんだこの大魔女は……」と半ば呆れの気持ちが強かった。
「リリ、アナタ……」
「何も、何も言わないでエバちゃん! ちょっと待って! てか早く鞄持ってきてよ! メーやんとこ行くんだからっ!」
「何なんだコイツは……」
リリが矢継ぎ早に言いながらいつもの小さいリュックを背負う。その横顔は耳まで真っ赤で、『大魔女』ということを加味しなければ本当にただの年頃の少女そのものだった。
自分勝手で、大人しくしていればただの恋する少女。それでいて、他の悪魔を苛立った静かな一言で圧倒するほどの大悪魔。その正体は原初の人間の一人であり、神の勝手で棄てられた『天使』の原型。彼女の名はリリス。彼女の魂を救うべく、アタシは何千年も前から想いと願いを継ぎ、戦い続けている。
アタシの――イヴの魂の願いはただ一つ。リリスの魂の安寧と真なる救済。その為には、リリスの魂を消滅させる他に無い。
けれど今は、もう少し。もう少しだけ、彼女と共に生きていたいなんて思ってしまって……。
あぁもう、本当に。
「……この大魔女を、どうにかしてくれ」
「何か言った? エバちゃん」
「……いいえ、何も。さ、職員室に戻って鞄を取ってくるわね」
「急いでね!」
「分かってるわよ」
もう少しだけ待っていて、イヴ。必ずアタシがリリの魂を救うから。でも今はもう少し。
もう少しだけ、彼女の身勝手さに振り回されてみるわ。
そう心の中で呟いて、アタシは教室を後にした。
『この大魔女をどうにかしてくれ』
―――第一部 「エバ・ヘヴンラックは地に堕ちない」 完。
第一部、完結です。
そのうち第二部以降も出します。




