見初められる
「…………ノアさん、ちょっと休憩しませんか…。何か疲れてきました。精神的に」
「…ああ」
初めてとも言っていいかもしれない。緋彩とノアの意見が合った。
緋彩も薄々勘づいていたことだが、この国は人口密度が高い。昼の混雑する時間を越えても、街中は一向に人が減る気配がなかった。これでは人混みが嫌いなノアでなくとも疲れてしまうだろう。
「向こうにベンチがあります。あそこで…」
「あっ、ノア!ノアーーー!!」
うんざりする人の多さに体力も気力も削れきってしまった頃、どこかでノアを呼ぶ声が響いた。
「?」
聞こえてきた背面を振り返ると、無造作に行き交う人々の頭の中頃に、手を振る腕が飛び出ていた。それだけでは誰だか分からないし、足を止めて流れる人の波を裂くと、そこから見慣れてしまった顔が近づいてきていた。
「ローウェンさん!?」
彼はエーダの宿でまだ眠っていたはずだ。解毒剤を打った後、緋彩達がいる間に一度目を覚ましたらしいが、体力が落ちている為にまだ休養が必要だと少なくともあと二日は安静にしているはずだった。
その人物が大きく手を振って駆け足で追ってきていた。
「っはぁっ、はぁっ、はぁっ」
「ちょっ…、ローウェンさん、どうしたんですか?まだ休んでないと…」
「そ、う、なんだけどっ、それだと君たちはもう行っちゃうと思って…っ」
「と、とりあえず落ち着いて、水っ、水飲みます?」
膝に手を付いて肩で息をするローウェンに、緋彩は慌てて水を差し出す。礼を言って水を煽ったローウェンは、深呼吸をして息を整えた。ふぅ、と大きく息を吐き出した顔色はまだ良いとはいけないけれど、一番酷かったあの時からすれば随分と生気が出てきたように感じる。
「ごめん…、どうしても君たちに会いたくて。エーダの制止を振り切って飛び出してきちゃったんだ」
「えぇ…。でもどうして…」
「御礼もあったし、ちょっと頼み事があって」
「頼み事?」
ローウェンの顔は何故か清々しい。苦痛から解放された反動か、薬を打たれる前よりも表情は明るい気さえしてくる。
ノアは興味がないのか、ローウェンと取り合うのは専ら緋彩ではあったが、ちゃんと話は聞いているようだ。そんなノアの態度も気にする素振りはなく、ローウェンはよいしょ、とどこからか大きめの荷物を取り出した。
え、と緋彩の口から小さな驚きが漏れ、ノアの無言の嫌悪が表情に表れる。ローウェンだけが爽やかな風を吹かせる笑顔を湛えた。
「僕も君たちに同行させてくれない?」
「!!」
目を剥いた緋彩と眉を吊り上げたノアの周りだけ、時間が止まった。まさかの提案に状況の理解もリアクションも取れない。
「え、な…、どどどど同行!?い、一緒についてくると言うことですか!?」
「そう!……駄目かな?」
「え…、いや、駄目というか」
「嫌、だな」
「ノア!?」
久々に口を開いたかと思ったら、ノアはきっぱりとローウェンを拒否し、ローウェンは何故か受け入れられると思っていたのか、ノアの返事に驚愕している。
緋彩としても、駄目でも嫌でもないのだけれど、二つ返事でどうぞと言える準備は出来ていない。どちらかというと緋彩もノアに無理矢理ついてきたのと変わらないので、表立って拒否もしづらいが。
「で、でもですね、ローウェンさん。多かれ少なかれ、私たちはまだガンドラ教と関わらないといけないかもしれないですし、あなたにとってそれはトラウマでしょう?」
「君は…、ヒイロちゃん、かな?エーダが言っていた」
エーダにそこまで聞いていたのかと、緋彩は戸惑いながら頷く。改めての自己紹介も後回しにして、ローウェンは視界の外で拳を握った。
「トラウマ…、ではあるけれど、このままにはしておけないと思ったんだ。今回僕は、外れくじを引くようにとても苦しい目に遭った。でもそれは僕だけじゃないんだろう?僕と同じようにガンドラ教に実験台にされている人がいるんだろう?」
「それは…、」
「綺麗ごとかもしれないけれど、僕と同じ目に遭っている人が他にもい…」
「綺麗ごとだな」
訴えるようなローウェンの言葉を、冷たい声が分断する。
「ノア…」
「お前は馬鹿なのか?実験台にされて苦しい目に遭って、尚もその危険に飛び込むというのか。正義感はご立派だがな、実験台になる人間を減らしたいというのなら、今後一切ガンドラ教に関わらない努力をした方が賢明だ。お前は一度奴らに目を付けられた人間だと言うことを自覚しろ」
「ノアさん、そんな言い方しなくても…」
「お前も安請け合いすんな。ただでさえ面倒な痴女を抱えてる俺の身にもなれ」
「ひぇ、とばっちり…。別に請けようとはしてないでしょ」
言い方には棘があるけれど、ノアの言うことは尤もだった。仮にローウェンがノアのように強い戦闘力を持っていたとしても、一度彼は成功例となってしまったのだ。奴らが約束を違えなければローウェンはこのまま平穏に暮らせるだろうが、自らガンドラ教と関わるというのなら、奴らも願ったり叶ったりになる。
ローウェンの身の安全も然ることながら、アラムの思い通りになることも釈然としない。
とはいえ、ローウェンの気持ちも無視できない緋彩は、肩を落とす彼に出来るだけ優しく声を掛ける。
「ローウェンさん、苦しむ人を助ける方法は他にもあると思うんです。苦しい経験をしたローウェンさんだからこそ、出来ることだってあるでしょう?」
「ヒイロちゃん…」
「ノアさんは憎まれ口叩いていますけど、本当はローウェンさんを心配しているんだと思うんです」
「ああ!?」
何を言い出すのかと、ノアは緋彩の後ろで牙を剥く。ローウェンだけが見えていて、無駄に怖がらせることになっただけだ。
「ノアさんについてきた私が言える立場でもないですけど、私達といると危険なんです。苦しんでる人を助けたいのなら、まず自分が生きていなきゃ駄目でしょ?」
「……ヒイロ、ちゃん…」
人を諭すなんて緋彩はやったことなどなかったが、ローウェンが徐々に衝動を抑えたような顔つきになってきたということは、何とか説得に成功したのだろう。
ノアも余計な口添えをせずに済んだと安心していたところだ。
だから緋彩が分かってもらえたのなら、もう少し身体を休めてほしいと宿へ帰るよう促そうとした時だった。
「ヒイロちゃん!やはり僕は君についていきたい!」
「──────……っは?」
さすがニコイチ。
緋彩とノアは口をあんぐり開けた同じ表情で固まった。