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月に喘ぐ  作者: sadaka
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夜空に浮かぶは赤い月(6)

 昼間の日差しが心なしか和らぎ、夜風が涼しくなってきた時分、屋敷の縁側に佇んで猫の目のような月を見上げていた海雲は大聖堂(ルシード)に潜伏させていた者達が戻って来たとの報せを受けて着衣の裾を払った。休もうとしていたところだったので浴衣姿だったが、着替えをする間も惜しんで密使からの報告を受ける。その内容が思わしくないものだったので海雲は微かに眉根を寄せた。

「……わかった。引き続き動向を探ってくれ」

 夜明けを待って王に報告をする必要があると海雲は判断したのだが、時を同じくして王からの急使も白影の里に姿を現した。王の急使がもたらした伝言は、早急に話し合いをしたいというものである。夜明けまで待つ必要もなさそうだと思った海雲はすぐに王城へ上ることを決して自室へ戻った。着替えをしながら方々に指示を飛ばし、里の態勢を整えるよう言い含めてから屋敷を後にする。その後、海雲は王の下へ急行した。

 まだ不確かな情勢なので内々で話し合いの場を持ちたいという王の希望もあり、拝謁は平素の謁見の間ではなく王の居室で行われた。深夜に王の居室を訪れるのは海雲も初めてである。深刻な事態に発展しようとしていることは王にも解っているようであり、彼は海雲に拝礼も許さず話を始めた。

「既に存じているとは思うが、大聖堂に不穏な動きがある」

「先程偵察に出していた者達が戻りまして、報告は受けております。どうやら古代文字に関してもだいぶ解読が進んだようです」

「以前から遺物の存在は知っていたようだな。民をまとめる者達の他に専門の調査隊まで組織していたようだ」

「もともと、そちらの方が専門だったのでしょう。大聖堂が発見した遺跡にも偵察隊を潜り込ませましたが、テラに関する記述が見受けられました。そして先日、テラから不審な者達がうろついているとの報告を受けたばかりです」

 テラとは、南方にある遺跡の俗称である。この遺跡がある場所は赤月帝国の領土ではないが、白影の里はある事情から世界に散在する遺跡を調べているのだ。海雲が口にしたことが何を意味するのか、王は理解している様子で慎重に頷いて見せる。

「つまり、我々の存在を勘付かれたということだな?」

「その可能性が高いかと。今後は常にも増して軍の動きに注意が必要かと存じます」

「うむ。防備を強化してくれ」

「かしこまりました。ところで王、王子から何か進言がございましたか?」

「アゼルから? いや、このところまともに顔も見ていないが」

「ならば、良い機会です。お呼びして参りますので、少々お待ち下さい」

 進言の内容には見当もつかないらしい王を居室に残し、海雲は一礼して退出した。寝静まっている城内を足音を忍ばせながら進み、王子の私室を目指す。だが部屋へ呼びに行くまでもなく、途中の廊下でアゼルと顔を合わせた。

「この騒ぎは何事だ?」

 すり寄って来たアゼルが声をひそめながら尋ねてきたので海雲は感服した。この時分に城内で動いている者は特別な訓練を積んだ者ばかりで、動揺が伝わらないよういつにも増して慎重に行動しているはずである。その気配を『騒ぎ』として捉えるアゼルは、敏感なのだろう。

「ちょうどいい。呼びに行くところだったんだ」

 アゼルを促して元来た道を歩き出しながら、海雲は事のあらましを説明した。無駄に口を挟まず話を聞いていたアゼルは海雲が閉口するのと同時に嘆息する。

「戦争が始まるということか」

「まだ断言は出来ないが、その可能性も十分ある」

「用心しようとしているのは解った。だが国民はどうする気だ? 突然戦が始まるなどと言っても誰も信じないだろうし、動けない」

「それは王も考えておられるはずだ。だから今、お前の言葉が必要なんだ」

「……そうか。ついに、赤月帝国も動かなければならないのだな」

 アゼルが複雑な胸中を感じさせる息をついたので海雲は無言で頷いた。これは今までのような、国を護るための防衛戦ではない。大聖堂との戦いは赤月帝国の建国理由に関わる重要な事柄が大義名分となるのだ。

「一つ、訊いておく。共存は望めないのか?」

 目的が同じなら、戦などという無意味な祭りは止めにして協力しあえたらいい。そういった平和的な発想が根底にあるアゼルの意見には賛同したかったが、しかし海雲は首を振った。

「時期が悪い。大聖堂は今、勝ち戦続きで波に乗っている。おそらく話し合いの場は設けられないだろう。彼等は長く戦場を旅してきた流民だ。話し合いというものがどれほど無意味か、知っている」

「結局は戦しかない、ということか」

「大聖堂は普通の国家ではない。信仰というものが中心にあるんだ。赤月帝国とは、馴染めないだろう」

 外界を拒絶しながら生きてきた赤月帝国には宗教というものは存在しない。長く乱世からも遠く平和な生活を送ってきた赤月帝国の人々には大聖堂の存在が異様に映るだろう。そしてそれは、大聖堂も同じなはずである。そこまで話した後、海雲はそれにと付け加えた。

「大聖堂は上と下とで温度差がある」

「温度差?」

 少々言葉が足りなかったようでアゼルは首を傾げている。海雲は差し障りのない表現を考えて、少し間を置いてから口を開いた。

「大聖堂はもともと信仰の拠り所だ。例の事は、あちらの専門分野だろう」

「ああ、彼等(・・)のことか。大聖堂は既に知っているのか?」

「知っている。だが、情報が足りないと思っているはずだ。大聖堂は赤月帝国が持つ彼等の情報と、その独占権を迫るために攻め込んで来るだろう。だが実際に戦うのは流民の集団である兵達だ。温度差と言ったのは、そういう意味だ」

 大聖堂の上層部は土地よりも情報を欲しているが戦で故郷を追われた流民達は安全に暮らして行ける場所を望んでいる。そして赤月帝国は護り易く攻め難い土地なのである。大聖堂が攻め込んでくる理由は、それで十分なのだ。アゼルにもそのことが解ったようで、彼は空を仰いで眉根を寄せる。

「目的は違っていても利害は一致している、ということか」

「そうだ。大聖堂の上層部は聖職者という立場を利用して民をうまく操っている」

「聖職者達はその情報を得て、何をするつもりなのだろう?」

「信仰の妨げになるとか言って、まずは口封じだろうな」

 赤月帝国が有している情報は、世界に数多存在する『宗教』というものを根底から覆すほどの破壊力を持っている。それゆえ大聖堂は何が何でも赤月帝国を屈服させようとするはずだ。もしも敗国となった場合、何も知らないからといって国民が許されるとは限らない。だから絶対に負けるわけにはいかないのだが、最悪の事態も想定している海雲は覚悟の程を示した。

「万が一の場合、里の者には毒を含めと言ってある。心配はいらない」

 極秘情報の共有者は少なければ少ないほど望ましい。極秘情報を専門に扱う白影の里が息絶えれば、その分同じ機密を共有している王族の価値が上がるのである。だから安心しろと海雲は言ったつもりだったのだがアゼルは顔をしかめた。

「そのようなことにさせるものか」

「ああ。俺も、そのつもりだ」

 負ける気など、さらさらない。海雲が態度でそのことを示すとアゼルはようやく肩の力を抜いて笑んだ。







「侵入者?」

 明け方に王城から白影の里へと戻った海雲は、部下からもたらされた情報に眉をひそめた。侵入者自体は珍しいものでもないが、時期が時期である。自然と険しい表情になり、海雲は跪いている部下に目を向けた。

「何処の者だ?」

「それが、いっこうに口を割ろうとしませんので……」

「ほう。毒など含まれて死なれては困るぞ」

「すでに調べましたが、毒などを仕込んでいる形跡はありませんでした。武器も持っていないようです」

「捕獲した場所は?」

「書庫の辺りです」

 その場所には身に覚えがあり、俄かに嫌な予感が押し寄せてきた海雲は表情を曇らせた。部下は海雲の変化には触れず、侵入者を捕らえてある場所まで先導しながら報告を続ける。

「こちらです。特に抵抗する様子もないのですが、一応縄をかけてあります」

 部下が開いた襖の向こうには、予想通りの姿があった。海雲が思わず頭を抱えると部下が不思議そうに首を傾げる。

「お知り合いですか?」

 海雲はすぐに頷こうとしたのだが、その前にサイゲートが口を開いた。

「誰だ、お前? お前なんか知らないぞ」

 サイゲートに庇われている自分を自覚しながら海雲は苦笑する。どうも、日頃の脅しが過ぎたようだ。すでに部下にも侵入者が海雲の知己であることは知れており、彼は必死で笑いを噛み殺しながら念を押した。

「こう、申しておりますが?」

「もういい。下がれ」

 いつまでも笑われていてはかなわないので海雲はさっさと部下を追い払った。二人きりになって縄を解いてやると、サイゲートはようやくいつもの調子に戻って話し出す。

「悪い、里に入ったらつかまった」

「いや、俺が悪かった。知らせようと思っていたんだが、時間がなくてな」

「どういう意味だ?」

 サイゲートが眉をひそめたので海雲は真顔に戻った。長々と説明をしている時間はないので、海雲はサイゲートでも一言で理解出来るよう単純な言葉を選んで口にする。

「戦が始まる」

「えっ?」

「里は臨戦態勢に入った。だから警戒が厳しいんだ」

 海雲が補足をしてもサイゲートは呆気にとられたままでいた。しかし少しずつ海雲の言葉が沁みてきたのか、サイゲートは眉根を寄せる。

「戦って……この国には関係ないだろ?」

「いや、おそらく赤月帝国が戦場になる」

「……本当なのか?」

 サイゲートがまだ疑わしい目付きをしていたので海雲は小さくため息をついた。何も知らされず、ただ平和に暮らしてきた国民にすぐ理解してもらおうとは思っていない。だがサイゲートでこの程度なら、国民全てに事態を呑み込ませるのにどれだけの時間がかかるか知れない。

「近いうち、王から直々に公言される。しばらくは家で大人しくしてろ」

 今この場で、サイゲート一人だけを納得させても意味がない。そう思った海雲はサイゲートに返答する間も与えず、一方的に話を打ち切って踵を返した。

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